第66話 王女の疑問
商会代表者会議から二日後。王宮の小会議室には、アリシアとセレナの二人だけが向かい合っていた。窓から差し込む午後の光が、卓に長い影を落としている。
「エドガー・ラウルとお話しされたそうですね」
セレナが、穏やかに言った。
「ええ」
短い返事だった。会議の報告としてなら、それで終わる話だ。
「どう感じましたか」
問いは柔らかい。だが逃げ道はない。アリシアは、少しだけ視線を横に流した。
「正しいと言われました」
「そして?」
「怖いとも」
セレナは、小さく頷く。
「私は、あの方に共感しました」
静かな告白だった。
「あなたの政策は、間違っていません」
「ですが」
言葉が、そこで一度切れた。切ったのはセレナのほうだった。
「順番が逆です」
昨日と同じ言葉。だが今度は、はっきりしている。
「順番?」
「削る前に、支える仕組みを示すべきです」
アリシアは、淡々と答える。
「救済制度は設計中です」
「“設計中”では足りません」
セレナの声が、わずかに強まった。
「人は、未来の保証が見えなければ不安になります」
「保証はできない」
その一言だけは、迷わず出た。できないことをできると言わない。それが彼女の最後の線だった。
「だから段階が必要なのです」
沈黙。セレナは続ける。
「帝国との協定で、民は不安を経験しました」
「ええ」
「ようやく落ち着いたところで、また削る」
その指摘は鋭い。数字ではなく、間隔の話をしている。
「急ぎすぎではありませんか」
再びその問いだった。アリシアは、即答しない。
「帝国は待ってくれません」
「民も待てません」
同じ構図。だが今日は、空気が違った。
「国は誰のものですか」
セレナが、真っ直ぐに問う。
「王と貴族のものではありません」
問いの立て方が、兄に似ていた。答えを引き出すためではなく、相手の足元を確かめるための問いだ。
「民のものでもない」
アリシアは静かに言う。
「国家は、構造です」
「構造とは、何ですか」
「制度、法、資源、軍事、経済」
五つを数え上げる声に、淀みはない。
「そこに人は含まれていますか」
一瞬の沈黙が落ちた。
「含まれています」
答えるまでの間が、わずかに空いた。台帳のどの欄に人が載っているのか、彼女は一度も考えたことがない。
「中心ですか」
言葉が止まる。セレナは、穏やかに続けた。
「私は、国は人が中心だと思っています」
「構造はそのためにある」
アリシアは、視線を上げる。
「構造がなければ、人は守れません」
「守るために、人を削るのですか」
その問いは、鋭くはない。だが深い。昨日のエドガーの言葉が重なる。
『削られる側だ』
アリシアは、ゆっくりと言った。
「削るのではない」
「再配置です」
自分の声が、少し硬くなったのが分かった。
「言葉を変えても、本質は同じです」
セレナは、静かに言う。
「商会を失う者は、人生を失うのです」
「国家が失われれば、全員が失う」
声が、いつもより一段低い。譲る気がないときほど、彼女の声は静かになる。
「だからといって」
セレナは一歩近づいた。
「人の尊厳を後回しにしていい理由にはなりません」
その言葉は、優しい。だが譲らない。優しさと強さが同じ場所から出てくる話し方を、アリシアは知らなかった。
「王女殿下は、どこまで遅らせるおつもりで」
「遅らせるのではありません」
「整えるのです」
セレナは、膝の上で手を重ねたまま動かない。詰め寄る姿勢を、最初から取っていなかった。
「何を」
「納得を」
短い言葉だった。
「民が理解し、参加できる形にする」
アリシアは、わずかに目を細める。
「時間がかかる」
「時間は、国家の敵ではありません」
「帝国は敵です」
「帝国は合理です」
セレナは、静かに言った。
「私たちが人を失えば、帝国と何が違うのですか」
空気が止まる。その問いは、章の核心に触れていた。アリシアは、初めて言葉を探す。
「……違います」
「どう違うのですか」
答えが、すぐには出ない。
レオンハルトが入室したのは、その時だった。
「ここにいたか」
二人を見比べ、空気の緊張を感じ取る。
「何を話していた」
セレナが先に答えた。
「国の形についてです」
レオンハルトは、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。
「ならば私も聞こう」
視線が、アリシアへ向いた。
「急ぐ理由は分かる」
「だが」
そこで一拍置いたのは、答えを急がせないためだった。
「国は構造か、人か」
同じ問いだった。アリシアは、静かに答える。
「両方です」
その答えは、彼女自身にも半分しか届いていなかった。両方と言えるうちは、まだ選んでいない。
「優先は」
沈黙。わずかな間のあとで、彼女は言った。
「……構造」
セレナが目を閉じる。レオンハルトは、深く息を吐いた。
「私は、まだ答えを出さない」
静かな宣言だった。
「だが一つだけ言える」
視線が二人に向く。
「王は、どちらか一方だけを選べない」
会議室は、再び静まった。対立は、まだ爆発していない。だが線は引かれた。
部屋を出るとき、セレナが小さく言った。
「あなたは、間違っていません」
「ですが」
「間違っていない人ほど、誰も止められないのです」
アリシアは、その言葉に返す用意を持っていなかった。
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