第108話 AXIOM/最深層会議室Ⅲ/音声のみ・記録無し
地上から切り離された量子演算領域。
南極、AXIOM深層階層。
そこには物理的な会議室など存在しない。
無限に続く白い空間。
あるいは黒、もしくは海。
参加者ごとに異なる景色が表示される特殊な共有領域だった。
演算能力そのものを視覚化した仮想空間。
深層会議室の円卓に現れるのは五つの“歪んだ影”。
意思が物質を凌駕し、現実の定義そのものが書き換えられる臨界点。
人類が未だ踏み越えてはならないと信じていた境界線を、すでに越えてしまった側の空間だった。
SEPTEM DOMINION────俗称セブン。
すでに超越しまった側に立ちながら、それでもなお人間として生き続けている者たち。
その中枢意思決定機関。
DOMINION I:ORIGIN。
DOMINION II:JUDGE。
DOMINION IV:GENERAL。
DOMINION V:MARKET。
DOMINION VII:KEEPER。
本来ならば七つ存在するはずの歪み。
しかし今、この場にあるのは五つだけだった。
DOMINION III:ARCHITECT。
DOMINION VI:PRIEST。
二つの席は空白のまま。
失踪し、現在も行方不明のままである。
沈黙を破ったのはORIGINだった。
その声は感情ではなく、事実を確認するためだけに存在しているようだった。
DOMINION I:ORIGIN「議題は、DOMINION VI:PRIESTおよびDOMINION III:ARCHITECTの失踪についてだ」
同時に空間そのものへ情報が展開される。
PRIEST関連記録。
消失した研究施設。
異常通信ログ。
観測不能領域の解析結果。
まともな人類には処理不能な情報量が一瞬で共有された。
間を置かず、JUDGEが口を開く。
DOMINION II:JUDGE「PRIESTは造反した可能性が高い」
「だが現時点では断定できない」
「失踪と反逆は同義ではない」
それは擁護ではない。
定義の修正だった。
GENERALが続く。
DOMINION IV:GENERAL「重要なのは理由ではない。その所在だ」
「DOMINION級存在が痕跡を残さず消失した事実そのものが問題となる」
低く重い声。
戦略的観点からの評価。
MARKETが軽やかに割り込む。
DOMINION V:MARKET「損失としては極めて高額ですね」
「ARCHITECTもPRIESTも代替不能です」
「特にARCHITECTはE.D.E.N計画の初期根幹設計者だった」
「失うには高価すぎる」
わずかな笑みすら感じさせる声音。
だがその本質は冷酷だった。
ORIGINは沈黙したまま情報を見つめる。
視線の先にあるのはARCHITECTの最終記録。
違和感があった。
演算上は説明できない。
それでも確かに存在する違和感。
ARCHITECTは創造者だった。
設計者として新たな世界の構築のみを目的に進化したARCHITECTが、なぜ今この段階で姿を消したのか理解できなかった。
「やはり裏切りか」
GENERALが問う。
「潜伏の可能性もある」
JUDGEが補足する。
「あるいは予測不能領域への移行」
誰も確証を持たない。
それ自体が異常だった。
DOMINION級存在が全く痕跡を残さず消失する事例など前例がない。
KEEPERが静かに口を開く。
DOMINION VII:KEEPER「対象記録の参照を推奨する」
空間に新たな情報が展開される。
蒼真と蓮、そしてあの戦いに関する全記録・意思決定履歴・行動分析・未来予測モデル。
KEEPERの声は機械的だった。
「PRIESTは失踪した」
「計画も崩壊した」
「しかし演算結果の先に空白が存在する」
全員が沈黙する。
「未来予測が歪んでいる」
「数式が途中で途切れる」
「原因不明」
「観測不能」
その言葉に空間がわずかに揺らぐ。
ORIGINが問う。
「KEEPER」
「何を発見した」
「ARCHITECT最後の行動記録を再提示」
即座に情報ウインドウが開き、通信・演算・転送・消失の最終ログに残る微細な揺らぎをKEEPERが指し示した。
「解析不能パターンを確認」
「通常ノイズとは一致しない」
GENERALが即座に切り捨てる。
「破損データだ」
MARKETも同意した。
「価値はないでしょう」
しかしKEEPERは否定する。
「過去に同一パターンを確認済み」
空間が静まる。
「桐生蒼真のコードBLACK-ECLIPSE」
その単語だけで空気が変わった。
禁忌領域であるAXIOM最深部をして、場が凍り付く。
蒼真が接触したE.D.E.Nの根幹演算海。
「観測不能パターンとの一致率九十八・七パーセント」
JUDGEが反応する。
「あれはただのコマンドコードだろう?偶然ではないと?」
「可能性は低い」
KEEPERは答える。
「別件を提起する」
ORIGINが視線を向ける。
「内容は」
KEEPERは展開された情報窓を示した。
そこにはARCHITECT消失直前のログが表示されている。
「このノイズだ」
「ARCHITECT最終記録にのみ存在する異常パターン」
GENERALが確認する。
「解析結果は」
「依然として不明」
「既知の演算体系と一致しない」
「発生源も特定不能」
JUDGEが静かに告げる。
「破損データの可能性は」
「否定できない」
KEEPERは首を振った。
「だが偶発的な破損にしては規則性がある」
「意図的に残された痕跡である可能性が高い」
MARKETが興味深そうに笑う。
「つまりARCHITECTは消える直前に何かを残したと」
「あるいは誰か、もしくはなにかが残した」
KEEPERは短く答えた。
「その可能性を排除できない」
空間にまた重い沈黙が落ちる。
やがてORIGINが結論を下した。
「当該パターンを最優先解析対象へ指定」
「全DOMINIONに共有」
「類似事例の探索を開始する」
誰も異論を唱えなかった。
それは現時点で唯一、ARCHITECTの行方へ繋がる手掛かりだったからだ。
決定が下される。
それは議論ではない。
結論の確定だった。
五つの歪みがわずかに収束する。
合意の成立。
空間の光が減衰していく。
影たちの存在そのものが希薄になっていく。
会議終了と共に、全てが幻のように消えていく。
最後まで残ったのはORIGINだけだった。
誰もいなくなった深層会議室。
その声だけが静かに響く。
「ARCHITECT────お前は、一体何を作った」
返事はない。
それでもAXIOM全域では説明不能なノイズが増加し続けていた。
海の底を進む幽霊船。
黒く脈打つ演算核。
変貌したラザロス。
そして、その存在は既にDOMINIONの監視網の外側まで成長していた。
人類もAXIOMもE.D.E.Nも、まだ自分たちが見ている脅威がラザロスでもARCHITECTでもなく、誰にも観測されていない終焉の演算意思であることを知らない。




