第42話 第13研究棟/2052/怒りと憧れと
日本某所の山中にある第十三研究棟は、降り続く雪に半ば埋没していた。
外壁は本来、無機質な光沢を帯びた素材で構成されているはずだが、降り積もった雪の層によって輪郭は鈍り、建造物というよりも“地形”に近い存在へと変質している。
直線であるべき輪郭が、曖昧になる。
角は丸く隠され、境界は溶ける。
それでもなお、完全には消えない。
内部にある機能が、形状の崩壊を拒んでいるかのように、構造の芯だけがかろうじて浮かび上がる。
蒼真は足を止めた。
視線を上げる。
白一色の世界の中で、その建物だけがわずかに“重苦しい”。
物理的な質量ではなく、もっと別の────蓄積された時間や、内部で繰り返された出来事の総量のようなものが、沈殿している。
ここは、ただの研究施設ではない。
外観から読み取れる情報は限られている。
だが、限られているがゆえに、削ぎ落とされた要素が逆に本質を浮かび上がらせる。
装飾はない。
象徴もない。
I.W.S.C.の理念を示すような意匠すら排除されている。
だが蒼真は、その徹底ぶりにわずかな違和感を覚える。
合理性が極まるとき、それはしばしば目的を隠蔽する。
何をするための場所なのか。
その答えを外部から読み取らせないための、意図的な“無記名性”。
雪が降り続く。
粒子は細かく、風もほとんどない。
静止しているかのように落ちてきて、肌に触れた瞬間だけ、わずかに存在を主張する。
単調で、終わりのない動き。
蒼真はそれをしばらく眺めていた。
理由はない。
ただ、視線がそこに留まる。
そしてふと、思考が別の方向へ滑る。
この建物の内部でも、同じように何かが繰り返されているのだろうか、と。
単調で、断続的で、しかし確実に蓄積していく何か。
外からは見えない過程。
結果だけが、やがて表面に現れる。
それは雪に似ている。
静かで、無害に見えるが、気づけば景色を覆い尽くす。
その比喩が、妙にしっくりくる。
蒼真は小さく息を吐いた。
白く濁る吐息はすぐに消える。
この環境では、痕跡は長く残らない。
それは安心材料でもあり、同時に不穏さの源でもある。
足元に視線を落とす。
自分の足跡が、雪の上に刻まれている。
規則的な間隔。
一定の深さ。
そこに迷いはない。
だが、その後ろに続く線を見たとき、わずかに思う。
────ここから先、同じように進めるのか。
問いは曖昧で、言語化されない。
しかし確かに、内部で生じている。
蒼真は再び顔を上げた。
第十三研究棟。
その名称は、単なる識別番号に過ぎない。
だが今、この瞬間において、それはひとつの“境界”として機能している。
外と内。
観測する側と、される側。
その区分が、ここで反転する可能性。
彼はそれを、まだ明確には認識していない。
ただ、予感のようなものがある。
数値化できない、説明もつかない微細なずれ。
それでも、無視するにはわずかに大きすぎる。
雪は止まない。
世界は静まり返っている。
その中心に、この建物がある。
蒼真は一歩、踏み出した。
足跡が、もうひとつ増える。
白の上に刻まれたその痕跡は、すぐに次の雪によって覆われていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
だが、確かにそこを通過したという事実だけは、どこかに残る。
目には見えない形で、消えない記録として。
そして彼は、何のためらいもなく扉へと向かう。
雪は、音を奪う。
第十三研究棟の外壁に沿って降り積もる白は、世界の輪郭を曖昧にし、すべての出来事を“消失”させる装置のように機能していた。
振動は吸収され、足音は沈み、存在は希薄になる。
その日、蓮は観察室の隅に立っていた。
いつもの姿勢、いつもの無表情。
だが内側では、環境の変化を細かく拾い上げている。
気温の低下、人員の動線の偏り。
外部からの来訪者があるとき特有の、わずかな“秩序の乱れ”。
やがて外へと繋がる扉が開いた。
空気が入れ替わる。
冷気とともに、異質な存在が侵入してきた。
氷雪をまとわせた藍墨のモッズコートを脱ぎもせず、足早にこちらへ歩いてくる。
視線に迷いがない。
そして何より────。
“被験体を観る目”ではなく、“蓮の存在を認める目”をしている。
蓮はその瞬間、わずかに認識を遅らせた。
男に対する分類が一拍、遅れる。
蓮にしては珍しい現象だった。
その理由を、脳は即座に解析しようとする。
まず目に入ったのは、均整の取れた細身の体だった。
美しい顔立ちの、まだ若い男。
長いまつ毛の落とす影のわずかな揺らぎが、かえって全体の調和を強調している。
雪のように冷ややかな光を宿した瞳は、無機質でありながらどこか生々しい。
(────綺麗だ)
その評価は、無意識に思考の表層に浮かび上がった。
だが同時に、蓮はそれを異物として打ち消す。
