第44話 再開発都市・湾岸沿い高層集合住宅/2052/ホワイトアウト
黒い車が東京湾岸に到着したとき、すでに夜はすっかり深くなっていた。
だが東京の都市は眠らない。
むしろ、ここからが本来の姿だと言わんばかりに、そこら中に人工の光が溢れている。
海沿いに広がる再開発区域────。
ガラスと鋼で構成された高層群が、規則正しく並び立つ。
それぞれが独立しているようで、どこかで連結されている。
機能と機能が接続され、ひとつの巨大な生態系を形成している。
蓮は無意識に息を止めていた。
第十三研究棟の狭い個室とは、比べるまでもない。
閉じ込められていた世界に比べて、あまりにも広い。
頭上に天井ではなく、雪空がある。
広い、道路に続く都市がある。
沢山の人間に、選択肢が存在しているように見える。
海に面した超高層マンション。
車はその中の一棟へと滑り込む。
外壁は全面ガラス張りで、内部の光がそのまま外へ滲み出している。
まるで巨大な発光体のように、夜の海に浮かんでいる。
エントランスは広く、静かだった。
人の気配はあるのに、雑音がない。
洗練されすぎた空間は、逆に現実感を希薄にする。
アレクシスは無言で先を歩く。
その背中を追いながら、蓮は周囲を見渡す。
彼以外にはどこにも、監視の“露骨な気配”はない。
だが、完全に自由だとも思えない。
見えない網とも言うべきもの。
それが、この場所には張り巡らされている。
エレベーターが静かに上昇する。
数字が変わるたびに、地面から遠ざかっていく感覚。
やがて最上層付近で停止する。
扉が開く。
広い廊下の奥にひとつだけある扉。
蒼真が、その前で立ち止まる。
「ここだよ」
顔認証で鍵が開く。
室内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
窓一面に広がる夜景。
湾岸の光が、水面に反射して揺れている。
海上を通り、遠くまで続くアクアライン。
滑らかに伸びていく車たちの光。
すべてが連続していて、止まらない。
“世界が動いている”という実感。
蓮は、その場から動けなかった。
ただ、見ている。
これまで一度も持ったことのない感覚が、胸の奥でゆっくりと広がっていく。
蒼真は、そんな彼を横から見ていた。
何も言わず、ただ、そこにいる。
その距離に、安堵を覚えてしまった自分の弱さと無力さとを蓮は恥じた。
触れてはいないのに、存在がはっきりと感じられる。
「……ひとりじゃ、無駄に広いだろ」
「君が来てくれて良かったよ」
ようやく、蒼真の静かな声が落ちる。
蓮は答えない。
代わりに、わずかに頷く。
言葉にすると壊れそうだった。
この瞬間の感覚を忘れたくなかった。
だから、黙ったまま────。
ただ、隣にいる存在を、意識する。
この世界へ連れてきた張本人。
理解できない。
信用も、まだできない。
それでも。
あのとき握った手の感触と、目を逸らしても優しい眼差しが、蓮の脳裏から離れない。
アレクシスは、すでにいなかった。
いつの間にか、気配ごと消えている。
広すぎる空間の中で残されたのは、二人だけ。
静かに、しかし確実に。
何かが芽生えかけていた────。




