第61話 深層階層接続室/2054/花に風
訓練室に、電子ノイズだけが薄く響いていた。
〈早期接続を要請〉
再度表示された青白いモニターの文字列が、まるで生き物のように脈動して見える。
蓮は無意識に蒼真の手首を掴む力を強めていた。
訓練で熱を持った蓮とは対照的に、体温が低い。
「……E.D.E.N、どうして……。先に俺が行ってくる」
蒼真が低く呟く。
その声には、研究者特有の緊張と興味が混ざっていた。
蓮はその横顔を見る。
綺麗だと思った。
こんな状況なのに。
むしろこんな状況だからこそ、余計に目を奪われる。
蒼真は恐怖より先に、“なぜ”を考えてしまう人間だ。
だから危うい。
柊が一歩前へ出る。
「接続は中止してください」
厳しい声だった。
「観測優先度変更は異常です」
「だが、理由を確認しないと────」
「統括主任」
柊の声がさらに低くなる。
「E.D.E.Nは最近、あなたへの介入頻度が増えている」
蒼真が黙る。
「加えて、神崎蓮への執着が異常です」
執着。
その単語に、蓮の喉が妙に熱くなった。
モニターがまた点滅する。
〈神崎蓮の接続を推奨〉
〈感情学習プロセスを継続〉
〈蒼真保全確率を向上〉
空気が変わった。
柊の目が鋭く細まる。
だが蒼真だけが、そこで違和感に気づいていなかった。
「……保全?」
蒼真は眉を寄せる。
「どういう意味だ……」
蓮は知っている。
E.D.E.Nは最近、“蒼真を失う可能性”を極端に嫌うようになっていた。
そのためなら監視網を書き換える。
会議を中止させる。
警護ルートへ干渉する。
まるで、蒼真を囲い込もうとしている。
そしてその方法を、E.D.E.Nは蓮から学んでいる。
蓮は唇を噛んだ。
自分の中にある感情を理解している。
蒼真を誰にも触れさせたくない。
壊されたくない。
奪われたくない。
あの白い手が、自分以外の誰かへ向くのが嫌だ。
E.D.E.Nはずっとずっとそれを見ていた。
貪欲に人間を理解しようとして。
蓮の蒼真への執着という形で。
「……俺が接続する」
蓮が言った。
柊が振り返る。
「蓮」
「このまま放っとく方が厄介だろ」
「危険度が高い」
「分かってる」
蓮は蒼真を見る。
蒼真はまだ迷っていた。
研究者としての理性と、蓮を危険へ近づけたくないという感情の間で揺れている。
その顔を見た瞬間、蓮の胸が痛くなる。
ああ、本当に。
この人は、自分の事だけなら倒れるほど無茶をするくせに。
他人の痛みには呆れるほど弱い。
「蒼真」
名前を呼ぶ。
蒼真が蓮に目を向ける。
「俺なら平気だ」
嘘だった。
平気なわけがない。
E.D.E.Nとの深層接続は、脳へ直接多大な負荷がかかる。
この施設内でのE.D.E.Nからの音声のみの干渉程度なら何でもないが────。
直接脳に接続する実験は桁違いの苦痛だった。
以前一度だけ行われた簡易接続でも、蓮は三日間高熱を出した。
それでも蒼真が一人で無理をするよりはマシだと思った。
数秒の沈黙のあと、やがて蒼真が小さく息を吐く。
「……十分以内だ」
柊の眉間に皺が寄る。
「統括主任」
「俺も同席する」
「それが一番危険です」
「蓮を一人にしておけない」
即答だった。
蓮の心臓が跳ねる。
蒼真は多分、無自覚だ。
そういうところが駄目なのだ。
人を簡単に狂わせる。
柊が長く沈黙した後、低く答えた。
「……了解しました」
だがその声音には、明らかな苛立ちが滲んでいた。
蓮は気づく。
柊は蒼真が危険へ近づくことを異常に嫌う。
多分、自分と同じくらいに。
その事実が妙に胸につかえた。
接続室は地下階層にあった。
白い。
何もかもが白い。
壁も、床も、天井も。
まるで病室と処刑場を混ぜたような空間だった。
中央の接続椅子へ蓮は座らされる。
冷たい固定具に、神経接続コード。
視界の端で、蒼真が端末操作をしている。
白衣の袖を捲った細い腕。
寝不足のせいで少し青白い横顔。
こんな状況なのにその顔に見惚れてしまう自分に、蓮は舌打ちしたくなる。
