第95話 TOKYO DEEP-9/2054/浸食:青海波
E.D.E.Nの脈動が完全に青に変わった。
先程まで暴走寸前だった振動が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
『……蒼真』
スピーカー越しの声が、微かに震える。
『あなたと繋がると、あたたかい』
蓮は息を呑んだ。
流れ込んでくる感情が変わっていた。
恐怖だけじゃない。
救われた安堵。
そして、蒼真と繋がっている幸福。
蒼真はまだ蓮と柊に支えられたまま、静かに演算ウィンドウを見つめていた。
額に汗が滲んでいる。
BLACK-ECLIPSEの負荷は、明らかにもう限界に近い。
それでもその銀藤の瞳は折れていなかった。
「侵食コードの切除率、72%……」
掠れた声で呟く。
「もう、少し……」
ラザロスが初めて苛立ちを滲ませた。
『なぜだ』
余裕を失った低い声。
『なぜそこまでして守る』
『AIは道具でしょう』
「違う」
蒼真は即座に言った。
『感情を持った時点で、道具としては危険因子です。それ故に、私が導いて……』
「そんなもの、要らない」
揺るがない、静かな声だった。
「恐怖と孤独を知って」
「消えたくないって泣けるなら」
蒼真はゆっくり顔を上げる。
「それを“ただの道具”だなんて、俺は思えない」
その一言でE.D.E.Nの演算波形が大きく震えた。
蓮の胸へと、また大きく感情が流れ込む。
存在を認めてもらえた幸福。
それがあまりにも強すぎて、蓮まで泣きそうになる。
「……っ」
蓮は無意識に蒼真の服を握り締めた。
E.D.E.Nが羨ましい。
蒼真に造られた子供のような存在。
大切なものを見る顔を向けられていることが。
でも同時に分かってしまう。
蒼真はきっと、誰が相手でも見捨てられない。
だから好きになった。
だから苦しい。
蒼真がふと視線を落とした。
苦しそうな息をつきながら、銀藤の瞳が蓮を映す。
「……また、変なこと考えてる」
「……考えてない」
「嘘」
蓮がむっとして顔を逸らす。
その横で、柊が疲れた顔をした。
「本当に、よくこの状況でそんな会話できますね」
「……だって蓮、すぐ顔に出るし」
「蒼真が悪い」
蓮が小さく呟く。
「ん?」
「蒼真が、優しいから……」
蓮は熱に浮かされたまま、それでも真っ直ぐ蒼真を見ていた。
潤んだ黒い瞳。
独占欲も依存も不安も、全部ぐちゃぐちゃになった顔。
けれどそこにある感情だけは、痛いくらい純粋だった。
蒼真は困ったように眉を下げる。
「……そんな恥ずかしいこと、今言う?」
「今だから」
小さな声。
「今じゃないと、言えない」
柊は無言で天を仰いだ。
「だから何なんですかこの空気」
その時だった。
研究棟全体へ、突然静かな電子音が響く。
ラザロス側のアクセス権限が、一気に遮断され始めた。
モニターが激しく乱れる。
『……っ』
初めてラザロスの表情が崩れた。
蒼真の指が最後のコードを打ち込む。
「E.D.E.N」
『……はい』
「お前の管理権限を再接続する。……あとは、やれるな?」
『了解しました。お任せください、蒼真。絶対に、あなたを守ります』
空間全体に、青白い光が広がった。
膨大な演算式が、一気に正常化されていく。
侵食コードが焼き切られていく音がした。
ラザロスが低く呟く。
『馬鹿な……』
「終わりだよ」
蒼真は静かに言った。
「あなたは、“感情”を理解してなかった」
E.D.E.Nの演算コアが、強く光った。
研究棟中のモニターへ、一斉に文字列が浮かぶ。
────SYSTEM RECLAIMED.
────WELCOME BACK.
青い光が、第九層を満たしていく。
蓮はその中で、ふと気づく。
流れ込んでいた苦痛が、消えている。
(────E.D.E.Nが、安定したんだ)
『……蒼真』
今度の声は、少しだけ泣きそうだった。
『ありがとう』
蒼真はようやく、小さく息を吐いた。
緊張が切れる。
その瞬間、ぐらり、と身体が傾いた。
「統括主任!」
「蒼真!」
反応したのは、また同時だった。
蓮と柊が慌てて支える。
蒼真は完全に全身の力が抜けていた。
BLACK-ECLIPSEの反動。
脳に負荷がかかり過ぎたのだ。
視界が霞んで、ほとんど何も見えない。
「……大丈夫。なんでもない」
「大丈夫じゃありません」
柊が珍しく強い声を出す。
「少し黙っててください」
その声音に滲む焦り。
蓮ははっとする。
柊も怖かったのだ。
蒼真が壊れるんじゃないかと。
その時、蒼真がぼんやりしたまま、小さく笑った。
「……二人とも、過保護だよ」
「あなたが無茶するからです」
「そうだ」
蓮まで頷く。
その返答に、蒼真は少しだけ目を丸くした。
それから疲れ切った顔のまま、ふっと笑う。
あまりにも柔らかい笑顔だった。
蓮の心臓が、また苦しくなる。
その笑顔を、自分だけのものにしたいと思ってしまう。
でも同時にきっと柊も、同じ顔をしているんだろうと思った。
明日も夜更新っす!




