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【BL】冷酷な最終兵器は俺にだけ執着する ーFalling into E.D.E.N ー  作者: 雨森ユキ


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第128話 高層集合住宅/2055/痛みのあと、月のノイズ

 



 土曜日の朝、街がまだ眠気を残している時刻には、地下訓練区画だけが別世界のような緊張感に満ちていた。


 天井へ等間隔に埋め込まれた照明が白く床を照らし、金属製の壁には無数の傷跡が刻まれている。


 蓮は額から流れ落ちる汗を手の甲で拭った。


 息は乱れている。


 それでも足は止めない。


「構えが甘い」


 低く落ち着いた声と同時に、木刀が視界から消えた。


 咄嗟に防御へ移る。


 重い衝撃が腕を痺れさせる。


 踏み込み、斬り返す。


 軽く受け流される。


 床を蹴る音だけが広い空間へ乾いて響いた。


 昨日までなら食らっていた軌道を、今日は紙一重で避けられるようになっている。


 それでも柊との距離はまるで縮まらない。


 速い上に正確で無駄がない。


 戦うためだけに身体という器を完成させた人間とは、こういう存在なのだと嫌でも思い知らされる。


 午前中だけで何度床へ転がされたのか数えることもやめていた。


 短い休憩を挟み、訓練は午後も続く。


 木刀から模擬ナイフへ、その後は徒手格闘。


 さらに射撃姿勢まで確認される。


 全身の筋肉は悲鳴を上げていた。


 それでも蓮は弱音を吐かなかった。


 蒼真を守れる力が欲しい。


 その願いだけが痛みよりも何よりも強かった。


 模擬ナイフを握り直した時、不意に悠馬の笑顔が頭をよぎる。


 無邪気に笑う横顔。


 柊とどこか似た目元。


 あの二人は、本当に何の関係もないのだろうか。


 考えがそこへ触れた刹那、銀色の刃が頬のすぐ脇を風のように駆け抜けた。


 鋭い痛みが走る。


 数本の髪が宙へ舞い、頬へ細い赤い線が浮かび上がる。


 あと数センチ深ければ、顔面を切り裂かれていた。


「よそ見をするな」


 柊の瞳には一切の揺らぎがなかった。


「実戦なら死んでいる」


 蓮は頬へ触れる。


 指先へ滲んだ血がわずかに付着した。


「……悪い」


「謝罪はいらない」


 柊は模擬ナイフを下ろさない。


「集中できないなら出ていけ。ここは考え事をする場所じゃない」


 容赦ない厳しい言葉だけが落ちてくる。


 だが、その言葉には侮辱も感情的な怒りも含まれていなかった。


 ただ生き残るための事実だけを告げている。


 蓮はゆっくり息を整えた。


 視界から雑念を追い出す。


 悠馬のことも、二人は兄弟かもしれないという疑問も今だけは捨てる。


 蒼真を守る。


 その目的だけを胸へ残した。


「……もう一回だ」


 先ほどより低く構え直す。


 重心を落とし、視線は肩ではなく腰へ置く。


 柊の口元がわずかに動いた。


 言葉は無い。それでも修正した点には気づいている。


「来い」


 床を蹴る。


 激しい衝突音が訓練場へ何度も響き渡った。



 ◇



 同じ頃。


 I.W.S.C. 東アジア中央統合研究管理局・特別第七研究都市区画E.D.E.N統括開発室。


 TOKYO DEEP-9とはまた別の、蒼真の執務室だ。


 もっともそれぞれの棟は地下で繋がっているので行き来はすぐにできる。


 窓の外では休日とは思えない数の航空ドローンが都市上空を巡回している。


 蒼真は一枚の報告書を静かに閉じ、深く椅子へ身体を預けた。


「……まさか、こうなるなんて」


 机上へ置かれたファイルの表紙には簡潔な文字が並ぶ。


 接触対象────柊悠馬。


 学校生活観察報告。


 報告内容は簡潔だった。


 蓮と悠馬が自然な形で交流を開始。


 互いに警戒心は薄れつつあり、継続的な接触が見込まれる。


 その数行だけで十分だった。


 蒼真は眉間を押さえ、小さく息を漏らす。


「よりによって、この子なのか……」


 大体柊の弟があの学校に通っていること自体が偶然とは思えない。


 その上何千人もいる生徒の中から、蓮が選んだ最初の相手。


 それが柊の実弟。


 弟を含め、過去の記憶を完全に失った兄と、兄を知らずに育った弟。


 そして、その事実に気付きかけている蓮。


 糸を何本も絡め合わせたような運命が、静かに動き始めている。


『統計的に偶然と判断するには確率が低すぎます』


 空間へ淡い光が広がる。


 E.D.E.Nの青白い小さな光のホログラムが蒼真の隣へ現れた。


『観測対象同士が短期間で接近する事象としては異常値です』


「分かってる」


『人為的介入の可能性を否定できません』


 蒼真は静かに目を閉じた。


 また、セブンの誰かの企みなのか。


 E.L.Y.S.I.Aもラザロスも一向に見つからない。胸騒ぎが消えない。


 蓮には口止めをしたが、それなりに悩んでいるだろう。


 悠馬はまだ、何も知らない。


 柊だけは、知ることさえ許されていない。


 記憶を消去され、改造された強化兵士が己の過去と関わるのは、評議会の規約違反だからだ。


 最悪の場合、兄弟二人の消去もあり得る。


 その均衡は、あまりにも危うかった。


『蒼真』


「うん」


『私は不安です』


 珍しく感情を滲ませたAIの声だった。


『このまま接触が続けば、予定より早く真実へ辿り着く可能性があります』


 蒼真は窓の向こうへ視線を向ける。


 夕焼けに染まり始めた都市は穏やかで美しかった。


 だからこそ、その静けさが嵐の前触れに思えてならない。


「……運命なんて信じない主義だったんだけどね」


 蒼真が苦く笑う。


「誰かが悪意を持って盤面を並べ替えているとしか思えないよ」


 その時、執務室の通信端末へ、優先度最高を示す赤いランプが音もなく点灯した。

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