おかえり
三日目の午後。
城の正門が、いつもより少しだけ騒がしかった。
「殿下がお戻りになられます!」
衛兵の声が廊下まで響く。
リゼは手にしていた花瓶をそっと置き、小さく息をのんだ。
(……今日)
今日、ノクスが帰ってくる。
たった三日。
それなのに、とても長く感じた。
仕事中も。
食事の時間も。
夜、眠る前も。
気づけば考えてしまうのは、いつもノクスのことだった。
「リゼ、迎えに行かないの?」
同僚がくすっと笑う。
「え?」
「顔に『今すぐ行きたい』って書いてある。」
「そ、そんなこと……!」
「ある。」
即答される。
最近、城のみんなが即答する。
もう慣れ始めている自分が少し悔しい。
「ほら、行っておいで。」
背中を軽く押される。
リゼは少し迷ってから、小さく頷いた。
「……少しだけ。」
そう言うと、自然と足が速くなった。
◇ ◇ ◇
城門の前には、王子の一行が到着していた。
馬から降りる騎士たち。
荷を運ぶ兵士たち。
その中に。
(いた……。)
黒い髪。
見慣れた後ろ姿。
ノクスだった。
荷物の確認を終えた彼が、ふと顔を上げる。
視線が重なった。
その瞬間。
ノクスの表情が、少しだけやわらぐ。
ほんのわずか。
でもリゼにはわかった。
「ノクス!」
気づけば、名前を呼んでいた。
そして。
小走りで駆け寄っていた。
「……リゼ。」
ノクスも一歩前へ出る。
あと数歩で届く距離。
その時だった。
「ノクス。」
王子の声が飛ぶ。
ノクスの足が止まる。
リゼも思わず立ち止まった。
王子は二人を見比べると、口元を押さえて笑う。
「私はまだここにいるぞ。」
「……失礼しました。」
ノクスは一礼する。
耳が少し赤い。
珍しい。
王子は肩をすくめた。
「仕事を終えてからにしなさい。」
「はい。」
真面目に返事をするノクスを見て、リゼは思わず笑ってしまう。
「何だ?」
ノクスが不思議そうに尋ねる。
「なんでもありません。」
首を横に振る。
でも。
笑顔は止まらなかった。
◇ ◇ ◇
その日の夕暮れ。
仕事を終えたリゼは、中庭へ向かっていた。
「待たせた。」
振り返る。
そこには、私服に着替えたノクスが立っていた。
「お疲れさまでした。」
「ただいま。」
その一言に、胸がいっぱいになる。
ずっと待っていた言葉。
だから。
リゼは自然に微笑んだ。
「……おかえりなさい。」
たったそれだけ。
それだけなのに。
ノクスの表情がふっとほどけた。
「その言葉が聞きたかった。」
静かな声。
でも、どこか照れくさそうで。
リゼの頬も赤くなる。
「三日しか離れていないのに、不思議ですね。」
「ああ。」
ノクスは頷く。
「長く感じた。」
その言葉が嬉しかった。
自分だけじゃなかった。
同じように思ってくれていた。
それだけで十分だった。
「リゼ。」
「はい?」
ノクスがゆっくりと手を差し出す。
「少し歩かないか。」
「はい。」
迷わずその手を取る。
指先が触れた瞬間、ぎゅっと握り返された。
「……会いたかった。」
ぽつりと落ちた言葉に、リゼは立ち止まる。
聞き間違いかと思った。
ノクスが、そんなふうに言うなんて。
「もう一度言いましょうか?」
少しだけいたずらっぽく笑うと、ノクスは困ったように息をついた。
「……意地悪だな。」
珍しい返しに、リゼはくすっと笑う。
「私もです。」
「何がだ?」
リゼはノクスをまっすぐ見つめる。
少し照れながら、それでもしっかりと伝えた。
「会いたかったです。」
一瞬の静寂。
そして。
ノクスは何も言わず、そっとリゼの手の甲に口づけを落とした。
「っ……!」
驚いて目を見開く。
「城の中だぞ。」
少し離れたところから、聞き覚えのある声が飛んできた。
二人が同時に振り返ると、王子が苦笑しながら立っている。
「……殿下。」
ノクスは少しだけ気まずそうな顔をする。
「ほどほどにな。」
そう言い残して、王子は笑いながら歩き去っていった。
リゼとノクスは顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく笑い出した。
夕焼けに染まる中庭に、穏やかな笑い声が響く。
離れていた三日間は、決して無駄ではなかった。
会えなかった時間があったからこそ。
「ただいま」と「おかえり」の一言が、こんなにも特別になったのだから。




