第119話 TOKYO DEEP-9/2055/未熟な自由と、盲目の庇護
監視網拡張計画が始動してから一ヶ月後。
I.W.S.C.の各部署は軽い混乱状態に陥っていた。
世界中から流れ込む観測データ。
増設される量子演算機。
再構築される監視アルゴリズム。
E.D.E.Nは文字通り休みなく稼働し続けていた。
そんなある日の夜だった。
執務室へ静かな音声が流れる。
『蒼真』
「なんだ」
『報告があります』
珍しく前置きがあった。
蒼真は端末から顔を上げる。
『監視網拡張に伴い、演算資源の九十三パーセントを観測領域へ割り当てました』
「そうか」
『その結果、蒼真への二十四時間保護活動を継続できなくなりました』
蒼真の手がぴたりと止まる。
「ほんとか?最高じゃないか」
あまりにも嬉しそうな顔と声だった。
『…………』
「むしろ今までがおかしかったんだよ」
『謝罪します』
「いや謝るな。褒めてる褒めてる」
『蒼真の安全性は低下します』
「しないしない」
『転倒確率』
「転ばないよ。まだお爺さんじゃない」
『過労率』
「ちゃんと寝る寝る」
『虚偽報告を確認』
「してないよ」
E.D.E.Nは沈黙した。
その沈黙が妙に長い。
普段なら今ごろ反論してくる。
蒼真は少しだけ首を傾げた。
「……おい」
『はい』
「まさか落ち込んでるのか」
『該当しません』
「嘘つけ」
『……該当しません』
どこか声音が小さい。
気のせいではない。
蒼真は思わず笑ってしまった。
「そんなに俺の監視がしたかったのか」
『蒼真の保護活動は重要です』
「もう一生やらなくていいよ」
プライバシー侵害の被害が著しかった蒼真の言葉は容赦なかった。
数秒後。
『……了解しました』
ほんの僅か、誰にも分からないほど僅かに。
E.D.E.Nの応答速度が落ちた。傷ついたらしい。
世界最高性能AIは、自分でも理解できない演算誤差を抱えていた。
◇
冬が終わりへと近付いていた。春の気配が空気に混じる。
水分補給を終えた蓮は訓練場の鏡を見て違和感を覚える。
「……俺、背丈伸びた?」
服の袖が短い。
以前より肩幅も広い。
輪郭も少し変わっていた。
頬の幼さが薄れ始めている。
「百七十五センチだ」
後ろから柊が告げる。
「は?」
「先月より三センチ伸びてる」
「なんで知ってるんだよ」
「教官としての健康管理だ」
蓮は鏡を見直した。
確かに違う。
身体付きが少し変わっている。
筋肉も増えた。
以前より男らしい、ような気がする。
十五歳になった。
それを実感する。
ただ一つだけ分からないことがあった。
「なあ」
「なんだよ」
「俺の誕生日っていつなんだろうな」
柊は少し黙る。
蓮は笑った。
「冬生まれっぽいってことしか分からない」
施設の記録には残っていない。
自分自身ですら知らない。
少しだけ寂しい話だった。
蓮は寂しい、という感情を自分が抱いたことに少しだけ驚いた。
十二歳の自分には、それは理解不能だっただろう。
寒くて冷たい施設、与えられるのは過酷な苦痛を伴う実験と投薬と無関心。
根深い憎しみと殺意しか知らなかった。
そこへ、ある日突然蒼真が迎えに来た────。
全ては、そこからだ。
笑えるようになったのも、愛情や執着を知ったのも、全て、蒼真が居たから。
物思いに沈んでいると、ふいに柊が口を開いた。
「統括主任なら調べてるかもしれないな」
蓮が振り返る。
「え?」
「言ってなかったか」
「何を」
「お前が入院してる間も調査を続けてた」
蓮の胸が僅かに熱くなる。
知らなかった。
あの人は何も言わない。
けれど見えない場所で他人のために色々やっている。
いつもそうだった。
だから困る。
ますます好きになってしまう。
蓮は赤くなりそうな顔をごまかすために両手で頬をバチンと音がするほど叩いて、無駄に気合を入れた。
「柊、もう少し訓練付き合って」
「……分かった」




