朝、いちばん近い場所
最初に感じたのは、温かさだった。
ふわりとした安心感。
心地よい体温。
そして。
(……いい匂い)
落ち着く匂いがする。
大好きな匂い。
だからなのか。
もう少しだけ、このままでいたいと思った。
――そこで。
リゼはゆっくりと目を開けた。
見慣れない天井。
ではない。
見慣れた天井だ。
問題は、そのあとだった。
「……あ」
視界いっぱいに黒い布地が見える。
っ、近すぎる。
恐る恐る顔を上げる。
そこには。
眠っているノクスがいた。
「…………」
思考停止。
数秒。
いや、十数秒。
何も考えられなかった。
(え)
(え???)
(近い近い近い近い)
どう見ても。
腕の中だった。
しっかり抱き寄せられている。
逃げられないくらい。
ぴったりと。
胸の鼓動が一気に速くなる。
顔が熱い。
耳まで熱い。
(な、なんで!?)
いや、理由は知っている。
昨夜眠ってしまったからだ。
でも。
理解と納得は違う。
そのとき。
「……起きたか」
低い声。
すぐ頭上から。
「ひゃっ!」
情けない声が出た。
ノクスが薄く目を開く。
完全に寝起きの顔。
珍しい。
というか。
たぶん初めて見た。
「……おはよう」
少し掠れた声。
いつもより低い。
朝から反則すぎる。
「お、おはようございます……」
声が震える。
すると。
ノクスは静かにこちらを見たあと。
ふ、と髪を撫でた。
「よく眠れたか」
「ね、眠れました……」
「そうか」
何故か満足そう。
(私だけ恥ずかしいの!?)
そう思った瞬間。
コンコン。
扉が叩かれた。
二人とも固まる。
「ノクス様、朝の書類を――」
若い文官の声だった。
「っ!」
リゼの心臓が止まりそうになる。
まずい。
今の状態を見られたら。
絶対に終わる。
城中に広まる。
半日で広まる。
ノクスは一瞬だけ扉を見た。
そして。
まだ離さないまま言った。
「待て」
「は、はい!」
文官の声が裏返る。
外で待機したらしい。
リゼは慌ててノクスを見上げた。
「ど、どうしましょう!」
「どうもしない」
「します!」
小声で抗議する。
すると。
ノクスは少しだけ考えるような顔をした。
それから。
「……確かに騒がしいな」
「ですよね!?」
「面倒だ」
…そこなの!?
心の中で叫ぶ。
しかし。
ノクスは本当に面倒そうだった。
数秒考えたあと。
そっとリゼの額に手を置く。
「?」
「寝ていたことにする」
「え?」
「顔が赤い」
即答だった。
「それはノクスのせいです!」
「そうか」
また認めた。
しかも反省の気配がない。
そのとき。
再び扉の向こうから声がした。
「ノクス様?」
「入れ」
リゼは思わず息を止めた。
扉が開く。
若い文官が入ってくる。
そして。
ぴたりと固まった。
「……」
長い沈黙。
文官の視線が。
ソファにいる二人へ向く。
ノクスは平然としていた。
リゼは死にそうだった。
「……体調を崩した」
ノクスが言う。
さらりと。
「休ませている」
嘘ではない。
たぶん。
たぶんだけど。
「は、はい」
文官は頷いた。
でも。
絶対に納得していない。
顔に書いてある。
「書類は置いていけ」
「かしこまりました」
文官は机に書類を置く。
そして。
帰る直前。
ちらりとこちらを見た。
妙に優しい目だった。
察している。
完全に察している。
(終わった……)
リゼは心の中で崩れ落ちた。
扉が閉まる。
静寂。
そして。
「……広まります」
消えそうな声で呟く。
「だろうな」
ノクスは即答した。
「否定しないんですか!?」
「事実だからな」
平然。
あまりにも平然。
顔が熱くなる。
もうどうしようもない。
そんなリゼを見て。
ノクスは少しだけ目を細めた。
それから。
そっと頬に触れる。
「……別に構わない」
低い声。
「隠すつもりはないと言っただろう」
優しく。
当たり前みたいに。
言われる。
その言葉が。
胸の奥をじんわり温かくした。
恥ずかしい。
でも。
嬉しい。
たぶん今。
自分はすごく幸せな顔をしている。
そんな気がした。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
第一章「あなただけの香り」はいかがでしたでしょうか。
人よりも鋭い嗅覚を持つ給仕のリゼと、王子の側近であるノクス。
最初はただ「気になる匂い」だったはずなのに、少しずつ相手を知り、距離を縮め、やがて恋へと変わっていく二人を書きたいと思い、この物語を始めました。
リゼにとって匂いは世界を知るための大切な感覚です。
だからこそ、彼女がノクスの匂いに安心し、惹かれていく過程は、単なる恋愛ではなく「この人と一緒にいたい」と思う心そのものだったのかもしれません。
そして無事に想いが通じ合った二人ですが、物語はまだ始まったばかりです。
第二章では、恋人になった二人の日常や甘い時間はもちろん、周囲の人々との関わりや、少しずつ見えてくる立場の違いなども描いていく予定です。
これからもリゼとノクスの歩みを、温かく見守っていただけたら嬉しいです。
改めまして、第一章を最後まで読んでくださりありがとうございました。
第二章もよろしくお願いします!!




