第124話 私立黎明統合学院/2055/春の兆しと花吹雪
昼休みの終わりを告げる予鈴が校舎へ溶けるように響き、教室はまだ食後の緩んだ空気を引きずっていた。誰かが笑い、誰かが机を寄せ合い、購買のパンを頬張る生徒たちの声が春の陽射しと混ざり合う。
その喧騒から切り離されたように、窓際の最後列だけは静かな時間が流れていた。
神崎蓮は文庫本を膝へ置き、静かにページを捲る。
電子端末が当たり前になった時代に、紙の本を持ち歩く生徒は珍しい。
指先が紙の繊維を滑るたび、さらりと零れた黒髪が白い頬へ影を落とす。
横顔は息を呑むほど整っていた。
春の光を受けた肌は雪を削ったように白く、伏せられた睫毛は長い。感情を表へ出さない涼やかな表情は人形じみているのに、不思議と冷たさだけは感じさせなかった。
どこか儚く、触れれば壊れてしまいそうな危うさがある。
だから誰も近寄れない。
転入して二年。
神崎蓮という少年は学校中で知らない者がいない存在になっていた。
学年首位を譲らない成績。
体育でも目立つ身体能力。
教師に対しても必要以上に媚びず、誰にも迎合しない距離感。
昼休みは読書し、放課後は誰とも遊ばず帰宅するため、笑顔を見た者はほとんどいない。
最初の頃は女子生徒たちが休み時間のたびに窓際へ集まり、その美貌を話題にしていた。
やがて皆、同じ結論へ辿り着く。
話しかけても最低限の答えは返すが会話が続かない。
一向に、その先へ進めない。
蓮は人を拒絶しているわけではない。
誰も自分の内側へ入れようとしないだけだった。
男子も興味本位で話しかけたことはある。
それでも数日もしないうちに離れていく。
壁があるのだ。
目には見えない透明な境界線が、いつも蓮の周囲だけ静かな空白を作っていた。
もっとも、その境界線を面白がる少年が一人だけいた。
新学期が始まってから三日目。
朝の登校中、校門近くで一年生が階段から転び、教科書を盛大に散らかしたことがあった。
誰もが遅刻を気にして通り過ぎる中、一人だけ足を止めた生徒がいる。
神崎蓮だった。
無言で教科書を拾い集め、一冊ずつ汚れを払い、相手へ手渡しただけで立ち去ってしまった。
礼を言われても振り返らず、まるで最初から何事もなかったかのように。
その光景を少し離れた場所から見ていた。
変なやつだ。
第一印象はそれだった。
冷たいと思われているくせに、本当に困っている人間だけは見過ごせない。
誰にも気付かれないように優しさを置いていく。
その背中が妙に気になった。
それ以来、少年は教室で何度となく蓮を目で追うようになった。
授業中は全然教師の話を聞いていないくせにあてられると答えは完璧。
体育では無駄なく身体を動かす。
昼休みはいつも一人。
一日中笑わない。
それなのに校庭の隅っこで眠る野良猫を見つけた日は、本当に一瞬だけ口元が緩んだ。
誰も気付いていなかった。
あの笑顔を、もう一度見たい。
理由は自分でも分からない。
だから今日も足が勝手に窓際へ向かっていた。
「なあ」
机へ細長い影が落ちる。
蓮は本から目を離さない。
「……何」
「それ面白い?」
穏やかな声だった。
蓮はゆっくり視線を上げる。
逆光の中に立つ少年がいた。
短い黒髪は春風を受けて軽やかに揺れ、制服も着崩しすぎない絶妙な加減で着こなしている。背筋は真っ直ぐ伸び、長い手足には余計な力が入っていない。その立ち姿には、青葉を渡る風のような爽やかさと、曇り一つない青空を思わせる開放感があった。
切れ長の瞳は鋭さを宿しながらも笑えば柔らかく細まり、人懐っこさが自然と滲む。
派手ではないけれど目が離せない。
教室の空気まで少し明るくなるような存在感だった。
蓮は黙って相手を見る。
その瞬間、胸の奥で小さな違和感が揺れる。
匂いだ。
冬の森林の、雪を踏み締めた朝の澄んだ空気。
この男子生徒からは、どこかで嗅いだ、遠い北の凍えた風の匂いがした。
(……これ、柊の匂いだ)
脳裏に浮かんだのは、蒼真の護衛を務め、自分には戦闘技術を叩き込む長身の男だった。
空気も、眼差しもよく似ている。
男らしさより先に誠実さを感じさせる雰囲気まで重なって見えた。
蓮が考え込んでいると、少年は気にした様子もなく笑う。
「その本」
「……別に」
「ふーん」
普通ならそこで相手が興味を失って会話は終わる。
ところが彼は引かなかった。
「あ、俺、柊悠馬」
「……!?」
「知ってる?」
蓮は答えず相手の顔をじっと見つめる。
悠馬は遠慮という言葉を知らないらしい。
空いていた隣の席へ当然のように腰を下ろした。
椅子が小さく軋む。
「誰も俺の隣に座っていいなんて言ってない」
「え、ダメだった?」
「……」
「空いてるし、問題ないかなって」
悪びれた様子は欠片もない。
蓮は困惑した。
今まで近づいてきた人間は皆、冷たい返事を受けると距離を置いた。
この少年だけは違う。
拒絶されていることに気付いていないのか、それとも気付いた上で笑っているのか判別できなかった。
それに……柊という、苗字。匂い。
(やっぱり顔も似てるような……)
悠馬は頬杖をつき、蓮の読んでいた本へ視線を落とす。
「ずっと思ってたんだけどさ」
「……何だ」
「お前、一人でいるの好きなの?」
「嫌いじゃない」
「寂しくならない?」
「ならない」
迷いのない返答だった。
悠馬は「そっか」とだけ言って白い歯を見せてにかっと笑う。
否定も説教もしない。
ただ、蓮の横顔を静かに眺めていた。
窓の外では運動場からホイッスルが聞こえ、桜の花びらが春風へ乗って校舎の窓を掠めていく。
その一枚が蓮の机へ舞い落ちた。
悠馬はその花びらを摘み上げ、どこか嬉しそうに笑った。
「でもさ」
その笑顔は太陽の光を受けて眩しいほど自然だった。
「一人が平気なのと、一人しか知らないのは、少し違う気がする」
蓮は初めて本を閉じる。
胸の奥で小さな波紋が広がっていた。
その言葉は、誰も踏み込めなかった場所へ静かに届いていたからだ。
教室の後方ではチャイムが鳴り始める。
教師が入ってくる直前まで、悠馬は立ち上がろうとしなかった。
そして別れ際、何でもないような笑顔で言う。
「また話しに来るよ」
その一言だけ残し、自分の席へ戻っていく。
蓮は何も言葉を返さなかった。
けれど閉じた本は、その日最後まで開かれることはなかった。
柊の弟、登★場★
これが柊が昔一番守りたかった相手とゆーわけですな。
でも柊の改造前の記憶は完全消去されているので
弟がいたことを思い出すことは今後も
ありえません。
ほろにが切なフラグ立つわぁ~(聞いたことないフラグですけど)




