第74話 王の問い
救済制度草案提出期限まで、残り五日。王宮・円卓会議室。今回は公開ではない。レオンハルト、アリシア、セレナ。三人だけだった。
窓の外には、静かな雨が降っている。
「今日は結論を出す場ではない」
レオンハルトが、低く言う。書類は一枚も持ってきていなかった。
「だが、避けて通れない問いがある」
沈黙が落ちた。三人で卓を囲むのは、断罪の日以来だった。
「国家とは何だ」
静かな言葉だった。だが重い。アリシアが、先に答える。
「制度と資源の集合体」
「継続性を持つ構造」
「外圧に耐える枠組み」
三つを言い終えるまで、彼女は一度も言い淀まなかった。
迷いはない。三つとも、考えて出した答えではなく、置き場所の決まっている答えだった。
「では」
レオンハルトは、視線をセレナへ向ける。
「人の共同体」
「生きる場所」
「誇りと記憶の積み重ね」
こちらは、数えるように一つずつ置かれた。
こちらも迷いはない。沈黙。
「どちらも正しい」
レオンハルトは言う。
「だが優先が違う」
雨音が強まった。
「三年後、帝国が再び圧力をかけたとき」
彼は続ける。
「構造が弱ければ、国は崩れる」
「だが今、民の信頼を失えば」
「構造も意味を失う」
自分の言葉で、彼は二つを並べてみせた。どちらにも肩入れしない置き方だった。
アリシアは静かに言う。
「私は崩壊を見てきました」
かつての断罪、そのあとの混乱。
「秩序が崩れれば、最初に犠牲になるのは弱い者」
「だから急ぐ」
セレナが答える。
「私は恐れています」
雨音の中で、声は穏やかだった。
「構造の名の下に、人の声が小さくなることを」
沈黙。レオンハルトは、二人を見た。
「私は王になる」
静かな宣言だった。
「王は、どちらか一方だけを選べない」
「構造も、人も守る」
アリシアが、わずかに眉を動かす。
「両立は困難です」
困難、という語を、彼女は不可能の意味では使わない。
「困難だから王だ」
短い言葉だった。だが重い。
「合理は必要だ」
彼は続ける。
「だが合理は手段」
「目的は国家の存続」
「国家の存続とは、人が生き続けることだ」
沈黙が落ちる。雨は、まだ止む気配がない。
「私は決めた」
視線が、二人に向く。
「救済制度を先に公表する」
「具体的基準、財源、再配置枠」
「その上で、段階的再編を進める」
順序を入れ替えただけの決定に見える。だが入れ替えたのは、重さのほうだった。
アリシアが問う。
「速度は落ちます」
「落とす」
「帝国が」
言いかけて、彼女は自分で止めた。
「三年はある」
強い声ではない。だが揺れはない。三年という数字を、彼はもう恐れていなかった。
「私は、三年で変わる」
一瞬、アリシアと目が合った。
「お前も変われ」
その言葉に、彼女は息を止める。変わった。だがまだ足りない。
セレナが静かに言う。答えを促すためではなく、記録に残すための問い方だった。
「兄上は、どちらを選びますか」
「選ばない」
即答だった。迷った末に選ばないのではなく、選ばないことを選んでいる。
「均衡を選ぶ」
雨音が、少し弱まった。庭の砂利を打つ音が、粒に分かれて聞こえる。
「国家は構造だ」
「国家は人だ」
「両方を守れなければ、私は王失格だ」
沈黙が落ちる。重い。だが彼は逃げなかった。
アリシアは、ゆっくりと頭を下げる。
「了解しました」
その声は、以前より柔らかい。セレナも頷いた。
「支えます」
王の問いは、答えを強制しなかった。だが方向は定まった。合理国家ではない。感情国家でもない。均衡国家だ。
雨が止む。
窓を開けたのは、レオンハルトだった。
濡れた庭の匂いが入ってくる。
「お前も変われ、と言った」
「はい」
「私が先に変わる。……見ていろ」
命令ではなかった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました。
「困難だから王だ」
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