第65話 削られる側
南部商業区。王都の中心から少し外れた石畳の通りに、小さな商会が並んでいる。その一角、木製の看板が軋む建物――ラウル商会。
「……統合対象、か」
エドガー・ラウルは、王宮から届いた通達書を机に置いた。三十代半ば。日焼けした肌に、商人特有の鋭い目。再編前の混乱期を、何とか耐え抜いた男だ。
「代表」
若い従業員が、不安げに声をかける。
「うちはどうなるんです」
「どうもならん」
エドガーは、短く言った。
「大商会に吸収だ」
紙には、冷静な文面が並んでいる。“効率化のため”。“流通網再構築のため”。合理的だ。間違ってもいない。だが。
「俺たちは切り捨てか」
小さく呟いた。返事を求めた声ではない。
――
翌日、商会代表者会議が開かれた。アリシアは、説明役として壇上に立つ。
「商会統合は、帝国商会に対抗するための規模確保です」
理路整然。数値を示し、将来予測を語る。反論の余地は少ない。だが会場の空気は、重かった。
エドガーが手を挙げる。
「質問を」
「どうぞ」
アリシアは視線を向けた。
「あなたの案は正しい」
彼は言う。
「大商会を作れば、帝国に対抗できる」
静かな肯定だった。
「だが俺たちは?」
会場が静まる。
「吸収される側の商人は、何になる」
「雇用は維持されます」
「代表の席は?」
「統合後の選考次第」
つまり、保証はない。エドガーは、一歩前に出た。
「俺は二十年、ここで商売してきた」
声は荒くない。だが重い。
「再編の時も耐えた」
「税も払った」
「国が崩れないためだと信じた」
視線が、真っ直ぐにアリシアへ向く。
「今回も、国のためだと言う」
「ええ」
アリシアは、揺れない。
「三年後、帝国に選択肢を奪われないため」
「未来のために今を削る、か」
エドガーは、苦く笑った。
「正しいさ」
その言葉に、会場がざわめく。
「正しい。でも」
一瞬の沈黙があった。
「俺たちは削られる側だ」
空気が変わる。それは怒りではない。理解と、諦めと、わずかな悔しさが混じっている。
「未来のためだと分かっていても」
「今を失う人間はいる」
アリシアは、言葉を選んだ。
「統合後の役職は能力次第」
「つまり保証はない」
「保証はない」
正直な答えだった。エドガーは、小さく頷く。
「あなたは嘘をつかない」
「必要がない」
「それが怖い」
会場がさらに静まった。
「優しい嘘がない」
その言葉は、刃より鋭かった。アリシアは、一瞬だけ目を伏せる。優しい嘘。それは合理ではない。だから、彼女の帳簿にはその費目が無い。
「私は」
彼女は、静かに言う。
「国を守るためにここにいる」
「俺もだ」
エドガーは即答した。
「だから言う」
真っ直ぐな視線だった。
「国は、構造だけじゃない」
昨日、セレナが言った言葉が重なる。会場の商人たちは、怒鳴らない。暴れない。ただ、見ている。判断している。
アリシアは、静かに答えた。
「構造がなければ、守れない」
「構造のために人が削られるなら」
エドガーは言う。
「それは守っていると言えるのか」
沈黙。誰も動かない。その問いは、会場を超えて王宮へ届く重さを持っていた。
アリシアは、即答しない。初めて、言葉が止まった。
「……救済制度を設計する」
わずかな間のあと、彼女は言った。
「統合で職を失う者への再配置」
「資金支援」
「再教育」
エドガーは、目を細める。
「先に言え」
静かな指摘だった。
「削る前に、支える話をしろ」
それは怒号ではない。商人としての現実だった。
会議が終わり、商人たちは散っていく。廊下で、レオンハルトが待っていた。
「どうだった」
「正しいと言われました」
「それで」
「怖いとも」
レオンハルトは、小さく息を吐く。
「削られる側か」
「ええ」
アリシアは、静かに言う。
「未来のために今を削る」
「だが今を生きる者もいる」
沈黙。外は、夕暮れだった。
「先に言え、と言われました」
アリシアは、ぽつりと言った。
「削る前に、支える話をしろ、と」
「もっともだ」
「……ええ」
夕暮れの中で、彼女は珍しく、すぐには歩き出さなかった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました。
正しい政策の下には、必ず「削られる側」がいます。
エドガーの言い分に頷いてしまった方は、評価の☆をひとつ置いていってください。




