第47話 高層集合住宅/2052/陽の当たる場所
朝の光が、ガラスの壁面をゆっくりと滑り落ちていく。
高層階に位置するその居住区は、都市の上空に浮かぶ船のようだった。
外界と切り離された静寂と、選び抜かれた素材だけで構成された空間。
壁はほとんどが透明な強化ガラス。
床は光を柔らかく反射する淡い石材で統一されている。
家具は最低限にして、部屋を更に広く見せている。
無駄のない機能美。
それが、この場所のすべてだった。
バスルームの扉が静かに開く。
すでに身支度を整えた蒼真が、淡い照明が照らす廊下に出る。
シンプルな黒のシャツと、細身のパンツ。
余計な装飾はないが、質の良さだけは一目で分かる。
その手には、畳まれた衣服があった。
数秒遅れて、蓮がベッドルームから出てきた。
まだ眠気の残る目で、周囲を見渡す。
「……ここの物、全部お前のか」
「社宅だよ。結局仕事場の延長みたいなものだね」
蒼真は軽く答える。
蓮の視線が、彼が手に持った衣服へと向く。
「それ」
「君のだよ」
当然のように差し出される。
蓮は一瞬だけ動きを止めた。
「……用意してたのか」
「サイズは見れば分かる」
簡潔に言われた。
感情を乗せるでもなく、ただ事実を言っただけ。
だが────、整えられた折り目に、選ばれた素材。
そこには、蓮を人らしく扱おうという明確な意志があった。
蓮は黙ってそれを受け取る。
数秒、見つめたあと。
「……シャワー借りる」
短く言って、背を向けた。
熱い湯を浴びるとよりはっきり意識が覚醒した。
さっさとシャワーを終わらせて、着替えの最中。
白のリネンシャツと子供用の黒のカーゴパンツ。
肌に触れる布の感触が、妙に新鮮だった。
拘束衣でも、支給品でもない。
はじめて誰かが“自分のために選んだもの”。
(……くだらない)
そう思うのに、袖を通す手はどこか慎重だった。
リビングへ戻ると、蒼真は窓際に立っていた。
軽く笑みながら振り返る。
一瞬だけ、視線が止まった。
「……似合うね」
落ち着いた、淡々とした声。
だが、その言葉には評価以上の柔らかい何かが含まれていた。
蓮は小さく舌打ちする。
「どうでもいい」
そう言いながらも、わずかに目元を赤くして視線を逸らす。
「……今日は、俺の職場でE.D.E.Nに会ってもらおうと思うんだけど、どうかな?」
「分かった」
蓮は軽く引き受けた。
「えっ」
「……何だよ」
「嫌がられるかなーって思ってたから、意外でさ」
「そいつに関わらないんじゃ、俺の存在意義が無くなるだろ」
「……」
その後、二人はコンシェルジュが届けに来た軽食を少し食べ、コートを着込んで部屋を出た。
エレベーターを降りると、そこはまったく別の空間だった。
外界へと接続された、移動用のプラットフォーム。
自動ドアが開くと、外気が流れ込む。
都市の風と、匂い。
雑踏のざわめき、沢山の車両がはしる音。
すべてが一気に現実を押し付けてくる。
風は冷たく息も白くなるが、もう雪は止んで明るい青空が見えている。
(これが……外の世界)
人々が活発に活動する昼間の街は、昨夜見た印象とはまるで違う。
まだ呆然としている様子の蓮を、蒼真が気遣う瞳で見る。
その時、昨夜の黒塗りの車両が二人の前に停まった。
無駄な装飾はないが、明らかに一般のものとは違う。
滑らかな曲線、継ぎ目のないボディ。
そして、それを運転している男。
「時間通りだな」
アレクシスだった。
黒のスーツで完璧に整えられた立ち姿。
朝の光に金の髪が輝く。
薄氷の瞳には、一分の隙もない。
蓮は無言でその男を見た。
昨日と同じように見えるが、どこか違う。
男の“監視”としての気配が、より濃密になっている。
蓮にもE.D.E.Nに対しても、警戒していることを隠そうともしない。
「乗って」
蒼真が短く言う。
蓮は黙って車に乗り込んだ。




