第65話 居住区画棟/2054/it rings too clear to say out loud
特別第七研究都市区画・研究員専用居住区は、病院棟より静かで、清潔だった。
TOKYO DEEP-9とは地下で繋がっているが、こちらは普通に地上に建造されているI.W.S.C.直属の超大型研究複合施設だった。
超高度医療施設も併設されていて、一般病院では治療不能なケースを扱うため、殆どI.W.S.C.職員専用病棟となっている。
今蓮が入院しているのもここである。
外科・神経同期治療・強化兵士調整も可能。
外観は白銀と黒ガラスで構成された巨大建築群。
複数の超高層棟が並び、上空から見ると円環構造になっている。
中央には巨大な人工庭園があり、夜になるとビル全体が淡く青白く発光する。
東京では有名な国際AI研究都市だ。
蒼真を部屋に放り込むと、端末のコール音と共に柊はさっさと出て行った。
(あれだけ人を混乱させるようなことばっかり言って……なんなんだあいつは)
深夜二時。
白い廊下を歩く蒼真の足取りは、ひどく不安定だった。
天井照明が網膜へ刺さる。
視界の端が滲む。
呼吸が浅い。
手が震える。
────もう、因子が切れている。
自覚した瞬間、胃の奥が痛んだ。
アレクシスと最後に接触してから、もう五日。
たった五日。
それだけでもうとっくに依存症になっている蒼真の身体は軋み始めている。
強化兵士────。
正式な記録にも残らない、人類改良計画の副産物。
AI統治時代へ適応するために造られた、“人間型演算端末”。
彼らの神経系は人工ナノ構造で最適化され、代謝機能すら通常人類とは異なる。
そして────。
ごく一部の第七世代適合者の体液には、高濃度の神経活性因子が含まれていた。
集中力の向上。
睡眠抑制。
認知速度増加。
疲労回復。
精神安定。
だが当然、代償がある。
強い依存性だ。
継続摂取による神経定着。
長期間接触した人間は、やがてそれ無しでは正常な恒常性を保てなくなる。
蒼真は十五歳の頃からアレクシスと接触していた。
やがて誰より近い理解者になったが、いつでも日本に居るわけではない。
極限環境下で生存性を発揮する第七世代強化兵士。
戦闘適合率、神経同期率、AI接続耐性。
あらゆる数値が異常値を叩き出す個体。
そのアレクシスはあの極寒の埠頭で、死にそうな顔をしていた少年に同情しただけだ。
無遠慮で、粗暴で。
けれど妙に優しかった。
『お前、また寝てねぇの?』
『ほっといてください』
『へえ。また死にそうな顔してんのに?』
だから蒼真は、気付かないうちに依存していた。
彼らの体液が猛毒にも等しい依存性を持つことを知りながら、甘えてしまった。
何の遠慮もなく子供らしく扱ってくれたのは彼だけだったから。
それに、激務をこなすためにも神経活性因子は蒼真には不可欠だった。
廊下の壁へ片手をつく。
視界が揺れる。
先ほど確認した端末には『明日日本に着く』という簡素な一文が届いていた。
(遅いんだよ……ばか)
耳鳴り。
喉が焼けるように渇いているのに、水では満たされない。
脳が別のものを求めている。
「……っ」
唇を噛む。
情けなかった。
自分が設計した管理社会の欠陥そのもののようだった。
その時。
「統括主任」
低い声がした。
振り向く。
仮眠室区画の入口。
薄暗い非常灯の下に、柊が立っていた。
軍服の上着だけ脱いでいる。
黒いTシャツが、筋肉の隆起を覆っている。
鋭い目が、蒼真の顔色を見た瞬間に細くなる。
「……また無理をなさったんですか」
「平気だよ」
「平気な人間は、壁伝いに歩きません」
静かな敬語だった。
だが、その声音には抑え込んだ苛立ちが滲んでいる。
柊はこちらへ歩み寄る。
逃げようとしたが、身体が言うことを聞かなかった。
肩を支えられる。
熱い。
その体温だけで、張り詰めていた神経が少し緩む。
「眠ってませんね」
「……眠れないんだよ」
柊は短く息を吐いた。
それから少しだけ視線を伏せる。
「……アレクシスですか」
蒼真の肩が微かに揺れた。
それだけで十分だった。
「やはり」
責める声ではなかった。
ただ、苦しそうだった。
「昔から、あの人が絡むと貴方は壊れそうになる」
「そ、んなことない」
「神経活性因子でしょう」
「!」
即答だった。
柊は乱暴に見えて、蒼真の崩壊だけはいつも正確に察知する。
「……十六の頃から見ていますから」
蒼真の個室の自動ドアが開く。
普段は高層集合住宅で休むため、ここにはめったに来ない。
ほぼ何もない薄暗い室内。
清潔だが使われている様子の無いベッド。
ブラインド越しの青白い都市の光。
柊は蒼真を半ば強引に中へ入れた。
「少し休んでください」
「命令っぽい」
「お願いです」
その言い方の方が、ずっと反則だった。
蒼真が黙る。
ベッドへ腰を下ろした瞬間、眩暈がして視界が揺れた。
そのまま前へ倒れかける。
柊が受け止めた。
「っ……」
軍人らしい硬い身体。
なのに抱き留める腕だけは、驚くほど慎重だった。
「……どうして、そんな顔をするんです」
柊が掠れた声で言う。
「貴方はいつもそうだ」
「……?」
「いつも、自分を消耗品みたいに扱う。そんなのは俺たち軍人の仕事です」
蒼真は答えなかった。
答えられなかった。
柊の腕の中は、思っていたより落ち着く。
危険だった。
こんなふうに安堵したら、また依存してしまう。
もう十分壊れているのに。
「統括主任」
いつもとは違うトーンで呼ばれる。
その声音だけで胸が痛む。
「俺は……」
柊が言葉を止める。
迷っていた。
この男がこんなふうに躊躇うのを、蒼真は初めて見た。
「……もう、あなたを見ているだけなのは、限界なんです」
低く落ちた声。
「アレクシスに縋るように生きて、少しずつ壊れていく貴方を」
蒼真の喉が詰まる。
「柊……」
「今さら遅いのは分かっています」
でも、と柊は続けた。
「それでも、触れたいと思った」
次の瞬間。
唇が重なった。
荒々しいのに、壊れ物みたいなキスだった。
蒼真の呼吸が止まる。
逃げるべきだった。
熱が、空白を埋めていく。
欠乏していた神経が、別のもので満たされていくみたいに。
柊の指が震えていた。
普段どれだけ冷静でも、この瞬間だけは隠し切れない。
長年押し殺してきた感情が滲んでいた。
蒼真は口内を好きに嬲られ、二人の唾液が混ざる。
(柊の神経活性因子……っすごく濃い……これ……ダメだ)
「……ぅあっ」
身体から枯渇していたものを強引に注ぎ込まれ、蒼真が激しく息を漏らす。
その音に、柊の理性が切れたみたいだった。
荒い呼吸を繰り返す蒼真に、額を押し付ける。
縋るように肩を抱く。
「お願いですから」
掠れた声。
「俺をもっと頼ってください」
その言葉が、致命的だった。
蒼真はずっと、自分は孤独で平気な人間だと思っていた。
演算できる。
切り捨てられる。
感情を制御できる。
そういう人間として自分を造り上げてきた。
しかしこんなふうに必死に抱き締められるだけで、全部崩れる。
柊の肩へ額を押し当てたまま、蒼真は目を閉じた。
遠くで警報ドローンが飛んでいる。
世界は相変わらず冷たい。
AIは休まず演算を続ける。
それでも、この部屋の中だけは。
二人分の、人間の熱が残っていた。
夜はまだ、終わりそうにない。




