第50話 帝国使節団
王都の正門前に、黒と銀の旗が並んだ。
風に揺れる刺繍は、獣の意匠――帝国の紋章。
整然とした隊列は、誇示ではなく習慣のように静かだった。
人々はざわめく。
「帝国だ」
「祝意に来るって話じゃ……」
祝意。
その言葉が、どこか滑稽に響く。
祝うだけなら、軍装の護衛は要らない。
王宮の広間では、迎礼の準備が整えられていた。
王太子レオンハルト・アルヴェインは、玉座の一段下で立っている。
国王は同席するが、口を開く役ではない。
王太子が前に出る。
それが、すでに答えだった。
アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、列席者の端に立っていた。
公的な役職はない。
それでも、ここにいる。
それが外交の現実だ。
扉が開いた。
入ってきたのは、十数名の使節団。
中央を歩く男が、ひときわ目を引いた。
背は高く、姿勢が揺れない。
服装は礼装だが、装飾は抑えられている。
――合理的な美しさ。
男が一歩前に出る。
「ヴァルディナ帝国皇太子、カイゼル・ヴァルディナ」
名乗りは簡潔だった。
礼は深すぎない。
相手を敬うというより、形式を守るための角度。
「王国の再建を祝し、使節団を派遣した」
声は静かで、感情がない。
祝意という言葉が、再び場の空気に落ちる。
レオンハルトが答える。
「来訪に感謝する。
我が国は、今まさに再編の途上にある」
「承知している」
カイゼルは頷く。
「だからこそ、興味がある」
興味。
祝意よりも正直な言葉だ。
視線が、広間を滑る。
貴族の顔。
教会代表。
軍代表。
そして――アリシアで止まった。
ほんの一瞬。
だが、確かに止まった。
彼の瞳に、驚きはない。
あるのは、確認。
アリシアは視線を逸らさない。
互いに、沈黙のまま測る。
レオンハルトが、わずかに前へ出た。
「滞在中、必要な便宜は図ろう」
「不要だ」
カイゼルは即答する。
「必要なのは便宜ではなく、情報だ」
周囲の空気が固まる。
外交の場で、ここまで直截に言う者は少ない。
だが彼は、遠慮しない。
「本日、形式的な挨拶はこれで終える」
そして続けた。
「明日より協定交渉を始めたい」
速い。
だが、速さは帝国の武器だ。
レオンハルトは、微動だにせず頷く。
「受ける」
短い答え。
そのやり取りを、列席の貴族たちは不安そうに見ている。
――飲み込まれる。
その予感。
アリシアだけが、落ち着いていた。
カイゼルの視線が、再び彼女へ向く。
ほんのわずか、口元が上がる。
「……貴国の再編は、美しい」
誰に向けた言葉か。
広間は、沈黙する。
レオンハルトが、低く問う。
「美しい、とは」
「無駄がない」
それだけ。
褒め言葉に見えて、評価だ。
値踏み。
王国は今、祝われているのではない。
査定されている。
式典が終わり、使節団が退いた後。
回廊で、レオンハルトが息を吐いた。
「……圧があるな」
「ええ」
アリシアは、短く答える。
「彼は、祝意で来ていない」
「分かっている」
レオンハルトは窓の外を見る。
帝国の旗が、風に揺れる。
「何を取りに来た」
アリシアは、淡々と言う。
「弱点よ」
そして続ける。
「弱点が見つかれば、条件を出す」
「戦か」
「いいえ」
即答。
「戦争はコストが高い」
彼女の言葉は冷たい。
だが現実的だ。
「帝国は、契約で侵食する」
その瞬間、レオンハルトは理解した。
これは、内政ではない。
外交の戦場だ。
そして、その戦場の相手は――
自分たちと同じ言語で話す。
理と契約の言語で。
夜。
王都の宿舎で、カイゼルは書類を広げた。
「王国は整った」
側近の宰相ユリアンが、静かに答える。
「整えた者がいるからです」
「ヴァレンシュタイン」
カイゼルは、その名を口にする。
「断罪された女が、国を立て直す」
理解できる。
いや、理解しやすい。
「面白い」
その一言は、興味では終わらない。
「彼女を見たい」
ユリアンは、わずかに眉を動かす。
「敵国の者です」
「敵国だからだ」
カイゼルは、淡々と言った。
「価値ある者は、国境を越える」
王都の灯りは、静かに揺れている。
その光の中で、
帝国の視線は、すでに王国の中枢を捉えていた。




