第91話 孤立
王権制限案採決まで、残り二日。王宮の空気は、目に見えない壁で仕切られたようだった。
廊下で交わされる視線、囁き、こちらに気づいて止まる会話。それらは、かつての断罪の夜を思い出させる。違うのは――今回は罪が確定していないことだ。だが疑念は、罪よりも強い。
――
財務院。再建債の償還計画についての会議は、発言が少なかった。反論も弱い。だが熱もない。
アリシアは気づいている。誰も明確に敵対しない。だが、全員が一歩引いている。巻き込まれたくない。政治的リスクから距離を置く。それが合理だ。均衡国家の中で、合理が顔を出している。
――
廊下で、リュカが足を止めた。
「……あなたは、間違っていない」
珍しく、曖昧な言い方だった。
「だが」
「だが?」
「均衡は、常に説明を求められる」
「合理は結果だけで済む」
彼は視線を逸らす。
「私はまだ、どちらが強いか判断できない」
それは告白に近い。完全な味方ではない。だが敵でもない。揺れている。
「揺れて構いません」
アリシアは静かに言う。
「揺れない国家は、脆い」
リュカは何も言わずに去っていった。彼の背中が、以前より遠い。
――
庭園で、セレナが小さく言う。
「民の間で、あなたの過去が誇張されています」
「冷酷」
「容赦がない」
「再建債も策略だと」
アリシアは否定しない。
「否定すればするほど、怪しく見える」
「では黙るのですか」
「いえ」
彼女は空を見上げた。
「言葉ではなく、結果で返す」
だが今は、結果が出るまで時間がかかる。その空白が、疑念を育てる。
――
夜、王宮の塔。レオンハルトが言う。
「侯爵の支持が増えている」
「過半数に近い」
「知っています」
沈黙が落ちた。
「私が退けば、収まる」
再び、その言葉だった。レオンハルトは強く否定しない。それが、痛い。
「……お前を守れば、王権制限案は王の独裁と見なされる」
現実的判断だった。
「守らなければ、均衡は削られる」
二択。均衡国家は、常に二択を迫られる。
「孤立していると感じるか」
彼の問いだった。一瞬の沈黙のあと、彼女は答える。
「少し」
正直な答えだった。
「だが」
目を逸らさない。
「均衡は、常に孤独です」
中央に立つ者は、両側から引かれる。均衡を取るとは、両方に嫌われる覚悟のことだ。
レオンハルトは、彼女を見た。
「私は王だ」
「だが今は、まだ完全ではない」
「お前が必要だ」
その言葉は救いであり、重荷でもある。
――
同時刻、グレイザック侯爵邸。
「票は揃う」
側近が告げる。
「あと一人」
「誰だ」
「中立派の伯爵」
侯爵は頷いた。
「不安を与えよ」
「再建債の危険性を強調しろ」
合理と恐怖は相性がいい。恐怖のほうが、根拠を必要としないぶん速い。
――
王都。再建債購入者の一人が破産した。偶然か、仕掛けか。噂が走る。
「やはり危険だ」
「王家に利用された」
火は小さい。だが燃えやすい。
王権制限案採決まで、あと一日。味方は揺れ、敵は増え、民は疑う。経済戦よりも厄介なのは、信頼の戦いだった。
――
その夜、塔を下りる階段で。
先を行くレオンハルトが、途中で足を止めて振り返った。
手は差し出さない。
差し出せば断られると、彼はもう知っている。
ただ、彼女が下りきるまで、そこで待っていた。
庭で影が並んだ夜より、二人の距離は、少しだけ狭かった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




