第126話 第零居住区画/2055/青春はサイダーの弾ける音と共に
駅前の雑踏を抜けると、夕暮れの色は少しずつ藍へ溶け始めていた。制服姿の学生たちが思い思いの寄り道を楽しむ中、蓮だけは周囲の喧騒から半歩外れた場所を歩いているつもりだった。ところが隣には相変わらず悠馬がいて、その距離だけは不思議なくらい自然だった。
「そういや、お前ゲームやったことある?」
「訓練用シミュレーターなら」
「いや、それ絶対なんか違うガチのやつだ……」
悠馬は額を押さえて笑う。
「敵倒すんじゃなくて、景品取ったり、音ゲーしたり、レースしたりするほう」
「非効率だな」
「そこを楽しむんだよ」
「理解できない」
「理解するために行くんじゃん」
理屈が一周しているようで妙に筋が通っている。蓮は反論を探したものの、言葉は見つからなかった。
駅前のゲームセンターから電子音が漏れてくる。
入口では高校生が歓声を上げ、クレーンゲームの大きなぬいぐるみを抱えて笑っていた。
蓮はその光景を眺める。
笑う理由が分からない。
それでも、不快ではなかった。
「入るぞ」
「まだ行くとは言ってない」
「断るならさっき駅で別れてる」
悠馬は振り返って片目を細める。
「ちゃんとここまで付いてきたじゃん」
言われて初めて気づく。
確かに帰る機会はいくらでもあった。
けれど歩き続けたのは自分だった。
その事実だけが少しだけ胸に引っ掛かった。
ゲームセンターの中は眩しかった。
色とりどりの照明、電子音。
勝利を告げるファンファーレ。
何もかもが蓮には未知だった。
「うるさい」
最初に漏れた感想へ悠馬は吹き出す。
「だろ? 三十分いたら慣れる」
「慣れたくない」
「そう言うと思った」
迷いなく電子決済で買ったコインを投入すると、画面の中で小さなキャラクターが走り始める。
「ほら」
「俺はやらない」
「見てるだけでもいいよ」
蓮は腕を組み、その様子を眺めた。
画面の中では失敗しても誰も死なない。
勝っても何も変わらない。
効率だけを考えれば意味のない遊びだった。
それでも周囲の人間は皆、楽しそうに笑っている。
蓮には理解できない世界だった。
だからこそ少しだけ興味が湧いた。
ゲームセンターを出ると、外の空気は店内よりずっと静かで冷えていた。
耳の奥で鳴っていた電子音が遠ざかり、夕暮れの街のざわめきだけが残る。
悠馬は腕時計をちらりと見て笑った。
「よし、まだ八分ある」
「何の話だ」
「約束。本屋十分」
「ああ」
蓮はそこで思い出す。
ゲーセン一回、本屋十分、最後にアイス食ってジュース飲んで帰る。
それで解散。
そんな妙な条件だった。
駅前の商業施設の二階。
今では珍しくなった大型書店は、木目の棚と紙の匂いを残したまま営業を続けていた。
自動ドアが開いた途端、インクと新しい紙が混ざった香りが静かに鼻先をくすぐる。
蓮は足を止めた。
「……紙の本」
思わず漏れた声に、悠馬が振り返る。
「お、やっぱこういうの好き?」
「電子書籍のほうが効率はいい」
そう答えながらも、蓮の視線は棚から離れなかった。
整然と並ぶ背表紙。
指先で紙をめくる音。
静かな店内を流れる落ち着いた音楽。
研究施設にも本はあった。
だが、それらは資料だった。
読むためではなく、調べるためのもの。
ここにある本は違う。
誰かが楽しむために並べられている。
それだけで、不思議な世界だった。
悠馬はそんな蓮を急かさない。
漫画コーナーを眺めたり、文庫を手に取ったり、気ままに店内を歩いている。
「お」
一冊の小説を見つける。
「これ、映画になるやつだ。神崎読んでみたら?」
「面白いのか」
「俺はまだ読んでない……つーか本自体あんま興味ない」
「……読まないのに俺には薦めるのか」
「表紙が面白そうだから」
「基準が雑だな」
「本との出会いなんて最初はそんなもんだろ」
悠馬は肩を竦める。
蓮は小さく息を吐いた。
理解できない。
けれど嫌いではない。
ふと科学書の棚へ目を向ける。
そこには量子情報工学や人工知能、神経科学の専門書まで並んでいた。
