第一章「異世界の汚れ(バグ)、まとめて清掃(駆逐)いたします」
誤転生は突然に。現場責任者、異世界の地を踏む
「……まったく、どいつもこいつも自己管理がなっちゃいねぇ」
深夜のオフィスビル。
静まり返ったフロアに、ゴシゴシと規則正しい摩擦音だけが響いていた。
清掃会社でフィールドマネージャー(現場統括責任者)を務める大和尊(やまと たける・25歳)は、愛用のデッキブラシを手に、床の黒ずみと格闘していた。
MA-1にボーダーシャツ、色落ちしたジーパンというラフな作業着姿だが、その動きには一切の無駄がない。
現在、尊の部下である清掃スタッフたちは、季節外れの集団風邪で全滅中。
本来なら数人で回す現場の工数を、尊はたった1人で、しかも通常より早いペースで消化していた。無双流棒術で鍛え上げられた体幹と、物理法則に則った完璧な重心移動。ただの清掃作業すら、彼にかかれば洗練された武術の演武のようだった。
「よし、このフロアの『原状回復』は完了だ。次は給湯室の裏だな」
額の汗を拭い、尊は用具入れの扉を開けた。
――はずだった。
「……ん?」
そこはモップや洗剤が並ぶ無機質なバックヤードではなく、四畳半の畳が敷かれた和室だった。
中央にはコタツ。その上には飲み散らかされた缶ビールと、みかんの皮。
そしてコタツの中には、色気もクソもないエンジ色の『芋ジャージ』を着た女が、丸まって鼻をかんでいた。
絶世の美女、と言っていい顔立ちだった。だが、漂う生活感と怠惰なオーラがすべてを台無しにしている。
「ふぇ~……ックションッ!!」
女が豪快なくしゃみをした瞬間、尊の足元の空間がぐにゃりと歪んだ。
重力が消失し、底なし沼に足を引きずり込まれるような感覚。
「あ、やっべ」
女――女神ルチアナは、ティッシュを片手に気まずそうに尊を見た。
「え? あ~……ふぇ~クッシュ! ごめんごめん、風邪ひいた拍子に、あんたを異世界転生させちゃったわ」
「はぁ!?」
尊は眉間を寄せた。
トラックに轢かれたわけでも、通り魔に刺されたわけでもない。ただ床を磨いて扉を開けただけだ。
「俺はまだ死んでいないが。労災も降りねぇぞ、これ」
「まぁまぁ、これも何かの縁だから♡ そうね、お詫びにスキルをあげる。あんたが持ってるその『デッキブラシ』を、URにしてあげるわ」
「……何?」
「絶対に壊れないし、素材も自由自在。長短も思いのまま。どんな汚れ(概念含む)も落とせるし、ブラシの部分は無限に伸びて操れる便利仕様よ! じゃあね、良い異世界転生を~!」
「おい、待て、勝手に現場の配置換えを――」
抗議の声を上げるより早く、尊の体は完全に光の渦へと飲み込まれた。
最後に見たのは、ルチアナが「あー、月人くんの深夜番組始まっちゃう」とテレビのリモコンを探す姿だった。
――バサッ。
次に尊が目を開けた時、そこは青々とした木々が生い茂る、見知らぬ深い森の中だった。
見上げれば、地球のそれとは明らかに違う、巨大な二つの月が浮かんでいる。
「…………」
尊は慌てなかった。
パニックは生存確率を著しく下げる。『SASサバイバル・ハンドブック』の基本中の基本だ。
彼はまず、自身の状態を確認した。
肉体に欠損はない。着ているMA-1もジーパンも、ポケットの財布やスキットルも無事だ。
そして右手には、見慣れた仕事道具――ただし、柄の部分が鈍い金属光沢を放ち、謎のオーラを纏った『URデッキブラシ』が握られていた。
「絶対に壊れず、素材や長さも変幻自在、か」
尊は無双流の構えをとり、軽くデッキブラシを振った。
ヒュンッ!! と、空気が悲鳴を上げる。
ただの一振りで、前方数メートルの空間に強烈な風圧が発生し、太い木の枝が真っ二つにへし折れた。
「……なるほど。重心のバランスも完璧だ。清掃用具としてはオーバースペックだが、悪くない」
現状、ここは完全に未知の現場だ。
だが、やることは地球と変わらない。状況を把握し、降りかかるトラブル(汚れ)を効率的に排除(清掃)するだけだ。
尊はMA-1のポケットから、愛飲している『セブンスター』の箱を取り出した。
一本咥え、昔ながらのマッチブックを指先で弾いて火をつける。
シュボッ。
紫煙を深く吸い込み、異世界の澄んだ空気の中にゆっくりと吐き出した。
「仕方ねぇ。異世界を楽しむとするか」
現場責任者・大和尊の、異世界大掃除業務が、今ここにシフトインした。
【天界・ルチアナの部屋】
「ふふ~ん♪ 月人くん今日も顔がいいわぁ~」
芋ジャージ姿でテレビを眺めていたルチアナは、CMの合間にふと、先ほど適当に転生させてしまった男――大和尊の「ステータス・履歴書」をパラパラと捲った。
「えーっと、機械工学専攻、ビジネス法務、危険物取扱者、調理師、TCCC(戦術的戦傷救護)……って、何この資格の数。というか、無双流棒術・免許皆伝?」
ルチアナの顔から、スッと血の気が引いた。
「身体能力……異常。戦闘技術……異常。思考回路……冷徹極まりない現場至上主義。……え、ちょっと待って。私、こんな歩く戦略兵器みたいな人間に、何でもありの『UR武器』渡しちゃったの……!?」
しかも、一切の事前説明なしで、魔獣や覇権争いが蠢くアナステシア大陸(しかもレオンハートとルナミスの国境付近のヤバい森)に放り込んでしまった。
「あわわわわ……! こ、これヴァルキュリアちゃんにバレたら、確実に壁ドンからの10時間正座説教コースじゃないの!?」
女神の悲鳴がコタツ部屋に虚しく響いたが、すでに事態は動き出していた。
マンルシア大陸の歴史が、一人の「清掃員」によって激変しようとしていることに、世界はまだ気づいていない。




