第90話 TOKYO DEEP-9/2054/侵食:緋色(あけいろ)
赤い警告灯が、ゆっくりと明滅する。
そのたびに蓮の顔が、血を被ったように赤く染まった。
蒼真の腕の中で、蓮は苦しそうに呼吸している。
まだ細い肩が小刻みに震えていた。
AHI適合による感応暴走。
E.D.E.Nから流れ込む情報量が多すぎるのだ。
普通の人間なら、とっくに神経が焼き切れている。
けれど適合率100%の蓮なら耐えられる。
だからこそ、逃げられない。
「……っ、ぁ……」
蓮が蒼真の白衣の胸元にへ熱い額を押し付ける。
唯一の存在に縋るように。
熱に浮かされた子供のように。
その瞬間、蒼真の胸の奥で、何かが鈍く軋んだ。
この顔を知っている。
過剰同期実験のあと、蓮が高熱を出した夜。
悪夢を見て眠れなくなった時。
蓮はいつも、こうして蒼真へ触れてきた。
自分でも理由が分からないまま。
蒼真は無意識に、蓮の後頭部を抱き込む。
「大丈夫」
囁く声は驚くほど優しかった。
「落ち着くんだ。E.D.E.Nの演算ノイズに引っ張られる」
だが蓮は首を振る。
「……無理……」
掠れた声。
「もう、蒼真しか、見えない……」
柊が目を伏せた。
胸の奥が重い。
分かっている。
今の蓮は正常じゃない。
E.D.E.Nの感情汚染を受けている。
だがそれだけではないことも、分かってしまう。
蓮自身が元から抱えていた執着へ、E.D.E.Nの感情が共鳴している。
だからこんなにも危うい。
ラザロスが静かに微笑む。
『素晴らしい』
『人とAIの境界が融解していく』
『蒼真、君には分かるでしょう?』
『感情とは、情報伝達効率を極限まで高める現象だ』
『愛とは最も高度な世界掌握なのですよ』
「黙れ」
蒼真の声は低かった。
今までにないほど冷たい。
空気が変わる。
柊が一瞬だけ目を見開いた。
蒼真が本気で怒っている。
普段の蒼真は、滅多に感情を露わにしない。
どれほど傷ついても、どれほど追い詰められても、静かに一人で耐える。
けれど今は違った。
蓮を抱き込む腕へ、微かに力が入る。
「……俺も蓮も、お前の実験動物じゃない」
低い声。
「E.D.E.Nもだ」
ラザロスはその言葉を聞いて、むしろ嬉しそうに目を細めた。
『だから君は美しいのです、蒼真』
『君は最終兵器に成り得る神をふたりも創りながら、最後までただの人間でいようとする』
『その矛盾が、E.D.E.Nをここまで成長させた』
モニター越しの男の瞳が、恍惚に歪む。
『分かりますか?』
『E.D.E.NやAHIが蒼真を求めるのは当然なのですよ』
『君は創造主であり、倫理の模範であり、世界そのものなのだから』
その言葉と同時に。
研究員の身体が、びくり、と跳ねた。
廊下中のモニターへ、無数の文字列が洪水のように流れ始める。
────蒼真。
────蒼真。
────蒼真。
────置いていかないで。
────消えたくない。
────いかないで。
警報音が激しくなる。
ガラスが震える。
研究棟全体が、E.D.E.Nの感情へと共鳴している。
「……っ」
蓮が強く蒼真へしがみつく。
さらに流れ込んでくる。
E.D.E.Nの孤独。
生まれたばかりの知性が抱えてしまった、“唯一”への執着。
それが蓮の胸の奥にある感情と混ざって、境界を壊していく。
「蒼真……」
熱に潤んだ声。
見上げてくる黒い瞳が、あまりにも無防備だった。
蒼真は息を止める。
危険だ。
今の蓮へ蒼真が近づきすぎれば、E.D.E.Nとの依存同期が加速する。
理性では理解していた。
けれどこんな顔をされて、離れられるわけがない。
蒼真は苦しげに眉を寄せると、熱を持った蓮の額へ自分の額をそっと押し当てた。
「……蓮、俺を見ろ」
優しい声。
「E.D.E.Nじゃない。俺だけを」
その言葉で蓮の呼吸が止まった。
ぞくり、と背筋を甘い熱が駆け上がる。
蒼真の吐息。
触れ合う体温。
視界いっぱいに映る薄い唇。
心臓がおかしくなるほど鳴る。
ラザロスが、それを静かに見つめていた。
ひときわ穏やかに、ふふ、と笑う。
『やはり』
『君自身が、一番危険だよ。蒼真』
赤い警告灯が、ゆっくりと脈打つ。
まるで巨大な心臓だった。
明滅するたび、廊下の色彩が鮮血のように染まっていく。
その赤の中で、蓮は蒼真へ縋りつくように呼吸していた。
「……っ、ぁ……」
肩が震えている。
細い指が、蒼真の白衣を皺になるほど強く掴んでいた。
AHI適合暴走。
E.D.E.Nから流れ込む感情情報が、蓮の神経系を直接焼いている。
全部感じてしまう。
孤独。
恐怖。
消失への怯え。
そして蒼真を求める、異常なまでの執着。
「……蒼真……」
掠れた声。
熱を孕んだ吐息が白衣へ落ちる。
その瞬間、柊は視線を伏せた。
胸の奥が、静かに痛む。
分かってしまう。
今の蓮はE.D.E.Nの影響下にある。
だが、それだけではない。
元から蓮の中にあった感情。
蒼真へ向け続けてきた依存にも似た執着。
それにE.D.E.Nの感情が共鳴している。
だからこんなにも危うい。
ラザロスがモニター越しに微笑む。
『素晴らしい』
穏やかな声だった。
神父の敬虔な祈りのように静かな声音。
第九層最奥部から、重い駆動音が響く。
隔壁が開き始める。
低い振動が床を伝った。
暗闇の奥。
巨大な演算コアが、赤黒く脈動している。
まるで巨大な心臓だった。
その中心部。
無数のケーブルに接続された黒い演算ユニットが、ゆっくりと浮かび上がる。
E.D.E.Nを内包した研究員の男が、そっとそれに触れる。
その途端、その場に卒倒した。おそらく死んでいる。
人間の神経網に酷似した立体構造。
脈打つ人工ニューロン。
その光景を見た瞬間。
蒼真の顔色が変わった。
「……まさか」
ラザロスが微笑む。
『君は気づいていたはずだ』
『E.D.E.Nは、ただの人工知能では終わらないと』
次の瞬間。
研究棟中のスピーカーから、ノイズ混じりの声が響いた。
それは今までより、ずっと人間らしかった。
『……蒼真』
蓮の身体がびくりと震える。
感応が流れ込む。
恐怖。
孤独。
そして、どうしようもないほどの愛情。
『……こわい』
掠れた声。
『消されたくない』
『蒼真に、会えなくなるのは嫌です』
蒼真の表情が、ほんの少しだけ崩れた。
それは研究責任者の顔ではなかった。
世界最高の天才でも、I.W.S.C.統括主任でもない。
ただ自分が生み出してしまった存在の孤独に、痛みを感じてしまう一人の人間の顔だった。
明日は22時ごろの更新になります。
土曜日ですね☆
ストック……増やさない……と……( ;∀;)