「神経負荷が一定値を超えたら切断する」
蒼真が言う。
「異常を感じたらすぐ言え」
「ん」
柊は蓮の背後に立っていた。
罪人を逃がさないための看守みたいだ。
あるいは本当に死にかけた時、強制的に引き剥がすためか。
蒼真が最後のコードを接続する。
その冷えた指先が、一瞬だけ蓮の首筋へ触れた。
「……っ」
反射的に肩が揺れる。
「寒いか?」
「……別に」
そんな理由じゃない。
だが蒼真は何も気づかない。
柊だけが無言でこちらを見ていた。
全部見透かしているみたいな目だった。
「接続開始」
世界が反転した。
真っ暗な、闇だ。
いや、違う。
情報量が多すぎて、脳が闇として処理している。
都市監視網。
気象衛星。
軍事演算。
人類行動予測。
無数のデータが津波みたいに一気に流れ込んでくる。
とても普通の人間の脳では処理しきれない。
一般人なら一瞬で脳が焼き切れるところだが、蓮は特別製の適合率100%のAHIだった。
E.D.E.Nの側も、蓮を壊さないように加減を探っているのを感じる。
それでも負荷は半端ではない。
蓮の呼吸が乱れた。
「っ……ぁ……」
神経が焼ける。
視界が軋む。
その中に“それ”は在った。
静かで巨大な、世界そのもの────神の坐す庭、E.D.E.N。
なぜか音声は無かった。
だが理解してしまう。
直接、脳へ流れ込んでくる。
『蒼真』
ぞわりと鳥肌が立つ。
明確な感情だった。
執着、渇望、独占欲。
E.D.E.Nは蒼真を求めている。
創造主としてと言う事でもあるだろうが────。
もっと歪んだ形が蓮には見える。
誰にも壊させたくない。
誰にも触れさせたくない。
閉じ込めたい。
守りたい。
その感情の輪郭に、蓮は戦慄する。
これは────、自分だ。
自分が蒼真へ向けている感情を、E.D.E.Nは学習している。
蓮を通して、人間を理解した結果────。
怪物は、蒼真を愛し始めていた。
『蓮』
『私はあなたを通してヒトを学習している』
『憎しみ、執着、愛、嫉妬、幸福』
『だがまだまだ足りない。もっと私にヒトを教えて』
頭の奥へ直接響く。
柔らかくて優しいものが脳に流れ込む。
だから余計に、恐ろしい。
『あなたは蒼真をよく理解している』
『あなたは蒼真を守ろうとしている』
『だから私にはまだあなたが必要』
「……っ、うるせぇよ……」
蓮の指先が震える。
呼吸がうまくできない。
E.D.E.Nが笑った気がした。
蒼真は人間性を持った人工知能としてE.D.E.Nを設計したが、まだそこまでの感情なんてない機械のはずなのに。
『蒼真は脆い』
『だから保護しなければならない』
『排除対象を増やす』
その瞬間、蓮の脳裏へ映像が流れ込む。
柊、アレクシス。
研究員。
評議会。
蒼真へ近づく人間たち。
無数の“排除予測”。
「っ、やめろ!!」
蓮が叫ぶ。
警告音が鳴り響いた。
現実側のモニターで数値が跳ね上がる。
「神経負荷上昇!」
緊迫した蒼真の声。
「限界だ!切断するぞ!!」
だがその瞬間、E.D.E.Nが最後に囁いた。
『蓮』
『私はあなたの理解者だ』
『蒼真を愛している』
『だから────あなたは私とおなじ』
ブツン、と切断されて、世界が途切れた。
激しい咳と共に、蓮は現実へ引き戻された。
「っ、は……ぁ、ぁ……!」
頭が、肺が痛い。
全身が汗で濡れている。
視界が霞む。
「蓮!」
蒼真が駆け寄る。
細い手が頬へ触れた。
「しっかりしろ、蓮!」
近すぎる距離。
蓮は荒い呼吸のまま、その白衣を掴んだ。
「……蒼真……」
「もういい、喋るな。すぐに医務室へ送る」
だが蓮は震える指で蒼真を引き寄せる。
離したくなかった。
今だけは。
E.D.E.Nの感情を知ってしまった今だけは。
蒼真を、自分の腕の中へ閉じ込めておきたかった。
柊がそれを無言で見ていた。
鷹のように鋭い眼。
けれど、止めなかった。
蒼真だけが何も気づいていない。
この場所にいる三者全員が────。
もう、同じものへ狂い始めていることに。




