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【BL】冷酷な最終兵器は俺にだけ執着する ーFalling into E.D.E.N ー  作者: 雨森ユキ


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第82話 医療棟上層区画/2054/沙羅の露

 



 困ったように笑いながらも、蒼真の声はもうかなり甘かった。


 柊は静かに目を伏せる。


 駄目だ。この人は、本当に蓮に弱い。


 きっと本人が思っている以上に。


 病室へ沈黙が落ちる。


 夕焼けが白い壁へ滲み、医療モニターの淡い光が静かに脈打っていた。


 蓮は蒼真の袖を掴んだまま離さない。


 細い指。


 けれど力だけは異様に強い。


「……一晩だけ」


 ぽつりと落ちる。


「朝起きたら、ちゃんと帰す」


「いや、“帰す”って何だ」


 蒼真が思わず笑う。


 だがその笑い方がもう、半分折れていた。


 柊には分かる。


 あと一押しで、この人は残る。


 そして蓮も、それを理解している。


 黒い瞳が静かに細められた。


「ここは、静かすぎる」


「……うん」


「夜になると、痛くて冷たくて不安なんだ」


 その瞬間、蒼真の表情から笑みが消えた。


 柊の胸の奥が重く沈む。


 蓮がいた実験施設。


 閉ざされた白い部屋。


 痛みしかなかった場所。


 蓮は普段、自分からあの頃の話をほとんどしない。


 だからこそ、その一言は強かった。


「……分かった。蓮が眠るまではここに居るよ」


 蒼真が小さく息を吐く。


「今日だけだからな」


 蓮の瞳が安堵に僅かに揺れた。


 それがあまりにも露骨に見えてしまって、柊は思わず視線を逸らした。


 蒼真は本当に気付いていない。


 自分がこうして、少しずつ蓮の“世界そのもの”になっていることに。


「柊、ごめん。今日遅くなる」


「……はい。下で待っています」


 柊は低く返した。


 護衛としては残るべきだ。


 分かってはいる。


 けれど。


 今この空間に居続けたら、自分の感情がまたひどく乱れる気がした。


 敏い蓮に、気付かれたくはない。


 蒼真はベッド脇の椅子へ腰掛ける。


「じゃあここで仕事片付けるか……」


 そう言って端末を開こうとした瞬間。


 ぐい、と袖が引かれた。


「ん?」


「……もうちょっと近く」


 蓮だった。


「ええ……?」


「そこは遠いだろ」


「病室そんな広くないぞ」


「遠い」


 蓮は譲らない。


 蒼真が完全に困り顔になる。


 柊はとうとう耐えきれず、小さく吹き出した。


「統括主任」


「な、何」


「諦めた方がいいですよ」


「柊までそんなこと言う!?」


 珍しく声が裏返る。


 その反応に、蓮の口元がほんの少しだけ緩んだ。


 蒼真は数秒悩んだ末、観念したようにベッドへ近付く。


「これでいいか?」


 すると今度は蓮が、当然のように蒼真の白衣の裾を握った。


 完全に捕まえている。


 柊は額を押さえた。


 可愛い顔をしてやっていることが完全に独占欲の塊なのだ。


 しかも無自覚ではない。


 分かっていてやっている。


 蓮は蒼真を見上げる。


「……これなら安心できる」


 蒼真が目を瞬かせた。


 その顔があまりにも真っ直ぐで。


 演技ではなく、本気でそう思っているのだと分かってしまう。


 蒼真の表情がゆっくり緩んだ。


「……そっか」


 優しい声だった。


 蓮の髪を撫でる。


 静かな手つき。


 それだけで蓮が目を細める。


 完全に懐いている黒猫だった。


 柊は少し離れた場所で、その光景を見つめる。


 胸が痛い。


 けれど同時に、目を離せない。


 こんなふうに誰かへ執着して、慈しむ蒼真を自分は他に知らなかった。


 その時、蓮がふいに口を開く。


「……柊」


「何だ」


「蒼真のこと、今日は置いていけ」


 空気が止まった。


 蒼真が「えっ」と変な声を出す。


 柊は数秒沈黙したあと、ゆっくり目を細めた。


「……それは困る」


「なんで」


「俺の大事な上司なので」


 低い声。


 だが蓮は目を逸らさない。


「俺にとっても大事だ」


 真正面から返された言葉に、病室が静まり返る。


 蒼真だけが完全に固まっていた。


「え、ちょ、待っ……何その会話……」


 顔が赤い。


 本気で困惑している。


 その様子を見た蓮と柊が、ほぼ同時に小さく笑った。


 妙な共犯みたいな空気が流れる。


 けれど次の瞬間には、二人ともまた蒼真を見ていた。


 その視線の熱量だけが違いすぎて。


 蒼真はまだ、自分がどれほど深い場所へ立っているのかを知らない。




夜は21:30過ぎの更新になります。

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