第64話 合理の加速
三年計画が王宮内で正式に検討段階へ入った翌日。財務院の執務室には、若い官僚たちが集められていた。
その中心に立つのは、リュカ・アデル。二十代後半。淡い金髪をきっちりと撫でつけ、無駄のない書類整理をする姿は、いかにも優秀な文官という印象だった。
「鉱山再開の労働力ですが」
彼は、地図を広げながら言う。
「優遇税制を廃止するだけでは弱い」
数名の官僚が顔を上げた。会議で意見が出ること自体、この部屋では珍しい。
「どうする」
年長の官僚が訊いた。
「移動制限をかけるべきです」
静かな声だった。
「対象地域の成人男性は、一定期間鉱山契約を優先義務とする」
空気が止まった。若い官僚たちの何人かが、書き取りの手を止めている。
「徴用では?」
誰かが小さく言う。声の出どころは分からない。
「違います」
リュカは即答した。
「契約の優先順位を国家が定めるだけです」
言葉の選び方は柔らかい。だが内容は、強制に近い。
その提案は、その日のうちにアリシアの元へ届けられた。
――
執務室。
「移動制限?」
アリシアは、書面を読みながら呟く。
「はい」
リュカは、淡々と説明する。持参した資料は一枚だけだった。要点しか持ってこない。
「自発性に任せれば遅れます」
「遅れは許されない」
アリシアの言葉を、彼は自分の材料として受け取った。
「ならば制度で縛るべきです」
迷いがない。
「帝国は合理で動く」
「王国も合理で動くべきです」
彼の目は、真っ直ぐだった。
「感情に配慮していては、三年では間に合わない」
アリシアは、ゆっくりと顔を上げる。
「民は資源ではない」
「ですが資源でもあります」
即答だった。
「労働力は数値化可能です」
言葉が、冷たい。数字にできるものは、彼にとって扱ってよいものだ。
「効率の最大化が国家利益です」
沈黙。アリシアは、彼を見つめた。若い。鋭い。そして――危うい。
「あなたは、痛みをどう扱う」
「必要コストです」
即答だった。言い淀む場所が、この男には無い。
「削減対象です」
その言葉に、アリシアは一瞬だけ目を伏せた。かつての自分を見るような錯覚があった。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「救済制度は」
「後段階」
迷いがない。順序を疑ったことがない者の声だった。
「まず構造を完成させる」
昨日、セレナが言った言葉が脳裏をよぎる。
『順番が逆ではありませんか』
アリシアは、書面を閉じた。
「移動制限案は却下」
リュカが、わずかに眉を動かす。
「理由を」
撤回ではなく、説明を求めてくる。そこは彼女に似ていた。
「強制は反発を生む」
「反発は管理可能です」
「内乱は管理できない」
短く、鋭い。リュカは黙った。反論を探しているのが、沈黙の質で分かる。
「合理は必要」
アリシアは続ける。
「だが加速しすぎれば、国が割れる」
「では間に合いません」
「間に合わせる」
静かな断言だった。リュカは、わずかに頭を下げる。
「承知しました」
だが、その目に宿る熱は消えていない。書面を抱える手が、少しだけ強い。
――
廊下で、レオンハルトが待っていた。
「若い官僚か」
「ええ」
「優秀か」
「優秀」
言い切るとき、彼女は褒めていない。等級をつけている。
「危険か」
アリシアは、少しだけ考えた。即答しなかったこと自体が、答えでもある。
「私より速い」
レオンハルトが、苦笑した。
「それは危険だな」
「合理を信じすぎている」
「お前と同じか」
「いいえ」
彼女は静かに首を振る。
「私は嫌われる覚悟がある」
「彼は?」
「結果だけを見ている」
その違いは、微妙だが大きい。覚悟のない合理は、止まる場所を持たない。
レオンハルトは、窓の外を見た。
「急ぎすぎれば、民が離れる」
「ええ」
「だが遅れれば、帝国に飲まれる」
「ええ」
どちらも真実で、どちらも危険だった。
三年計画は、まだ始まったばかり。だがその内部では、すでに“加速”の兆しがあった。合理は武器になる。だが刃にもなる。
アリシアは、静かに息を吐く。
三年で変える。
だが――
どこまで削れば、国は壊れるのか。
まだ、答えは見えていなかった。
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