眠るまで、あと少し
雨は、まだ降り続いていた。
窓を叩く音は静かで、心地いい。
リゼはノクスの膝の上に座ったまま、すっかり動けなくなっていた。
原因はわかっている。
(……近い)
近すぎる。
名前を呼んだだけなのに。
どうしてこんなことになったのか。
「……顔が赤いな」
頭上から声が落ちてくる。
「ノクスのせいです」
思わずそう返すと。
「そうか」
ノクスはあっさり認めた。
「え」
「否定はしない」
淡々とした返事。
そのくせ。
髪を撫でる手は止まらない。
「っ……」
ずるい。
本当にずるい。
付き合う前はもっと距離があったはずなのに。
今は完全になくなっている。
「……リゼ」
「はい」
「眠いか」
言われて気づく。
確かに少し。
頭が重い。
雨音も。
安心する匂いも。
体温も。
全部が眠気を誘ってくる。
「……少しだけ」
正直に答える。
すると。
ノクスは小さく息を吐いた。
「なら寝ろ」
「え」
「ここで」
「ここで!?」
思わず声が裏返る。
ノクスは平然としていた。
「問題あるか」
「あります!」
即答だった。
だって。
膝の上で寝るなんて。
そんなの。
恥ずかしすぎる。
けれど。
「……そうか」
珍しく少しだけ残念そうな顔をした。
(え)
今。
(残念そうだった?)
見間違いかと思う。
でも。
確かにそう見えた。
そのとき。
ぐい、と肩を引かれる。
「っ!」
今度は膝の上じゃない。
隣へ。
ソファへ座り直される。
そして。
自然な動きで肩を抱かれた。
「……これならいいだろう」
低い声。
反論できない。
というか。
(前より近い気がする……)
肩が触れている。
腕に囲まれている。
逃げ場がない。
でも。
不思議と嫌じゃない。
むしろ。
安心する。
「……眠れ」
ぽん、と頭を撫でられる。
その手が優しい。
何度も。
ゆっくり。
落ち着かせるみたいに。
気づけば。
瞼が重くなっていた。
「……ノクス」
うとうとしながら名前を呼ぶ。
「なんだ」
「ずっとここにいる?」
自分でも変な質問だと思う。
でも。
眠くなると、不安になる。
目を閉じたら。
起きたら。
いなくなってしまう気がして。
すると。
ノクスは少しだけ黙った。
それから。
リゼの額へ、そっと唇を寄せた。
「いる」
短い一言。
でも。
それだけで十分だった。
胸の奥があたたかくなる。
「……よかった」
安心して目を閉じる。
すぐ近くに。
好きな人の匂いがある。
好きな人の体温がある。
好きな人の声がある。
それが嬉しくて。
自然と頬が緩んだ。
そのまま。
ゆっくりと意識が沈んでいく。
⸻
しばらくして。
ノクスは腕の中を見下ろした。
規則正しい寝息。
完全に眠っている。
「……本当に寝るとは」
小さく呟く。
額にかかる髪を払う。
起きない。
警戒心がない。
それだけ信頼されているということなのだろう。
胸の奥が静かに熱くなる。
「……困ったな」
そう言いながら。
声は少しも困っていなかった。
むしろ。
どこか満たされている。
ノクスはそっとリゼを抱き寄せる。
起こさないように。
壊れ物を扱うみたいに。
「……おやすみ、リゼ」
誰にも聞こえない声で呟く。
そして。
その夜はしばらくの間。
雨音と、穏やかな寝息だけが部屋を満たしていた。




