第85話 審議の日
解任動議審議当日。王都は、息を詰めていた。王宮前の広場には、人が集まっている。怒号はない。だが緊張は濃い。
「再建債、初日で三割消化」
「商人組合が大量購入」
「地方領主も参加」
朝の報告が、財務院に届く。アリシアは目を閉じた。賭けは、まだ生きている。
だが市場は一瞬で裏切る。帝国がさらに売り浴びせれば、再建債は暴落する。その瞬間、彼女は終わる。
――
議政大広間。貴族が列席する中、グレイザック侯爵が立ち上がった。
「国家は危機にある」
低く、重い声だった。原稿は持っていない。何度も口の中で組み立ててきた言葉だ。
「通貨は暴落し、民は不安に包まれた」
「責任は誰にある」
視線が集まった。名指しの手前で一度止めるのが、この男の話し方だった。
「財務統括責任者の判断ミスである」
空気が揺れた。
「市場規制は遅れ、混乱を拡大させた」
事実だ。否定はできない。
「帝国は救済を申し出た」
「それを拒む理由は何か」
ざわめきが起きた。拒む理由を、この広間の半数はもう説明できない。侯爵は続ける。
「国家のために、方針転換を」
「そして責任ある交代を」
重い沈黙が落ちた。レオンハルトが静かに言う。
「弁明は」
アリシアが立ち上がる。
「判断の遅れは認めます」
広間がざわついた。弁明の一言目が、認めるという語だったからだ。
「通貨暴落の責任は私にあります」
正面から受ける。逃げ道を先に自分で塞いだ。
「だが」
声は揺れない。
「帝国案を受け入れれば、通貨は安定します」
「同時に、経済主権の一部を失う」
「三年後、王国は選択肢を持たない」
侯爵が言う。三年後という語に、この広間の関心が薄いことを彼は知っている。
「理想論だ」
「民は今日の生活を守りたい」
「だからこそ再建債を発行した」
ざわめきが走った。
「王国は自らを支える」
「帝国に依存せず」
その瞬間、扉が開く。財務官が駆け込んできた。
「報告!」
全員が振り向いた。審議中の広間へ財務官が入るのは、規則の外だ。
「再建債、五割突破!」
広間がどよめいた。
「商人組合と地方領主が追加購入」
「通貨下落、停止」
侯爵の眉が動く。
「一時的だ」
彼は言った。その通りだ。帝国が動けば崩れる。だが。
「帝国銀行、売り圧縮」
財務官が続ける。
「市場での王国債売却が鈍化」
空気が凍った。帝国が手を緩めたという報告を、この広間は初めて聞いている。レオンハルトが低く言う。
「帝国も損失を嫌う」
合理国家は、無駄な損失を出さない。アルヴェインは、市場を壊しすぎない。均衡国家が攻めたことで、帝国も調整に入った。
アリシアは言う。
「我々は屈していない」
「市場はまだ我々を見ている」
「恐怖は操作できる」
「だが信頼は、自ら築くしかない」
沈黙が落ちた。侯爵は一瞬、言葉を失う。用意していた反論は、すべて崩れる前の市場に向けたものだった。
レオンハルトが立ち上がる。
「解任動議を採決に付す」
空気が張り詰めた。票が投じられ、時間が長く感じられる。集計。そして結果。
「賛成、四十九」
「反対、五十一」
僅差だった。否決。広間がざわめく。
侯爵は静かに席に戻った。完全敗北ではない。だが彼も理解している。均衡国家は、まだ崩れていない。
アリシアは座り、息を吐く。勝利ではない。延命だ。
帝国はまだいる。三日の猶予は、残り一日。
そして――
本当の対決は、これからだ。
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