EP 2
新規現場の環境アセスメントと、粗大ゴミの解体作業
「――さて。まずは新規現場の環境アセスメントからだな」
紫煙を燻らせながら、尊は周囲の植生と地形を静かに観察していた。
鬱蒼と茂る木々。足元を覆う下草。見知らぬ動植物の気配。
(気温はおよそ22度、湿度は60%前後。土壌は腐葉土に近いが、空気中に未知のエネルギー粒子――恐らく魔力と呼ばれるものが微量に混ざっている)
『建築物環境衛生管理技術者(ビル管理士)』の資格を持つ尊にとって、この広大な森も一つの巨大な「施設」に過ぎない。
換気状態、水脈の配置、生態系のバランス。それらを歩きながら脳内でマッピングしていく。
「空気の流れが淀んでいる箇所がある。……それに、この足跡」
尊はふと立ち止まり、地面に残された巨大な轍のような痕跡を見た。
周囲の樹皮は乱暴に削り取られ、一部の木は根元からへし折られている。
「動線管理もへったくれもないな。現場の安全を著しく脅かす『イレギュラー』がうろついているらしい」
その時だった。
ズズズンッ……!
地響きを立てて、森の奥から『それ』が現れた。
体長3メートルは優に超える巨大な猛牛。しかし、ただの牛ではない。頭部から背中にかけて、分厚い岩の装甲がびっしりと覆っているのだ。
マンルシア大陸に生息する魔獣――ロックバイソン。
だが、この個体は異常だった。瞳は赤く血走り、口からは白泡を吹いて狂暴化している。
尊を見つけるや否や、ロックバイソンは前脚で地面を蹴り上げ、猛烈なスピードで突進してきた。
ダンプカーがノーブレーキで突っ込んでくるに等しい質量と破壊力。
「……完全に制御を失った重機か。放置すれば労働災害(労災)に繋がる。ただちに排除(清掃)する」
尊は咥えていたセブンスターを携帯灰皿にしまい、右手でURデッキブラシを軽く回した。
まずは日本古武術――『杖術』の「静」の構え。
轟音を立てて迫る岩の巨体。
激突する直前、尊は一歩も退かず、逆に半歩前へ踏み込んだ。
無双流・流体制圧。
『ファインマン物理学』における流体力学を応用した体捌き。
ロックバイソンの生み出す突進の「風圧」と「力の流れ」に逆らわず、自らの体を水のように滑らせて、巨体の側面へと回り込む。
「モップ掛けの基本は、力の入れ具合と『材質の選定』だ」
尊が思考した瞬間、手にしたURデッキブラシの木製の柄が、鈍い光を放つ『鋼鉄』へと一瞬で変成した。
重量と硬度が跳ね上がる。
構えが切り替わる。
静かな杖術から一転、遠心力を極限まで乗せた中国武術の『棍術』へ。
鋼鉄のデッキブラシが、竜巻のような旋回を描く。
「シッ!」
鋭い呼気とともに放たれた一撃が、ロックバイソンの岩の装甲に激突する。
ガァァンッ!!
森の中に、鐘を打ち鳴らしたような爆音が響き渡った。
「モォォォォオオオッ!?」
装甲のひび割れと脳震盪にたまらず体勢を崩すロックバイソン。
だが、尊の清掃業務は終わらない。
相手が倒れかけた隙を見逃さず、今度はブラシを短く持ち直し、フィリピン武術『エスクリマ』の超至近距離の連撃へと移行する。
関節、急所、装甲の隙間。
目にも留まらぬ手数のトラッピング(絡め手)で、巨獣の抵抗力を完全に奪い去っていく。
「仕上げだ」
尊は自ら地面に倒れ込むように身を沈めると同時に、東南アジアの武術『シラット』の足技を発動。
鋼鉄の柄と自身の脚でロックバイソンの前脚を挟み込み、テコの原理で完全に破壊した。
ドズンッ!!
ついに大地に倒れ伏すロックバイソン。
尊はゆっくりと立ち上がり、ヨーロッパの長柄武器術『クォータースタッフ』の要領で、デッキブラシの「柄の先端」を、無防備になったバイソンの眉間へ正確に振り下ろした。
ゴシャッ。
ピクピクと痙攣したのち、巨大な魔獣は完全に沈黙した。
「……ふぅ。粗大ゴミの解体作業、完了だ」
尊は息を一つ吐き、足元の惨状を見下ろした。
周囲には折れた木々が散乱し、地面にはバイソンの血や泥が飛び散っている。自身のMA-1の袖にも、少しばかり汚れが付着していた。
「URデッキブラシ……『汚れを落とす』機能だったか。試してみるか」
尊がブラシのヘッド部分を地面に向け、軽く念じながら一撫でする。
すると――淡い光が広がり、地面の血痕も、服に付いた泥も、まるで「最初から存在しなかった」かのように一瞬で消滅した。
新品同様の衣服。文字通りの完全な『原状回復』。
「……なるほど。これは清掃業における究極のオーパーツ(神器)だな」
尊がその異常な性能に静かに感心していた、その時だった。
――ドドドドンッ!!
森のさらに奥から、先ほどのバイソンとは比べ物にならない轟音と、かすかな火薬の匂いが風に乗って流れてきた。
「……魔導爆薬の匂いか。それに、複数の足音」
尊は目を細め、音のした方角へ視線を向けた。
「どうやら、まだこの現場には『掃き溜め』が残っているらしい」
鋼鉄から元の木製へとブラシの柄を戻し、尊は迷いなく歩き出した。
新たなトラブルの火種――いや、取り除くべき「汚れ」を求めて。




