第79話 微笑む特使
王都中央門に、帝国の紋章を掲げた馬車が入った。銀地に黒の双頭鷲。ゆっくりと、堂々と。混乱の只中に現れるその姿は、あまりに象徴的だった。
市場ではすでに噂が広がっている。
「帝国が助けに来た」
「条件付きだろう」
「屈するのか」
ざわめきは抑えられない。
――
王宮・謁見の間。高い天井の下、帝国特使カルミラ・ヴェステルが膝を折った。柔らかな笑み、深紅の外套、無駄のない所作。
「王国の皆様に、皇帝陛下のご厚意を」
その声は、春風のように穏やかだった。
「現在の金融混乱を、帝国は深く憂慮しております」
憂慮。原因は帝国だ。だが彼女の口調は真摯そのものだった。
「帝国は友好国として、低利融資をご提案いたします」
ざわめきが広間を走る。カルミラは続けた。
「三年間、年利一分」
「通貨安定のための外貨供給」
「商会の再参入」
条件は甘い。あまりに甘い。
「対価は」
アリシアが静かに問う。カルミラは、微笑みを崩さない。
「帝国との経済協調枠組みの締結」
「帝国銀行の王国内支店設置許可」
「関税優遇措置」
つまり――経済主権の一部放棄だ。戦争ではない。占領でもない。だが、鎖だった。
レオンハルトが低く言う。
「これは従属ではないのか」
「とんでもない」
カルミラは即座に否定する。
「共存です」
「王国は理想を掲げられました」
「帝国は現実を支えます」
その言葉に、空気が揺れた。均衡国家。理想。現実。あまりにも狙い澄ました挑発だった。
――
会議室に、軍、財務、貴族代表が集まる。
「受け入れるべきです」
グレイザック侯爵が即座に言った。
「国は疲弊している」
「理想は守った」
「今度は安定を取るべきだ」
ヴァルクが睨む。
「帝国の手の内だ」
「だが通貨は崩れている」
財務官の声は苦しい。
「外貨が足りません」
沈黙。視線がアリシアへ向いた。彼女は冷静に言う。
「帝国は我々を試している」
「均衡国家が耐えられるか」
「耐えられなければ、従属」
「耐えれば、独立」
グレイザックが鼻で笑った。
「理想論だ」
「市場は理想で止まらない」
痛い。事実だからだ。リュカが口を開く。
「受け入れ、時間を稼ぐ」
「内部を立て直してから独立する」
合理的な妥協案だった。セレナが静かに言う。
「民はどう見るでしょう」
「帝国に助けられた国家を」
沈黙。信頼は、さらに削られる。だが拒否すれば、崩壊の危険がある。
――
夜。アリシアは、単独でカルミラと対面した。応接室に、二人だけ。
「率直に申し上げます」
カルミラは茶を口にしながら言う。
「王国は持ちません」
「資金は尽きます」
「民は不安に飲まれます」
「そして、王は選ばされる」
淡々と並べていく。脅す口調をどこにも使わない。
「合理に戻るか、崩れるか」
アリシアは微動だにしない。
「帝国は合理国家」
「無駄を排除する」
「感情を制御する」
「だから強い」
カルミラの目が細まった。
「均衡国家は美しい」
「ですが美は脆い」
挑発だった。だが怒らない。
「帝国は、助けに来たのです」
「鎖を持って」
アリシアの返答は静かだった。カルミラは、微笑みを崩さない。
「鎖かどうかは、結ぶ側次第」
「選択肢はあります」
そう言って立ち上がる。
「猶予は七日」
扉が閉まり、静寂が残った。
アリシアは、窓の外を見る。王国は揺れている。理想は傷ついている。そして帝国は、微笑んでいる。
七日。
均衡国家は、最初の大きな決断を迫られた。
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