第76話 それでも嫌われる
王の宣言から、七日。王都は、大きな混乱もなく動いていた。
救済制度の申請窓口には列ができ、再教育課程の案内板が掲げられ、農地統合の説明会には以前より多くの人が集まっている。怒号はない。だが熱狂もない。それが現実だった。
――
王宮の回廊。アリシアは、報告書に目を通していた。
「申請者数は想定の八割」
「商会統合への自主応募が増加」
「南部の抗議活動は縮小傾向」
数字は、悪くない。だが。
「完全支持ではありません」
民意調整局の官僚が付け加えた。良い数字を先に読み、そのあとで但し書きを置く順番だった。
「“様子を見る”という意見が多数です」
様子を見る。つまり信頼は、まだ確立していない。
「当然ね」
アリシアは静かに言った。合理は揺れた。速度は落ちた。だが国は割れなかった。それが成果だ。
そして同時に、彼女は知っている。自分は好かれてはいない。
――
王都の小路では、商人たちが話している。
「ヴァレンシュタインは冷たい」
「だが嘘はつかない」
「怖いが、必要だ」
評価は割れていた。尊敬もあれば、警戒もある。どちらも、この半年で育ったものだ。
――
夜、王宮の庭園。アリシアは一人、月を見上げていた。
足音がして、レオンハルトが隣に立つ。
「静かだな」
庭の砂利を踏む音で、誰かは分かっていた。
「嵐の後です」
「嵐は去ったか」
問い方が、報告を求める形ではない。
「一時的に」
短い沈黙が落ちた。
「嫌われたか」
レオンハルトが言う。
「ええ」
迷いなく答えた。否定する材料も、否定したい気持ちも持っていない。
「完全には信頼されていません」
「当然だ」
彼は苦笑した。宣言の日から、彼への評価もまた割れている。
「王も同じだ」
月明かりが、二人を照らしていた。
「均衡は、美しくない」
アリシアが言う。
「勝者も敗者も曖昧」
誉め言葉として言ったのではなかった。
「だが崩れない」
「ええ」
沈黙。
「私は」
彼女は続ける。月を見上げたまま、こちらは向かない。
「合理を信じていました」
「今も信じています」
「だが」
一瞬、言葉を探した。探すという行為そのものが、この半年で覚えたものだ。
「合理だけでは足りないと知りました」
レオンハルトは、静かに頷いた。急がせも、慰めもしない頷き方だった。
「それでいい」
「いいえ」
彼女は首を振る。否定したのは、彼の言葉ではなく自分への評価のほうだった。
「足りないのは、私です」
重い言葉だった。足りない、という語を、彼女が自分に向けたのは初めてだ。
「痛みを決めるなら、背負う覚悟が必要」
「私はまだ軽い」
レオンハルトは、少しだけ笑う。
「軽くていい」
軽さを責めない言い方を、彼はいつのまにか身につけていた。
「王が重い」
「お前は構造を作れ」
その言葉は、責任でもあり、信頼でもある。
「三年後」
彼は言った。三年という語を、彼はもう予定としてしか使わない。
「帝国と再び向き合う」
「その時、王国は変わっている」
「私も」
アリシアは小さく言った。
「変わっている」
月が雲に隠れる。
「嫌われる役は続ける」
彼女は静かに言う。役という言葉を、初めて誰かに向けて口にした。
「だが一人ではない」
レオンハルトは、短く頷いた。
それから、彼女の隣へ一歩踏み出しかけて、止まった。
月が雲から出る。
二人の影が、地面の上で、手のひら一つ分だけ離れて並んでいた。
「均衡国家は、美しくない」
「だが強い」
風が吹く。国家は、合理国家ではなく、感情国家でもなく、均衡国家へと踏み出した。
だが均衡は、常に揺れる。帝国は遠くから見ている。民は様子を見ている。軍は備えている。
そしてアリシアは、
それでも立ち続ける。
第六章 思想戦 ― 国のかたち ―
終。
本話もお読みいただき、ありがとうございました。
第六章、これにて幕です。
均衡国家は、美しくありません。勝者も敗者も曖昧です。
それでも崩れない――そういう国の話を書いています。
ここまで付き合ってくださった方、評価で応援いただけると嬉しいです。




