匂いが残した手がかり
翌朝。
王宮には、昨夜の毒事件の緊張がまだ残っていた。
廊下を歩く使用人たちの表情は暗く、楽しげだった祝賀会の空気は跡形もない。
リゼは静かに給仕室で食器を磨いていた。
「リゼ。」
顔を上げると、扉の前にノクスが立っていた。
「殿下がお呼びだ。」
「……私を、ですか?」
「ああ。」
その声はいつもと変わらない。
だからこそ、リゼは少しだけ安心して頷いた。
◇ ◇ ◇
執務室には王子と薬師、そして騎士団長が集まっていた。
「来てくれてありがとう、リゼ。」
王子は穏やかに微笑む。
「昨日君が気づいたことについて、もう少し詳しく聞かせてほしい。」
リゼは小さく息を吸った。
「……はい。」
そして、昨日感じた匂いを一つひとつ思い出しながら話し始める。
「最初は香水の匂いでした。」
「香水?」
薬師が反応する。
「はい。とても強い香りです。でも、その奥に別の匂いがありました。」
「どんな匂いだった?」
「薬草のような……それから、濡れた鉄みたいな匂いです。」
薬師は考え込む。
「他には?」
リゼは目を閉じる。
あの瞬間を思い出す。
祝賀会。
杯。
そして――。
「……少しだけ、甘い匂いもしました。」
その一言で、薬師の表情が変わった。
「甘い?」
「はい。本当に少しだけです。」
薬師は王子を見る。
「殿下、それなら心当たりがあります。」
「何だ?」
「毒そのものではありません。」
一拍置いて続ける。
「毒を扱う者が、身体を守るために使う薬草です。」
部屋が静まり返る。
「つまり……。」
騎士団長が低く呟く。
「犯人自身が毒を扱っている可能性が高い。」
「はい。」
薬師は静かに頷いた。
「長く毒を扱う者は、自らも毒に侵されないよう特殊な薬草を常用します。」
リゼははっと顔を上げた。
(だから、あの匂い……。)
毒ではなく。
毒から身を守る薬草だった。
「すごいな。」
王子が感心したように言う。
「君がいなければ、この手がかりは見つからなかった。」
リゼは照れくさそうに首を振った。
「私は匂いを感じただけです。」
「その”だけ”が難しいんだよ。」
王子は優しく笑った。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
ノクスとリゼは、事件のあった大広間を調べていた。
「……まだ匂いは残っているか?」
リゼはゆっくり目を閉じる。
深く息を吸う。
飾られた花。
銀食器。
料理。
さまざまな匂いが混ざり合う。
その中で。
「……あ。」
リゼは一歩踏み出した。
「この辺です。」
杯が置かれていた机の近く。
そして、さらに数歩先へ。
「匂いが続いています。」
ノクスは黙って後ろを歩く。
リゼは香りを追うように廊下へ出た。
曲がり角。
階段。
さらに進む。
やがて、一つの小さな扉の前で立ち止まった。
「ここ……。」
ノクスが扉を見る。
「物置か。」
鍵は閉まっていた。
しかし。
扉の取っ手から、あの匂いが微かに漂っている。
「昨日と同じ匂いです。」
リゼは確信していた。
ノクスは静かに周囲を見渡す。
「騎士を呼ぶ。」
その瞬間だった。
カラン――。
廊下の奥で、小さな音が響いた。
二人が同時に振り向く。
黒い影が、一瞬だけ角を曲がるのが見えた。
「待て!」
ノクスが駆け出す。
リゼも思わず後を追う。
静かな王宮に、二人の足音が響き渡る。
事件は、ついに動き始めた。




