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第80話 割れる貴族

 帝国特使来訪の翌日、王都の新聞は一面で帝国融資案を報じた。


『年利一分の外貨供給』

『通貨安定策』

『皇帝陛下のご厚意』


 言葉は柔らかい。だが行間には明確な意味がある。――王国は追い詰められている。


 市場はわずかに落ち着いた。帝国案が「救済」として受け止められ始めたからだ。それが、最も危険だった。


 ――


 王宮・貴族会議。重厚な円卓を囲む高位貴族たち。沈黙を破ったのは、グレイザック侯爵だった。


「私は帝国案を支持する」


 ざわめきが走る。


「三年猶予は得た」


「理想は示した」


「だが国は崩れかけている」


 その声は落ち着いていた。糾弾ではなく、提案の形をとっている。


「王家は民を守る義務がある」


「守るために、柔軟であるべきだ」


 柔軟。つまり妥協。いや、従属だ。


「帝国は戦争を望んでいない」


「経済協調だ」


「実利を取るべきだ」


 何人かが頷いた。再編で利を失った貴族たち。通貨暴落で資産が揺らいだ者たち。この円卓で、彼の後ろに座る顔ぶれは半年前と入れ替わっている。


「均衡国家は理想的だ」


「だが理想に国は食わせられぬ」


 その言葉は、静かに刺さった。


 ――


 王宮。報告を受けたレオンハルトは、黙っていた。


「貴族会で帝国支持が三割」


「増えています」


 財務官の声は沈む。アリシアは静かに問うた。


「侯爵は公に発言を?」


「はい」


「新聞にも載るでしょう」


 沈黙。これはただの意見ではない。王家への圧力だった。


「内部が割れる」


 セレナが呟く。


「帝国はそこを狙っている」


 リュカが低く言った。


「通貨攻撃は序章です」


「真の標的は、我々の統一」


 正しい。帝国は軍を動かさない。王国に、自ら分裂させる。


 ――


 夜、アリシアの執務室に書簡が届いた。差出人――グレイザック侯爵。


『国家を守るため、再考を求める』


 丁寧な文面だった。だが実質は通告だ。受け入れよ。さもなくば――


 アリシアは、ゆっくりと書簡を閉じる。


 足音がして、レオンハルトが入ってきた。


「揺れているな」


「ええ」


「お前の立場も」


 率直な言葉だった。彼女は目を逸らさない。


「理解しています」


「帝国案を拒めば、失脚の声が上がる」


「受け入れれば、理念が崩れる」


 沈黙。


「私は」


 レオンハルトは言う。


「王になる」


「だが王は一人で立てない」


 視線が交わった。


「お前が倒れれば、均衡は崩れる」


 その言葉は重い。


「私が退けば、貴族は安心します」


 アリシアは静かに言う。


「帝国案は通る」


「国は一時安定する」


「だが三年後、選択肢はなくなる」


 短い沈黙があった。


「退くか」


 レオンハルトの問い。それは試しではない。本気だった。彼女は、わずかに息を吸う。


「退きません」


 即答だった。


「私はこの国を、従属国家にしない」


 声は静かだが、揺れない。だがその瞬間、自分の立場が崖際に立ったことも理解している。


 ――


 翌朝、新聞は大きく報じた。


『グレイザック侯爵、帝国案支持』


『王宮内部で意見割れる』


 市場は一瞬、持ち直す。帝国案期待だった。民は安堵し始める。


「帝国が助けるなら安心だ」


 その声が広がっていく。均衡国家は、今や“危うい理想”と見られ始めた。


 アリシアは理解する。これは通貨の戦いではない。信頼の戦いだ。そして――自分は初めて、政治的に追い込まれている。


 帝国は微笑んでいる。王国は割れている。


 七日の猶予は、すでに三日を失った。


 その三日のあいだ、彼女に「退くか」と正面から訊いた人間も、一人しかいなかった。

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