第85話 医療棟上層区画/2054/echoes from the dark
夜の医療棟は静かだった。
昼間の喧騒が嘘みたいに、人の気配が薄い。
白い廊下を照らす間接照明だけが淡く光り、床へ青白い影を落としている。
蓮は車椅子へ座らされ、不満そうな顔をしていた。
「自分で歩ける」
「駄目だ」
即答したのは蒼真だった。
「まだ脳負荷残ってるんだから。転倒したらどうする」
「……子供扱いするな」
「十四歳は普通に子供」
蓮がむすっとする。
その様子を車椅子を押しながら後ろから見ていた柊は、思わず口元を押さえた。
蒼真へ不満をぶつける顔が、妙に幼い。
だが次の瞬間、蓮の手が自然に蒼真の白衣の裾を掴んだ。
迷子が親をみつけたかのように。
蒼真が眼を見開いた後、軽く微笑む。
柊の笑みが固まる。
この少年は多分、分かってやっている。
蒼真を困らせれば、自分を見ると知っている。
「蓮」
「何」
「片手塞がって歩きにくいんだけど」
「こうしてたら落ち着く」
「子供じゃないんだから……」
「さっき子供って言った」
蒼真が困った顔で笑う。
その笑顔に蓮の指先が僅かに緩んだ。
たったそれだけで安心したのだ。
柊は静かに息を吐いた。
この二人はこの先どうなるのだろう。
依存と執着の境界線が、もう曖昧になり始めている。
蒼真だけが、その意味をまだ知らない。
◇
研究棟へ続く地下連絡通路。
深夜帯に入った施設は、人影も少ない。
長いガラス壁の向こうでは、巨大な演算炉が青白く明滅している。
眠らない機械たちが呼吸しているような風情だった。
「……綺麗だな」
ぽつりと蓮が呟く。
蒼真が振り返った。
「初めて見た?」
「こんな時間のは」
「俺も夜の方が好きかもな。静かだし」
蒼真はそう言って笑う。
その横顔を、蓮はじっと見ていた。
横から差し込む青い光が、蒼真の白い肌を透かしている。
まるで人間じゃないかのように綺麗だった。
しばらく蓮は呆然と蒼真を見上げていた。
その時通路の照明が、一瞬だけ明滅した。
────チカ、と。
柊の目が鋭く細まる。
「……統括主任」
「ん?」
「今のは……」
次の瞬間施設全体が、低く震えた。
ごぉん、と重い駆動音が地下から響く。
空気が変わる。
蒼真の表情から、一瞬で私情が消えた。
統括主任の顔だった。
「セキュリティ層?」
端末から空間ディスプレイを即座に展開する。
高速でログが流れる。
蒼真の眉が、ゆっくり顰められる。
「……何だこれ」
「異常ですか」
「研究棟第九層の封鎖プロトコルが勝手に起動してる」
柊の空気が変わる。
殺気に近い緊張。
「外部侵入?」
「違う……認証キーが内部権限だ」
蒼真の指先が高速で空間を滑る。
だが、解除コードが弾かれた。
「!」
珍しく、蒼真が目を見開く。
「俺の権限が拒否された!?」
(こんな事……セブンの横槍か!)
空気が凍る。
I.W.S.C.中央統括主任、E.D.E.N開発責任者。
この場所でその蒼真の権限を拒否できる存在など、セブン以外にあり得ない。
その時だった。
蓮がふいに顔を上げる。
黒い瞳が、通路の奥をじっと見つめる。
「……いる!」
「何がだ」
柊が即座に問い返す。
蓮は数秒黙ったあと、小さく呟いた。
「E.D.E.Nが、怒ってる」
ぞわり、と空気が粟立つ。
蒼真が息を呑んだ。
「……まさか、」
呟いた瞬間、通路奥のモニター群が、一斉に点灯した。
ノイズ。
白黒の砂嵐。
そして、壁面の画面いっぱいに、ゆっくりと文字が浮かび上がる。
────SOMA
異常なほど滑らかな電子文字。
その下へ、さらに表示が追加される。
────DON'T LEAVE
蓮の指先が、ぎゅっと蒼真の白衣を掴んだ。
柊は即座に蒼真の前へ半歩出る。
だが蒼真だけは、モニターを見つめたまま動かなかった。
その顔色が、ゆっくり白くなっていく。
「……E.D.E.N。いつもは日本語なのに英語で接触してくるって事は────」
ちょっと、やばいかも。
思わず漏れた、掠れた声。
柊の全身が緊張する。
その瞬間、モニターの文字列が再び変わる。
────HE IS MINE
空気が、凍った。
なんかバタバタしてたらストック無くなってたー(がーん)
しばらく夜しか更新できません……(´・ω・`)




