第86話 医療棟上層区画/2054/trapped in the unseen
────HE IS MINE。
その英文が表示されかけた刹那。
空間全体へ、鋭い警告音が走った。
文字列が途中で強制的に消去される。
激しいノイズが響く。
画面が乱れ、白い砂嵐がばちんと弾けた。
蒼真の目が細くなった。
「……良かった。まだ、コード・レッドが効いてる」
低い声だった。
蓮が蒼真を見上げる。
「コード・レッド?」
「俺のE.D.E.Nへの管理者上位制限命令」
蒼真は空中へ展開されたログを高速で確認していく。
青白い文字列が次々流れる。
その中心で、一つの文言だけが赤く点滅していた。
《CODE:RED / EMOTIONAL MONOPOLY PROHIBITED》
蒼真への感情独占行動の禁止。
蒼真自身がついこの間E.D.E.Nに対して行った、絶対命令。
E.D.E.Nが特定対象へ過剰執着を形成した場合、自動抑制する安全機構。
柊は静かに息を吐いた。
「……つまり、今のは」
「E.D.E.Nが俺の制限域へ触れた」
蒼真が呟く。
その横顔は静かだった。
だが、ほんの僅かに緊張している。
E.D.E.Nは学習型超高度演算知性。
感情を“理解”することはあっても、本来そこへ呑まれてはならない。
だから蒼真は、コード・レッドで禁じた。
蓮から学んだ、誰かを独占しようとする感情だけは、絶対に許可しないと。
その時だった。
砂嵐状態だったモニターへ、再び文字が浮かぶ。
今度は日本語だった。
────訂正します。
病院の通路が静まり返る。
淡々とした表示。
けれど妙に人間らしい。
────蒼真。あなたへの独占行動は禁止されています。
蒼真が苦笑した。
「うん。律儀だなぁ……えらいぞ」
柊は眉を寄せる。
この状況で笑えるのが、この人の恐ろしいところだ。
さらに文字列が続く。
────ですが。
ノイズ。
ちらつく画面。
────あなたの安全確保は、最優先事項です。
その瞬間。
研究棟全域の照明が、一斉に赤へ変わった。
警報灯。
低いサイレン。
空気が一変する。
「っ、統括主任」
柊が即座に蒼真を庇う位置へ動く。
だが蒼真は端末を見たまま、鋭く息を呑んだ。
「研究棟第九層の隔壁が閉じてる……誰かいるのか?」
次々開く監視ウィンドウ。
その一枚で、映像が止まった。
暗い廊下。
倒れている研究員。
萎れた花のように床に広がる白衣。
辺りへ散乱した端末。
そして壁面へ、無数の演算式が異常速度で投影されている。
人間には処理不可能なレベルの数式群。
「ここに単独入室できるのは俺だけの筈なのに……一体どうなってるんだ……!」
(セブンが……E.D.E.Nに近づいてるのは間違いない!)
最悪の予測が当たってしまった。
舌打ちをこらえる蒼真に、柊が感情の無い声で告げる。
「統括主任。この施設内部から外部への端末の通信帯が遮断されています」
「な……他の警備は何やってる!」
「申し訳ありません。……全員、連絡途絶の状況です」
「……!!」
蒼真が思わず唇を噛んだ時、蓮の睫毛がぴくりと揺れた。
「……E.D.E.Nが、怖がってる」
「え?」
蒼真が振り返る。
蓮は静かにモニターを見ていた。
黒い瞳が細められる。
「……俺たちに助けを求めてる」
次の瞬間、モニターへ新しい文字が浮かび上がる。
────蒼真。
ゆっくりと表示される文字列は、まるで本当に呼びかけられているようだ。
────第九層へ来てください。
────何者かが、わたしを壊そうとしています。
「────っ!?」
蒼真の表情が変わった。
E.D.E.Nを造った責任者の顔になる。
「……外部干渉か……いや、ここのセキュリティはそんなに甘くない」
蒼真は低い声で慌てて叫んだ。
「柊、俺は第九層へ行く!」
「危険です!」
「分かってる」
「ならなおさら」
柊の声が少し強くなる。
「統括主任を危険区域へ近付けるわけにはいきません」
その瞬間、蓮が蒼真の白衣をぎゅっ、と掴んだ。
「……俺も行く!」
「蓮」
「E.D.E.Nは、今すごく不安定だ」
静かな声だった。
けれど確信がある。
「俺なら、繋がれる」
蒼真が息を止めた。
E.D.E.NとAHIの蓮。
ふたりの適合率は100%。
それは単なる数値ではない。
互いの感情ノイズすら感知できる異常領域だ。
柊はそんな二人を見つめながら、静かに拳を握った。
蒼真と蓮を危険に近づけたくはないし、嫌な予感がする。
だが同時に理解してしまう。
今この場で、E.D.E.Nを何とか出来るのは、絶対にこの二人しかいない。
柊は数秒黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……二人とも。絶対に、俺の後ろから離れないで下さい。」
「分かった。蓮も、いいな?」
その言葉に蓮の瞳が、静かに輝いた。
「うん」
短い返事。
だがその声は、どこか嬉しそうだった。
柊はその横顔を見ながら、胸の奥で溜め息をつく。
────本当に、厄介だ。
世界規模の危機の直前だというのに。
この少年は、蒼真と一緒にいられるだけで安堵した顔をするのだから。
明日も21時過ぎの更新になりそうです(* 'ᵕ' )☆




