第81話 揺れる王
帝国案提示から四日目。王都の市場は、奇妙な安定を見せていた。通貨はなお低い。だが暴落は止まっている。
理由は単純だった。――帝国が助けるだろう。その“期待”が、仮の安定を生んでいる。それは信頼ではない。依存の前兆だった。
――
王宮・執務室。レオンハルトは、報告書を前に沈黙していた。
「貴族支持率、帝国案賛成が四割」
「商会の半数が融資受諾を希望」
「民意は安定優先に傾いています」
財務官の声は淡々としている。数字を読む者は、数字の意味を先に諦める。だが重い。
「均衡政策への支持は」
その項目だけ、報告の最後に回されていた。
「低下傾向」
短い沈黙が落ちた。レオンハルトは窓の外を見る。静かな王都。だが内側は揺れている。
「……理想は、民を不安にさせるか」
小さな呟きだった。それは誰にも向けていない。
――
夜、王宮の塔の上。風が強い。そこに、アリシアが立っていた。
足音がして、レオンハルトが隣に並ぶ。
「迷っている」
彼は率直に言った。前置きを置かないのが、この塔での作法になっている。彼女は否定しない。
「当然です」
「帝国案を受ければ安定する」
「拒めば混乱が続く」
二つを並べただけの言い方だった。どちらへ寄せるとも言っていない。
風が吹き抜けた。
「私は王になる」
レオンハルトは続ける。
「王は民を守る」
「守るとは何だ」
その問いは、深い。半年前の彼なら、言葉の意味を確かめもせずに使っていた語だ。
「理念を守ることか」
「生活を守ることか」
沈黙。アリシアは静かに言う。
「両方です」
「だが今は両立しない」
「今は、です」
彼女は視線を逸らさない。
「帝国案を受ければ、通貨は安定するでしょう」
「貴族は満足する」
「民は安心する」
「だが三年後」
声は静かだった。
「王国は帝国銀行に握られる」
「関税は帝国基準」
「独自政策は困難」
三年後の姿を、彼女は三行で言い切った。
レオンハルトは目を閉じる。
「均衡国家は、脆い」
「ええ」
「帝国は強い」
「ええ」
「我々は」
問いが途切れた。風が吹き荒れる。アリシアは、はっきりと言う。
「勝てます」
レオンハルトが目を開いた。彼女が勝てると言ったのは、この半年で初めてだった。
「どうやって」
初めて、彼女は一瞬言葉を止める。まだ、完全な策はない。だが退けない。
「時間を稼ぐ」
「市場を落ち着かせる」
「帝国の思惑を逆用する」
曖昧ではない。だが具体策は未完成だった。
「賭けか」
レオンハルトが問う。責める調子ではない。確かめる調子だった。
「政治は常に賭けです」
静かな返答だった。
「帝国案は安全な賭け」
「均衡は危険な賭け」
「だが」
一歩前に出る。
「安全な従属より、危険な独立を選ぶ」
その言葉に、風が止まったように感じられた。
レオンハルトは、彼女を見る。断罪の夜、すべてを失った令嬢。冷酷な合理主義者。そして今は、均衡を守ろうとする政治家。
「私は」
彼はゆっくり言う。
「お前を信じる」
短い言葉だった。だが重い。信じる、という語を、彼は政策の場で使ったことがない。
「だが失敗すれば」
「責任は取ります」
即答だった。
「失脚も受け入れる」
それは覚悟だ。
風が再び吹く。塔の上は、冷える。
レオンハルトは外套を脱ぎかけ、途中でやめた。
かければ、彼女は必ず断る。
断らせない言い方を、彼はまだ知らない。
結局、風上へ立ち位置を変えただけだった。
アリシアがそれに気づいたかどうかは、分からない。
残り三日。
本話もお読みいただき、ありがとうございました。
「安全な従属より、危険な独立を選ぶ」
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