第51話 合理の皇太子
帝国使節団来訪の翌夜、王宮では非公式の晩餐会が開かれた。公式な交渉ではない。だからこそ、本音が滲む。
長卓の中央にレオンハルト、その対面にカイゼル・ヴァルディナ。左右に貴族、軍、教会代表が並び、そこから少し離れた位置にアリシアの席があった。
料理が運ばれても、帝国側はほとんど口をつけない。皿ではなく、卓の端から端までを見ている。観察している。
「再編は、短期間で成し遂げたと聞く」
カイゼルが、穏やかに言う。
「六か月」
レオンハルトが答える。
「速い」
「遅すぎれば崩壊した」
短いやり取りだった。火花はない。だが張り詰めている。
「財政資料を拝見した」
カイゼルは続ける。
「支出削減は徹底している。
貴族特権も削った」
その視線が、自然とアリシアへ流れた。
「痛みは出ただろう」
問いではない。確認だ。
「出ました」
アリシアが、静かに答える。場の空気が、わずかに動いた。彼女が自ら言葉を出したからだ。
「だが、崩壊よりは軽い」
カイゼルの目が、わずかに細まる。
「計算か」
「はい」
迷いなく答えた。沈黙。周囲は息を詰める。
「……あなたは」
カイゼルが、ゆっくりと口を開く。
「なぜ王にならない」
静まり返った。レオンハルトの手が、わずかに止まる。無礼ではない。だが直截だ。
アリシアは、表情を変えなかった。
「王位継承権がありません」
「制度の話ではない」
即座に返る。
「能力の話だ」
ざわめきが広がり、貴族の何人かが顔色を変えた。王太子の前で、それを言う。だがカイゼルは挑発していない。本気で問うている。
「王は、象徴です」
アリシアは、淡々と言う。
「私は、設計者」
「設計者が、象徴になればよい」
「設計は嫌われます」
その答えは、静かだった。
「王は嫌われすぎてはならない」
一瞬、レオンハルトと視線が交わる。カイゼルは、そのやり取りを見逃さなかった。
「あなたは、嫌われる役を引き受けた」
「必要だったから」
即答だった。カイゼルは、わずかに笑う。
「合理的だ」
賞賛でも皮肉でもない。
「だが合理は、必ずしも最適解ではない」
アリシアの視線が、わずかに鋭くなる。
「最適解とは」
「最大利益」
即答。
「帝国は、常にそれを選ぶ」
空気が、少し冷えた。レオンハルトが口を挟む。
「王国は、利益だけで動かない」
「知っている」
カイゼルは、穏やかに答える。
「だから興味がある」
彼はワインを口にした。味を確かめる素振りはない。
「貴国は、契約国家を名乗る」
「そうだ」
「契約は、利益を最大化するための道具だ」
静かな断定だった。
「違う」
アリシアが、初めて即座に否定する。場が凍った。
「契約は、責任を明確にするためのもの」
視線がぶつかる。理と理。感情は、どちらにもない。
「利益なき責任は、無駄だ」
「責任なき利益は、侵略よ」
空気が、完全に止まった。貴族たちは息を飲む。ここは晩餐会だ。だが今、思想戦が始まっている。
カイゼルは、わずかに目を細めた。
「侵略」
「利益だけを追えば、他国は資源になる」
静かな声だった。
「帝国は、そうしないのかしら」
挑発ではない。確認だ。カイゼルは、しばらく沈黙した。
「我々は、戦争を嫌う」
「ええ」
「だが機会は逃さない」
正直だった。レオンハルトは、その言葉を重く受け止める。帝国は敵意を見せない。だが善意も見せない。あるのは、計算だけだ。
晩餐は、そのまま静かに終わった。
――
夜。宿舎に戻ったカイゼルは、窓辺に立っていた。
「どう見ますか」
宰相ユリアンが問う。
「完成度は高い」
「王国は」
「女が、だ」
カイゼルは淡々と言う。
「王太子は、まだ選びきれていない」
だが伸びる。
「面白い」
再びその言葉だった。
「取り込む価値がある」
――
一方、王宮。回廊で、レオンハルトが足を止めた。
「……厄介だな」
「ええ」
アリシアは、隣に並ぶ。
「彼は、敵ではない」
「だから厄介だ」
正面から攻撃してくる方が楽だ。だがカイゼルは理解している。再編を。思想を。だからこそ危険だった。
「彼は、弱点を探す」
「分かっている」
レオンハルトは、低く言う。
「見せるな」
「見せない」
短い言葉。だがその裏に、不安がある。王国は整った。だが外に向けては、まだ試されていない。
合理の皇太子は、笑わない。だが確実に、王国を測っている。
次に来るのは――提案か。それとも、条件か。
本話もお読みいただき、ありがとうございました。
「なぜ王にならない」――晩餐の席で、いちばん無礼な問いを、いちばん静かに置いていく男です。
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