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狙われた理由


 その夜。


 リゼは自室のベッドに寝転がり、昼間の出来事を思い返していた。


 床に落ちていた紙。


 刻まれていた蛇と剣の紋章。


もう少しで手がかりが掴めそうなのに、それが犯人の罠のようにも思えて――。


犯人はわかっているはずなのに、肝心の証拠がなければ捕まえることができない。


そのもどかしさだけが、胸の中に募っていく。


次いつ誰が狙われるかも分からないし、被害が大きくなるかもしれない。


「……怖い。」


 リゼは小さく呟き、ぎゅっと毛布を握った。


 その時。


 コンコン。


「……!」


 扉を叩く音。


 リゼの肩が跳ねる。


「誰ですか?」


「俺だ。」


 聞き慣れた声。


「……ノクス?」


「ああ。」


 ほっと息を吐く。


 扉を開けると、そこにはノクスが立っていた。


「どうしたの?」


「様子を見に来た。」


「私なら大丈夫だよ。」


 そう言ったものの。


 声は少し震えていた。


 ノクスは何も言わず、リゼの顔を見る。


「……大丈夫には見えない。」


「……。」


 言い返せない。


 ノクスは静かに部屋へ入ると、少し離れた場所に立った。


「眠れそうか?」


「たぶん……。」


「嘘だな。」


「……。」


 また見抜かれた。


 リゼは小さく笑った。


「ノクスには、何でもわかっちゃうね。」


「お前のことならな。」


 さらりと言われて。


「……っ。」


 今度は別の意味で胸が騒いだ。


 俯くリゼを見て、ノクスは少しだけ笑った。


 そっとリゼの頭に手を置く。


 リゼは顔を上げた。


 真剣な目。


 冗談ではない。


「お前が怖い時も。」


 ノクスの指が、優しく髪を撫でる。


「不安な時も。」


 もう一度。


「俺はそばにいる。」


 胸がいっぱいになる。


「……ありがとうございます。」


 リゼは小さく笑った。


「私も、ノクスがいると安心します。」


「そうか。」


「はい。」


 少しの沈黙。


 けれど嫌ではなかった。


 むしろ、この静かな時間が心地よかった。


 ノクスが帰ろうとした時。


「……あの。」


「何だ?」


「もう少しだけ、いてくれませんか?」


 言ってから、恥ずかしくなって俯く。


 ノクスは少しだけ目を見開いた。


 そして。


「ああ。」


 短く答えた。


 そのまま、部屋の椅子に腰を下ろす。


 リゼもベッドの端に座った。


 二人の間には、穏やかな時間が流れた。


 けれど。


 その夜。


 リゼは知らなかった。


 城の別の場所で。


 一枚の紙が燃やされていることを。


◇ ◇ ◇


「計画を変更します。」


 暗い部屋。


 青年貴族が、手紙を暖炉へ投げ入れる。


 炎が紙を包み込む。


「リゼという娘を直接狙うのですか?」


 暗闇から声がする。


「まだ殺す必要はありません。」


 青年は静かに答えた。


「彼女には、もっと価値がある。」


「価値……?」


「そう。」


 青年は微笑む。


「彼女の鼻は、我々が思っていた以上に鋭い。」


 炎の中で、紙が灰になっていく。


「毒を見抜けるだけじゃない。」


 青年は窓の外を見る。


「彼女は、人の匂いを覚えている。」


「……。」


「一度覚えられた匂いは、二度と忘れない。」


 青年は指先で香水瓶を弄ぶ。


「だから彼女が証言すれば、私は逃げられない。」


 そこで初めて。


 その笑顔から余裕が消えた。


「ならば――。」


 香水瓶を机に置く。


「彼女の記憶そのものを、疑わせればいい。」


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 リゼが給仕室へ向かっていると。


 廊下の角から、一人の使用人が駆けてきた。


「リゼさん!」


「はい?」


「大変です!」


「どうしました?」


 使用人は息を切らしながら告げる。


「昨日、あなたが触った紙から――。」


「紙?」


「毒物が検出されたそうです。」


「……え?」


 リゼの顔から血の気が引いた。


「あなたが触った時に、毒が付着していた可能性があるそうです。」


「そんな……。」


 昨日の紙。


 あの紋章。


 そして、自分の手。


 リゼは思わず手を見つめた。


「でも、私は……。」


 その時。


 背後から低い声が響いた。


「リゼ。」


 振り返る。


 ノクスだった。


 その顔を見た瞬間。


 リゼは悟った。


 これは偶然ではない。


 犯人は。


 自分を追い詰めようとしている。


 そして――。


 自分の嗅覚を利用して、何かを仕掛けようとしている。


 ノクスがリゼの前に立つ。


「俺から離れるな。」


 その声は、いつもより低かった。


「ここから先は、俺が必ず真相を暴く。」


 リゼは小さく頷いた。


 けれど。


 彼女の鼻には、まだ気づかないほど微かな香りが残っていた。


 その香りが。


 次の事件への扉を開くことになるとも知らずに。

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