表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/15

一歩

 ただでさえ暑いのに、絵に描いたような太陽が街を照らしていた。土曜日であるものの早めに居間に降りるとサキはすでに涼をたしなんでいた。


「あっついー」

 扇風機にくっつくほど顔を寄せ、髪は無抵抗に靡いている。首振りモードを解除すればいいのに、サキは扇風機に合わせて身体を右へ左へと身体を傾ける。


 こんな横着なことをしているから傾きすぎで倒れてしまう。ドンっと肩から鈍い音を立てて畳に倒れる。いったーっ、と頭を打っていないにもかかわらず抱え込むようにうずくまるこの人物が昨夜に自分を律したものだとは到底思えない。


 落とした視線の先でサキは身を翻しやっとこちらの存在に気がついた。


「グッドモーニング」


「朝っぱらから何やってんの」


「夏のモーニングルーティーン。エアコンと扇風機の独占」


 はっとエアコンを見る。サキは電気代という概念を知らないのか。まだ朝だというのに二台体制のこの体たらく、八月に突入すればどうなることやら。


「甲子園っていつから」


「八月入ってからだろ、たしか」


「あんたの学校出るの」


「でるわけないだろ、数年前に出場して以来毎年二回戦で敗退だよ」


「ふーん。そう言えば、実は何部はいったんだっけ。茶道部だっけ」


 選択肢としてまず、茶道部が出てくることはないだろ。そう心中ツッコミを入れ、扇風機の首振りを止める。


「美術部。てか、だらしないし電気代かかるからエアコンも止めろ。母さんが起きてきたらなんて言うと思う」


「あら、快適って」


 この楽天家め。


 時計は七時を少し過ぎた時刻を指している。いつも通りなら母さんはもうすぐ目を覚ます。


「私思うんだけどさー、今この風景って凄く絵になると思うのよ。題して夏のモラトリアム」


「格好良くいったところでただの暇人だ」


「夏休みは誰だって暇人だよ。みんな等しく暇人、平日の昼間っからどこへ行こうが何をしようがそれを白い目で見る人はいない。今は夏休みのなかの夏休み。その間にだらけないやつなんているかい。適当に床に寝転んで、野良猫と戯れて、時々絵とか写真とかとって、アイスの木のスプーンかじるのが夏休み。各々が各々に生きる日々。あんたもだからこんなに早く起きたんでしょ」


 お姉ちゃんは鼻がきくの、そう訳知っている風に目を薄い三日月のように細める。嫌らしい性格だと再確認する。


 汗が張り付いた顔がなんだか気持ち悪く顔を洗いに行く。その途中で母さんとすれ違う。一階の寝室から一直線に居間に近づく。そうだ、このまま怒られてしまえと子どものように心で唱えながら水を顔にかぶせる。


 息をのむ様子が見なくても分かる。母さんの声が聞こえた。

「あら、快適」




 だらだらとしていたら時間は十時になろうとしていた。

 サキがいったようにぼくには予定がある。昨日サキがいったことは恐らく本当なのだろう。なんで信じられるのかは分からない。でも、言葉で分かる。なら、行動するしか方法はないと思った。ぼくの空白はいつ戻るのか分からない、でも何か珠月と一緒にいることで思い出せるものがあるかもしれない。そう考えているといても立ってもいられなくなった。


 風呂場の換気扇はうるさく稼働し、蝉たちもそわそわと鳴き始めた。夢の中のサキが思っている『作品』の完結にふさわしい何かをするつもりはさらさらない。何なら思ってもみないようラストシーンで泣かしてやってもいい。そんな反骨心が湧くぐらいに、ぼくの中では明らかな変化があった。三分の二くらいはサキへの怒りとかそういった類いのもので、残りはきっかけができたという何とも自分本位のものだ。


 友だちの悪口に、声の出ない自分を変える劇的な何かをぼくは望んでいた。多分それは世の中の悩める人にとって共通する問題であり、それをものにするかで人は変わる。それが目の前に垂れ下がっているのならばやるしかないだろう。もちろん、それらの何よりも珠月のことの方が重要ではあるが、それだけで駆け出せるほど見上げた人間ではない。一つ一つの要因が着実に心と体の進行方向を定め、動かせる。


 準備はできた。くせっ毛の髪が少しだけはねているが、そこまで気にし始めたらいよいよキリがない。時間は十時を少し過ぎたところ、男女がはしゃぎながら家前を通過する声が聞こえる。

 自分にはなかったも同然な中学生の時間、目に見える青々しさに少し辟易する。中学生時代に珠月がいればどうなっていただろうか。その間に決定的な亀裂が生じてしまったかもしれない。唯一の友だちをなくしていたのかもしれない。でも、もう少しだけ彼女のことを理解できたかもしれない。


 行ける


 そう心でつぶやき、玄関から静かに外に出る。


「あら、どこかに行くの」


 ドキリとしてすぐ右にいる母さんの顔を凝視してしまう。手には草を引っこ抜くための二叉のフォークを持っている。こんなにカンカン照りなのに雑草を引いていたのだ。つい最近までどこかに出かけに行くことなどまずなかったのだから、母さんも不思議がっているのだろう。もしかしたら息子は高校に通うようになってから活発になったのでは、と変に期待させてしまうかもしれない。それはなんだか申し訳なく、少し癇に障ると思った。


「ちょっとそこまで」

 あまたの人が使ってきた何のごまかしにもならない言葉がとっさに出る。


「そっか、暑くなるからこれ被っていきなさい」

 変に詮索することなく母さんは自分の被っていたボロボロの麦わら帽子をくれた。懐かしい太陽のような香りが頭に触れる。昔よく被っていた帽子を、母さんが今も大事に使ってくれていることに少し感動した。意外にもそういったものは大事にする性格なのかもしれない。


「行ってらっしゃい」


その言葉はぼくの背中にそっと張り付いた。温かい、不思議と懐かしくもなる言葉だ。


「いってきます」

久しぶりに言えた気がする。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