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天香閣の偽り姫  作者: 鑫鑫


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6/7

続・夜霧の毒蛇と可憐な蝶 2/3

天香閣での華やかな夜宴が幕を閉じ、深夜の静寂が曜朝の宰相邸を包み込んでいた。

離れの遮光の垂れ幕が下ろされた一室にいる彼女の瞳に、昼間の生気のない「おっとり感」は微塵もなかった。

麗華は手際よく薬湯を煎じていた。

土鍋から立ち上る薬草の独特な香りが、静かな部屋に満ちていく。母屋で胃を痛めて臥せっている父のため、心を込めて煎じるお薬。だが、誰も見ていないこの離れの室内で、彼女の視線は土鍋ではなく、机の上に広げた朝廷の「塩鉄帳」の写しへと注がれていた。

手際よく団扇(うちわ)を動かし、火加減を調節する。その優雅な動作とは裏腹に、彼女の頭脳は書き写した国家予算の数字の矛盾を、冷徹に弾き出していた。


トントン


部屋の扉が気配もなく、小さく叩かれた。

麗華は団扇の手を止めず、視線だけを音の方へと向けた。

麗華の影として従う部下が、音もなく部屋に入り、国境の闇市場での凄惨な情報の歪みを置いて行った。


彼女は出来上がった薬湯を白磁の器に注ぎ入れると、ゆっくりとした足取りで母屋の奥にある父――曜朝の宰相の寝所へと向かった。


「お父様、お薬が入りましたわ。温かいうちにどうぞ」


ふんわりとした柔らかい笑みを浮かべ、麗華は横たわる父の背を優しく支え起こした。国庫を立て直さなければ国が傾く。しかし塩を値上げすれば民が暴動を起こす。その地獄の板挟みの中で、孤独に胃を痛め、国務の過労と、塩の暴騰による国境の混乱に心を痛め、病床に伏せってしまった父。

彼は差し出された薬湯を少しずつ飲み干すと、弱々しく息を吐いた。


「……麗華。すまんな、せっかく黎国から陸紫燕殿が来られたというのに、出迎えることもできず……」


「まあ、お父様。気になさらないでくださいませ。陸様には今夜の宴席でちゃんとお詫びをお伝えしておきましたから。それより、どうぞご無理をなさらず、ゆっくりお休みくださいね」


おっとりと微笑みながら布団を掛け直し、父が静かな寝息を立て始めるのを見届けると、麗華の表情からふっとすべての温もりが消え去った。

離れに戻り、鍵を掛けた麗華の瞳には、夜の暗香衛を統べる冷徹な知略の光が宿っていた。


「……さて、始めましょうか」


麗華は卓の上に、二種類の資料を並べた。

ひとつは、先ほど父の書斎の暗号金庫から密かに写し取ってきた、曜朝中央の『官営塩田および流通公式記録』。

そしてもうひとつは、自身の影である暗香衛が、命懸けで国境地帯と現場の塩田から収集してきた『現地潜入調査報告書』である。


麗華は算盤を取り出し、パチパチと小気味よい音を立てて弾き始めた。

中央の算術士たちが何ヶ月もかけて誤魔化してきた不自然な数値の辻褄を、彼女の天才的な頭脳はわずか数分で解きほぐしていく。

そして、二つのデータを突き合わせた瞬間、彼女の唇から、氷のように冷たい吐息が漏れた。


「……呆れた。我が国の役人と特権商人たちは、ここまで腐り果てていましたのね」


導き出された真実は、国を内側から崩壊させる三つの凶悪な「歪み」であった。


一、数字の逆転――豊作を不作と偽る強欲

都の朝廷に提出された報告書には「官営塩田は天候不順により大不作。廃棄処分にするしかない質の悪い塩が数トン発生し、国庫の収入はゼロ」と書かれていた。

しかし、暗香衛の現場報告によれば、現地は連日の快晴で過去最高の超豊作。そして闇市場に流れていたのは、「廃棄物」どころか、白く美しく輝く最高級の極上塩であった。役人たちは塩田の生産量を偽り、極上塩をまるまる横流しして私腹を肥やしていたのだ。


二、消えた輸送費――存在しない障害による暴利

公式の特権商人たちは、「国境への最短街道が土砂崩れで完全閉鎖されたため、迂回路の輸送費が三倍に跳ね上がった」と申請し、その費用を理由に民衆への販売価格を三倍に吊り上げていた。

だが、暗香衛が確認した街道は何ひとつ崩れておらず、商人の馬車が平然と行き交っていた。商人たちは存在しない「偽の輸送費」を口実に、民衆から血税を搾り取っていたのだ。


そして――最も惨烈な、三つ目の歪み。


三、「死神」の正体――混戦の悲劇と保身の隠蔽

朝廷に届いた華々しい戦果報告。「国境警備隊が、黎国の武装密売人百人を激しい戦闘の末に処刑」。

しかし、暗香衛の裏調査が明かした真相は、あまりにも痛ましい失態であった。現場の警備隊は、実際に発生した本物の武装密売集団の急襲に応戦していた。だが、夜間の混乱の中、逃げ惑う困窮した自国の貧民たちを敵の一味と誤認し、巻き込んでしまったのだ。

「殺してやろう」という悪意ではなく、混戦ゆえの悲劇――。そして自らの失態が露見して厳罰に処されることを恐れた現場の指揮官が、保身のために事実を歪め、「黎国の密売人を百人討伐した」と偽りの手柄として報告していたのである。


「恐れと保身のために真相を隠し、自国の民の死すら手柄にすり替えるとは……」


麗華の声に、静かな怒りと悲しみが滲む。

このままでは曜朝は内側から腐り、激怒した隣国・黎国との全面戦争、あるいは行き詰まった民衆の大暴動が起きる。

この血塗られた負の連鎖を断ち切れるのは、武力弾圧の無意味さを理解し、経済の仕組みを理解しているあの男――黎国の若き知将・陸紫燕しかいない。


麗華は特製の香料、炙ることで文字が浮かび上がる見えない墨を塗った筆を取った。

彼女は今夜、古書の行間に忍ばせた裏帳簿の解読鍵とともに、この「三つの歪み」を正すための緻密な計算式と、腐敗を根絶する革新的な「流通改革案」を、密かに陸紫燕への「貸し」として書き込んでいくのだった。

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