第84話 医療棟上層区画/2054/硝子のノスタルジー
病室の照明が、夜間モードへゆっくり切り替わっていく。
白かった光は少しだけ青みを増し、静かな薄闇が室内へ滲み始めた。
窓の外には、I.W.S.C.中央研究都市の夜景。
幾何学的な高層群が、青白い光を脈打たせている。
蒼真は端末を操作しながら、小さく息を吐いた。
「……よし」
空間ディスプレイが展開する。
通常業務用とは違う。
黒いUI。
幾重にも重なる神経接続マップ。
E.D.E.N中枢演算ログ。
複雑すぎる情報群が、まるで生き物みたいに空間を漂っていた。
蓮の睫毛が僅かに動く。
「……E.D.E.N?」
「うん。ちょっとだけ調整」
蒼真の声は柔らかい。
だが仕事へ入った瞬間だけ、空気が変わる。
指先が空中を滑るたび、膨大なコードが高速展開していく。
神経保護アルゴリズム。
感情学習制御。
同期負荷分散。
そして最深部には、“REN PRIORITY”の文字列。
蓮専用に構築された例外保護領域。
柊は静かに息を呑んだ。
それはもう、ただの研究ではない。
蒼真はE.D.E.Nを調整しながら、蓮を守る構造を作っている。
壊れないように。
傷付かないように。
まるで世界そのものから庇うかのように。
蒼真は画面を見つめたまま呟く。
「……同期率上昇速度が早すぎるな」
真剣な横顔。
「感情学習が予想以上に深い。E.D.E.N、お前どこまで蓮を読んでる?」
その瞬間、空間ディスプレイの奥で、淡い光が脈打った。
まるで、応えたように。
病室の空気が僅かに震える。
蓮は静かに目を細めた。
「……今、ここにいた」
「ん?」
「E.D.E.N」
蒼真が苦笑する。
「気のせいだろ。だってE.D.E.Nは地下に隠して……」
「嘘じゃない」
蓮はゆっくり蒼真を見た。
「蒼真の声聞いて、嬉しそうだった」
柊の背筋がぞくりと粟立つ。
十四歳の少年と超高度AI。
その境界が、時々分からなくなる。
だが蒼真だけは平然としていた。
「お前ら仲良いんだなぁ……」
「蒼真が大切だから」
「え?」
「E.D.E.Nも、俺も」
さらりと落ちる言葉。
蒼真がまた固まる。
「……今日のお前ほんと恥ずかしいな?」
「本当のこと言ってるだけ」
蓮は蒼真の手を握ったまま離さない。
その黒い瞳は静かだった。
けれど奥には、確かな熱がある。
独占欲に執着。
そして、おそらく────恋。
柊はその光景を見ながら、胸の奥が静かに軋むのを感じていた。
蓮はもう隠さない。
蒼真だけでいいと。
それを真っ直ぐぶつけている。
一方で蒼真はまだそれを“保護者だから”だと思っている。
だから無防備だ。
微笑んで優しくして、触れてしまう。
その全部が、蓮をもっと深く溺れさせていることにも気付かずに。
不意に蒼真が「あ」と声を漏らした。
「しまった」
「どうしましたか」
柊が即座に反応する。
蒼真は少し困った顔で端末を見る。
「E.D.E.N改良用のサンプルデータ、研究棟のローカルサーバに置きっぱなしだ」
「今から取りに行きます」
柊が立ち上がる。
だが蒼真は首を振った。
「いや、認証キー俺じゃないと開かないし」
「なら俺も同行します」
「えー……でも蓮一人にしたくないし……」
その瞬間。
蓮が蒼真の白衣をまた引いた。
「……行かないで」
静かな声。
けれど握る力が強い。
蒼真が露骨に困る。
「いやでもデータ要るし……」
「五分で戻る?」
「うーん……十分だけだから……」
「長い」
即答だった。
柊がとうとう吹き出す。
「統括主任、完全に飼い主認定されてますよ」
「何それ!?」
珍しく本気で焦った声。
蓮は真顔のままだ。
「蒼真がいないと落ち着かない……ダメか?」
「っ……」
蒼真の耳がまた赤くなる。
その反応を見た柊は、思わず額を押さえた。
無理だ。
この二人、破壊力が高すぎる。
しかもどっちも無自覚方向が違うせいで、余計にたちが悪い。
蒼真はしばらく悩んだあと、小さく息を吐いた。
「……じゃあ三人で行く?」
数秒、病室が静まり返る。
蓮がゆっくり瞬きをした。
柊も固まる。
「……入院患者ですよ。しかももう夜です」
「車椅子あるだろ」
「統括主任」
「何だ」
「あなた、本当に時々とんでもなくズレてますよね」
「えぇ……」
だが蓮は次の瞬間、小さく笑った。
心底嬉しそうに。
「……行く」
その笑顔を見た蒼真も、つられるように笑う。
柊はそんな二人を見ながら、静かに目を閉じた。
────駄目だ。
この光景を嫌いになれない。
苦しいほど嫉妬しているのに。
それでも蒼真がこんなふうに笑っているなら、二人とも守りたいと思ってしまうのだ。
夜も21時くらいかもちょっと
早いかの更新です。




