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消えた心配


 朝の城は、いつもより少しだけ慌ただしかった。


 リゼは給仕の仕事を終え、廊下を歩いていた。


「リゼ」


 穏やかな声に足を止める。


 振り返ると、そこに立っていたのは、この国の王子だった。


「お、王子殿下!」


 慌てて一礼する。


「そんなにかしこまらなくていいよ。少し話をしてもいいかな?」


「は、はい!」


 緊張で背筋が伸びる。


 王子は柔らかく微笑み、近くの中庭へ歩き出した。


「君のことは前から知っていたよ」


「え?」


「よく働く給仕だってね。」


 思いもよらない言葉に、リゼは目を丸くする。


「ありがとうございます……」


 王子は花壇を眺めながら、小さく笑った。


「でも、最近は違う意味でも有名かな。」


「……え?」


「ノクスが変わった。」


 その一言で、リゼの心臓が跳ねる。


「彼は昔から真面目で、優秀で……少し近寄りがたい男だった。」


 リゼは静かに頷く。


 初めて会った頃のノクスを思い出す。


 冷たく見えて、感情が読めなくて。


 でも、本当は誰よりも優しかった。


「昔の彼なら、仕事中に誰かの髪を整えるなんて考えられない。」


「っ……」


 思い当たる節がありすぎる。


「誰かを待つことも。」


「……」


「誰かの体調を気にして、執務を切り上げることも。」


 全部、自分のことだった。


 顔が熱くなる。


 王子はそんなリゼを見て、くすりと笑った。


「君は気づいていないみたいだけど。」


「え?」


「彼、君のことになると少しだけ余裕がなくなるんだ。」


「……ノクスが、ですか?」


「うん。」


 王子は迷いなく頷いた。


「君を探している時は、視線だけでわかる。」


 思わず笑ってしまいそうになる。


 あの冷静なノクスが、そんなふうに見えるなんて。


「だからね。」


 王子はリゼの方を向いた。


 その瞳は、とても優しかった。


「ありがとう。」


「……え?」


「ノクスを笑うようにしてくれて。」


 リゼは息をのむ。


 笑うように。


 その言葉が胸に響く。


「私は、彼が笑ったところをほとんど見たことがなかった。」


 少しだけ寂しそうな笑顔だった。


「責任感が強すぎて、自分を後回しにする男だから。」


 リゼはノクスが話してくれた過去を思い出す。


 守れなかった人。


 抱え続けてきた後悔。


 だから、誰かを近づけようとしなかったこと。


「でも今は違う。」


 王子は穏やかに続ける。


「君の隣にいる時だけ、ちゃんと一人の青年の顔をする。」


 胸がじんわりと熱くなる。


「だから、安心した。」


 その言葉に、リゼは思わず顔を上げた。


「……安心?」


「うん。」


 王子は微笑む。


「ようやく、あいつにも帰る場所ができたんだなって。」


 その一言で、胸がいっぱいになった。


 ノクスにとって、自分がそんな存在になれているのだろうか。


 そうだったら、嬉しい。


 本当に嬉しい。


「殿下。」


 リゼはゆっくり頭を下げた。


「私……ノクスを幸せにしたいです。」


 自然と口から出た言葉だった。


 王子は少し驚いたように目を見開き、それから優しく笑う。


「その言葉が聞けてよかった。」


 その時だった。


「……何を話している。」


 聞き慣れた低い声が響く。


 振り返ると、少しだけ眉を寄せたノクスが立っていた。


「ノクス!」


 思わず笑顔になる。


 そんなリゼを見たノクスの表情が、ふっとやわらぐ。


 その一瞬を見逃さなかった王子は、肩をすくめて笑った。


「ほらね。」


「?」


「君を見る時だけ、その顔をする。」


 ノクスは何のことかわからないという顔をしていた。


 けれど耳だけが、ほんの少し赤くなっていた。


 それを見たリゼは、小さく笑う。


 そんな二人を見ながら王子は思う。


(本当に変わったな。)


 冷たい剣のようだった男は、今では誰かを想い、その笑顔を守ろうとしている。


 それならきっと。


 これから先にどんな試練が待っていたとしても。


 二人なら乗り越えていける。


 そんな予感が、穏やかな風とともに中庭を吹き抜けていった。

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