この環境において、審美は不要な機能だ。
むしろ判断を鈍らせるノイズでしかない。
にもかかわらず、視線が男に固定される。
時間にして、おそらくコンマ数秒。
それだけで十分だった。
自分の内部に“何か”が発生したという事実。
それを、彼ははっきりと自覚する。
不快だった。
理由のない介入。
制御不能の揺らぎ。
それをもたらした対象────蒼真は、無言でこちらを見ている。
ただ、まっすぐに。
蓮を“見る”。
その視線は奇妙だった。
値踏みでも、評価でもない。
かといって、同情でもない。
意味を持たないはずの“関心”だけが、そこにある。
蓮の内側で、何かが軋む。
即座に、防衛反応が立ち上がる。
「……何しに来た」
声は低く、乾いていた。
敵意を隠すつもりはない。
むしろ、それを明確に提示することで、関係性を固定する。
観察者と対象。
加害者と被験体。
その枠組みの外に出ることは、蓮の立場では許されていない。
男は蓮の目の前で足を止める。
「やぁ、はじめまして」
穏やかな声。
「君がナンバー09、神崎蓮か」
滅多に呼ばれることは無かった名前で呼ばれて内心動揺したが、蓮は黙ったまま答えない。
思わず目の前の若い男を睨みつけた。
感情は完全に制御出来ていたはずなのに、この人物を一目見た時から、その機能はなぜか働かない。
蓮の視線には明確な敵意があった。
「……お前、誰だ」
口調にも、刺々しいものが混じる。
男は少しだけ笑った。
「俺は桐生蒼真。人類管理AI、E.D.E.Nの開発責任者だよ」
一瞬、部屋の空気が変わった。
蓮の目が険しくなる。
「……E.D.E.N?」
蓮がこんなところに閉じ込められている元凶。
「……ああ」
蓮は吐き捨てた。
「人間を家畜みたいに管理するシステム」
「気持ち悪いんだよ」
その言葉に、蒼真は一瞬だけ黙る。
怒らない。
否定もしない。
ただ真っ直ぐに蓮を見る。
「君は」
蒼真が言う。
「ここから出たいか?」
蓮は目を細める。
「……は?」
「出たいかって聞いてる」
一瞬だけ気圧された後、蓮は声を絞り出した。
「出たいに決まってるだろ」
「でも無理だ」
「俺たちは実験動物だからな」
蒼真はポケットから小さな端末を取り出す。
画面に触れる。
その瞬間────、
蓮の首につけられていた拘束リングが音を立てて外れた。
床に落ちる。
蓮の目が見開く。
「……は?」
蒼真は言った。
「今なら出られる」
「俺が許可した」
蓮はゆっくり立ち上がる。
そして────、蒼真の胸ぐらを掴んだ。
「……ふざけんな」
吐息がかかる距離で、蓮はうまく言葉にならない怒りをぶつけた。
「なんで……、今さら」
「助けるんだよ」
蒼真は逃げないまま、蓮を見ている。
「君は」
静かな声。
「特別だからだ」
蓮の眉が動く。
「E.D.E.N計画は」
蒼真が言う。
「未来の人類を管理するAIだ」
「だがその肝心のAIはまだ完成していない」
蓮は蒼真を睨む。
「……それが?」
蒼真は答える。
「君が必要なんだ」
「君の脳波、思考、判断能力────」
「君は」
少し間を置いて────続ける。
「うちのE.D.E.Nと同調できる唯一の人間なんだ」
蓮は押し黙る。
そして。
ドンと音を立てて蒼真を壁に押しつけた。
「……つまり」
低い声。
「お前も俺を使って実験したいって事だろ」
蒼真は少し困ったように笑った。
「違うよ。俺は君に、協力してほしい」
「断ったら?」
「その時は」
蒼真は肩をすくめる。
「普通に逃げればいい。この施設がある山を、10分は散歩できるかもな。……監視付きで」
嘘を探すように、蓮は蒼真をじっと見つめる。
蒼真の目は静かだった。
「……結局、俺に選択肢なんて無いじゃないか」
胸元を掴んでいた手を離す。
「なんでわざわざ責任者のお前が来た。人を使って俺を移送させればいいだろ」
蒼真は少しだけ視線を落とす。
「君のデータを見たとき、思ったんだ。……まぁ、最低限の事しか書いてなかったが」
蓮は眉をひそめる。
蒼真は静かに言う。
「この子は、ここに閉じ込めるべき人間じゃない」
「もっと広い世界を見るべきだ、ってね」
「……!」
蓮は固まった。
今まで、一度も。
誰にも言ったことが無い、憧れ。
渇望を言い当てられて、身体が震えだす。
蒼真は続ける。
「だから、迎えに来たんだ」
「俺と一緒に行こう」
しっかりと視線を合わせて、手を、差し伸べられる。
あまりにも無防備な動作だった。
防護も、警戒もない。
指先が触れる。
確かな、生の温度。
考えるより早く蓮はその温かい掌に、自分の手を重ねていた……。
……そしてここから、すべてが始まる。
またもや体調不良で更新できなかったよー(´;ω;`)
コロナでもインフルでもないのに三日も38度以上の高熱出やがんの……最悪……
なんとか毎日更新して早く完結させたいけど
気力と体力が……やばい(*_*;




