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【BL】冷酷な最終兵器は俺にだけ執着する ーFalling into E.D.E.N ー  作者: 雨森ユキ


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第64話 深層階層接続室/2054/listen to the storm inside my chest

 



 接続室の空気は冷えているはずだった。


 地下深層特有の、無菌室めいた温度管理。


 それなのに蒼真は、自分の呼吸が妙に熱いことに気づいていた。


 白い接続室に残された静寂は、耳が痛くなるほど深かった。


 蒼真は壁際へ寄りかかったまま、ゆっくり息を吐く。


 疲れていた。


 脳が鈍く軋んでいる。


 徹夜続きの視界は霞んで、白色灯がやけに眩しかった。


「お前、何を言って────」


「分かりませんか」


 低い声だった。


 静かなのに、妙に耳へ残る。


 蒼真は眉を寄せる。


 本当に理解できない。


 蒼真は顔を上げた。


 柊がまだそこにいる。


 黒い影。


 冷えた横顔。


 何も変わらないように見えるのに、空気だけが違った。


 さっきからずっと、息が詰まるほど近い。


「……柊」


「はい」


「もう戻れ。今日は解散でいい」


「却下します」


 即答だった。


 蒼真が眉を寄せる。


「命令だぞ」


「聞く価値がありません」


「お前、最近ほんとに遠慮が無くなったな……」


 半分呆れたように言う。


 だが柊は動じない。


 ただ蒼真を見ている。


 その視線が妙に重くて、蒼真は落ち着かなくなる。


「……なんだ」


「あなたは今、自分がどんな顔をしているか理解してますか」


「は?」


「倒れる寸前です」


 蒼真は思わず笑った。


 乾いた、小さな笑い。


「それはいつものことだろ」


「全く笑えません」


 低い声が返る。


 ぴたり、と空気が張る。


 背中には硬い壁。


 目の前には柊。


 黒い戦術ジャケット越しに伝わる圧迫感が近すぎる。


「……柊」


 混乱した蒼真の声はわずかに掠れていた。


 柊一真という男は、感情抑制処理を受けている。


 I.W.S.C.戦術執行部隊、その中でも最上位適合者。


 過度な情動反応は判断精度を鈍らせるため、脳神経へ制御処理が施されているはずだった。


 恐怖、興奮、悲哀、憤怒、悦楽、恋愛感情────。


 少なくとも理論上はそういった“不要なノイズ”は、極限まで平坦化されている筈だった。


 しかし今、柊の瞳には明らかな熱がある。


 抑え込まれた激情が、ぶ厚い氷の下で軋んでいるように。


「お前は、感情制御を受けているだろ」


 蒼真は混乱したまま言った。


「その状態でこんな行動を取る合理性がない」


「理由ならあります」


「なんだ」


「あなたを止めるためです」


 けれど蒼真は納得できない。


 これは護衛対象への距離ではない。


 部下が上官へ向けていい視線でもない。


 近すぎて、もっと危ういものだ。


 理解できないからこそ、蒼真は目を逸らせなかった。


 柊はそんな蒼真を見下ろしている。


 凍てついた刃のような鋭い眼。


 だがその眼の奥だけが、異様に苦しそうだった。


「……昔、言いましたよね」


 不意に柊が呟く。


 蒼真が瞬きをする。


「あなたは、自分が死ぬことでしか世界を守れないと思っていると」


「……!」


「今も全く変わっていない」


 柊の言葉の一つ一つが重かった。


 長い時間、胸の奥へ沈め続けていたもののように。


 蒼真は何も言えない。


 柊のこんな顔を、知らない。


「いつもあなたは、誰にも頼らない」


 不意に柊の指が蒼真の(おとがい)へ触れた。


「……っ」


 冷たい手袋。


 だがその奥の熱が分かる。


 確かめるように軽く顔を上げられる。


 呼吸が混ざりそうな距離。


 指先がそっと頬をなぞる。


 蒼真は言葉を失う。


 図星だった。


 自分の戦略が作り出した地獄で死んだ子供を、モニター越しに見た十三歳の時からずっと。


 自分が壊れて死んだとしても誰かを、より良い世界の人々の暮らしを守れるなら、それでいいと思っていた。


 だが柊は、それを見抜いていた。


 まるで蒼真が壊れることそのものが耐えがたい苦痛であるかのように。


「柊、お前────」


 理解が追いつかない。


 柊の感情抑制処理は完璧なはずだった。


 蒼真自身が設計へ関わっている。


 例外なんて存在しない。


 それなのに。


 柊の感情は、その処理を突破している。


「あり得ない……はずだ」


 蒼真が呆然と呟く。


 柊は静かに蒼真を見ていた。


 その視線が痛いほど真っ直ぐで、蒼真は初めて、自分が“何らかの意図をもって見られている”感覚を理解した。


 ただの上官でも、統括主任でもなく、一人の人間として。


 柊の手が、壁についたまま微かに震えていた。


 怒りなのか、焦燥なのか。


 あるいは────もう隠しきれなくなった感情そのものなのか。


「……統括主任」


 低い声が落ちる。


 さきほどまでより少しだけ掠れていた。


「あなたは、人を狂わせる」


 蒼真の呼吸が止まる。


「神崎蓮も」


 黒い瞳が近い。


「E.D.E.Nも」


 さらに近づく。


 どこにも、逃げ場がない。


「……感情なんてもう無い筈の、俺でさえも」


 最後の声だけが、どうしようもなく人間的だった。


 蒼真は理解できない。


 感情抑制処理を超えてまで誰かを想うことなんて、理論上あり得ない。


 けれど、目の前の男は静かに壊れ始めていた。


 (そんな……俺のせい、なのか。どうして────?)


 柊は答えなかった。


 代わりに蒼真の額へ、自分の額をそっと押し当てる。


「っ……」


 一瞬、呼吸が止まる。


 体温の高い柊と、そうではない蒼真と。


 二人の温度はまるで違った。


 だが何故か蒼真の顔は赤くなり、心音まで聞こえそうだった。


「これ以上、自分を壊さないでください」


 低く掠れた声。


 静かな、懇願だった。


 その声を聞いた瞬間。


 蒼真の胸の奥で、何かが決定的に揺らいだ。




「……とりあえず、あなたも仮眠してください。居住区までお連れします」


「でも蓮の所へ行ってやらないと」


「俺の端末に面会謝絶だとメッセージが送られてきました」


「そんなに悪いのか!」


 走りだそうとする蒼真を柊ががっしりと止める。


「特にあなたと引き離すようにと。脳が興奮状態になって悪化するようですから」


「……そう、なのか……」


 蒼真の身体から力が抜けた。


 その隙を付いて、柊がひょい、蒼真を肩に抱え上げた。


「柊!?」


「仮眠してください」


 先ほどの言葉を繰り返して、柊は蒼真を抱え上げたまま歩き出した。

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