思わず一冊を手に取る。
反射だった。
ページを開き、数式へ目を走らせる。
「やっぱ本、好きなんだな」
悠馬の声が横から聞こえる。
蓮は顔を上げる。
「好き……なのか」
「好きじゃなきゃそんな顔しないよ」
自分はいったいどんな顔をしていたのか。
言われて初めて気づく。
無意識だった。
自分は今、この本を手に取って読もうとしていた。
誰かに命じられたわけでもなく、成績のためでもない。
その事実が少しだけ胸をくすぐった。
店内放送が静かに流れる。
悠馬が腕時計を見る。
「そろそろ十分だな」
「意外と律儀だな」
「約束だから」
そう言って本を棚へ戻す姿に、蓮はまた少しだけ不思議な気持ちになる。
些細な約束を、こんなにも大切にする人間がいる。
二人は店を出る。
夕焼けはさらに色を深め、商店街の照明がゆっくり灯り始めていた。
「最後」
悠馬がコンビニを指差す。
「アイスとジュース」
「ちゃんと全部回るんだな」
「言ったろ。コンビニで解散」
コンビニに入ると冷気が頬を撫でた。
悠馬はアイスケースの前で真剣な顔になる。
「これ毎回迷うんだよな」
「どれでも同じだろ」
「全然違う」
「……」
「幸せな選択の話ってやつだよ」
その返事に蓮は首を傾げた。
以前蒼真や柊と喫茶店に入った時の感覚を思い出す。
あの時はほとんど蒼真しか見ていなかったのでどれを選んで食べるかはおざなりに決めた。
普通の学生はアイスを一個選ぶだけで幸せになれるのか、と不思議な気持ちになる。
悠馬は散々悩んだ末に結局定番のバニラを取り、蓮には期間限定のミルクアイスを勝手に籠へ入れる。
「俺はいらない」
「まぁまぁ、これも経験だって」
「……不要な経験だ」
「今日は俺が案内役」
結局、蓮は何も言い返せなかった。
最後に悠馬は冷蔵棚からキャップが大き目の、二本の派手な色の炭酸飲料を取りだして、会計を済ませる。
イートインコーナーに蓮を呼び寄せて座ると、悠馬は嬉しそうに笑った。
「約束全部達成~!」
炭酸飲料のボトル一本を蓮へ放る。
蓮は自然に受け止めた。
アイスの袋を開ける音と、炭酸のキャップが弾ける軽い音が重なった。
その何気ない放課後は、蓮が初めて「誰かと過ごす時間は、効率だけでは測れない」と知る始まりになろうとしていた。
「炭酸飲んだことある?」
「……記憶にない」
「じゃあ人生初かもしれないな」
悠馬が笑いながら飲み始める。
蓮も恐る恐る真似をして口へ運ぶ。
舌先を刺激する細かな泡に思わず目を瞬かせた。
「……痛い」
「痛いじゃなくて爽快って言うんだよ」
「爽快とは思えない」
「……ぶはっ」
悠馬は肩を揺らして笑う。
その笑い声につられるように、蓮の口元もほんのわずかに緩んだ。
本人だけが気づいていないほど小さな変化だった。
「今、笑った」
「……」
「いや絶対笑った」
「……アイス、溶けてるぞ」
「あっ」
「……甘いな、このアイス」
「アイスと炭酸、くーっ、これだよやっぱ」
「……お前おっさんくさいな」
そんな他愛もない言い合いを続けながらコンビニに居た時間は、不思議なくらい短く感じられた。
コンビニから出た二人は夕暮れに包まれる。
遠くで踏切が鳴った。
茜色はゆっくりと濃い藍色に沈み、街灯が一つ、また一つと灯り始める。
蓮は飲みきれなかった炭酸のボトルを握ったまま空を見上げた。
こんな放課後は知らない。
誰かと並んで歩く帰り道も、意味もなく笑い合う時間も。
時間の無駄だ。そんな冷たい考えが頭をよぎる。
それなのに胸のどこかで、この時間が終わってほしくないと思っている自分もいた。
その小さな変化に蓮自身はまだ名前を付けられない。
そして数十メートル先の交差点で、黒いセダンが静かに路肩へ停車し、スモークガラス越しに二人の姿を見つめる視線があることも、まだ蓮は気づいてはいなかった。
なんか二か月前からずーっと
この話書きたかったんですよね~。
なんでか知らんけどw
タイトルまで決まってた~珍し~。
いつもギリギリになってもう
なんとか出来……た……状態なのにw




