第77話 中央研究棟/2054/モノクロームの藍を湛えて
蓮の退院は今日から一週間後に決まった。
I.W.S.C.医療棟から帰宅の許可が出た。
表向きは“経過観察段階への移行”。
実際には、E.D.E.Nとの神経同期率が、異常なほど安定していたからだ。
十四歳の適合者。
今回の脳への直接接続実験では、本来なら精神崩壊していてもおかしくない状態だった。
けれど蓮は耐えている。
理由を知っている人間は蒼真だけだった。
E.D.E.Nは、蓮を通して人間を学んでいる。
蓮を決して壊さないように調整しているのだ。
そして蓮は、蒼真だけを見て人間でいようとしている。
窓の外からは薄青い街の光がはいってくるが、もう深夜だ。
I.W.S.C.中央統合研究都市、中央研究棟。
会議を終えた蒼真は、ようやく端末から顔を上げた。
視界の端で時刻表示が切り替わる。
02:13。
また日付が変わってしまった。
疲労で頭が重い。
だが今日は、不思議と足取りが軽かった。
蓮がもうすぐ退院できる。
たったそれだけで自分でも理解できないくらい、胸の奥が落ち着かない。
演算室を出る。
静かな廊下、白い照明。
その先に、大きな人影があった。
柊だった。
壁へ寄りかかりながら待っている。
「……ごめん、大分待たせた」
「あなたの送迎も、俺の仕事ですから」
「自動運転の車呼んで帰れるから、無理に待ってなくても……」
「俺の好きで待ってるから、いいんです」
柊は笑う。
柔らかい顔だった。
蒼真は少しだけ目を細める。
この顔を見ると安心してしまう。
この感覚に、絶対に慣れてはいけないといつも自分を戒めるが、うまくいっているかは自信がない。
「蓮、どうだった」
「統括主任の話しかしてませんでした」
「……え?」
「“蒼真は”“蒼真は”って」
蒼真は思わず黙る。
柊はそんな反応を見て、少し楽しそうに笑った。
「完全に刷り込みですね。初めて見たものを、母親だと思うヒヨコだ」
「人聞き悪いなあ」
「事実でしょう」
蒼真は否定できなかった。
十二歳まで閉じ込められて育った少年。
初めて手を差し伸べた大人。
それが蒼真だった。
だから蓮の世界は極端に狭い。
蒼真だけで構成されている。
柊はそれを知っているからこそ、時々怖くなる。
いずれこの少年は全てから蒼真を奪う。
多分、容赦なく。
「……柊?」
黙り込んだ柊を、蒼真が不思議そうに見る。
その無防備な美しい目に、胸が痛くなる。
この人はまだ気付いていない。
蓮から向けられている感情の重さにも。
自分が少しずつ絆され始めていることにも。
柊は小さく息を吐いた。
「何でもないです」
そう言って、自然に蒼真の肩へ手を置く。
蒼真がその手へ体重を預けた。
完全に、無意識だった。
「俺も、早く蓮のお見舞い行かなきゃな。明日の朝、時間空けるか」
柊の心臓がどくんと跳ねる。
この人は残酷だ。
こんなふうに無防備に寄りかかってくるくせに。
きっといつか、自分じゃない誰かを選ぶ。
それでも今だけは。
この熱を失いたくないと思ってしまう。
「柊、明日一緒に行こう。家まで車回してくれるか」
「もちろんです。……帰りましょう」
柊が低く言う。
蒼真は小さく頷いた。
二人並んで歩き出す。
静かな廊下。
無機質な白い光。
その背中を。
少し離れた監視カメラの死角から、蓮がじっと見ていた。
病室を抜け出して、施設内で繋がっているここまで来たようだ。
黒い瞳が静かに細められる。
その眼は、蒼真が柊に寄りかかった瞬間を、見逃さなかった。
なんか最後ホラーっぽいw
明日の朝は7時半過ぎくらいの更新でっす(´∇`)




