憂鬱の雨
雨の音が、静かに窓を叩いていた。
城全体が薄暗く、いつもより空気が重い。
(……今日は、少しきつい)
リゼは小さく息を吐いた。
湿気が多い日は、匂いが混ざりやすい。
人の気配も、香油も、食事の残り香も。
全部が濃くなる。
普段なら耐えられる程度でも、今日は妙に頭が重かった。
「……顔色が悪いな」
「っ……」
不意に声が落ちてきて、顔を上げる。
ノクスがこちらを見ていた。
「だ、大丈夫です」
反射的に答える。
けれど。
「平気な顔には見えないが」
即座に見抜かれる。
「朝から何度も息を止めている」
「……見てたんですか」
「見える位置にいた」
当然みたいに返される。
(……そういうところ)
ずるい。
自然すぎる。
「……来い」
「え?」
短く言って、ノクスが立ち上がる。
そのまま部屋の奥へ向かう。
小さな休憩室。
執務室と繋がっている場所だ。
「少し休め」
「でも、お仕事が……」
「お前が倒れる方が面倒だ」
淡々とした声。
でも。
(……心配してる)
ちゃんとわかる。
リゼは小さく頷いて、ソファへ腰を下ろした。
ふう、と息を吐く。
少しだけ楽になる。
でも、頭の重さは消えない。
そのとき。
「……こっちを向け」
「え?」
顔を上げる。
すぐ近くに、ノクスがいた。
「っ……」
距離が近い。
自然に隣へ座っている。
「ノクス様……?」
「そのまま」
低い声。
次の瞬間。
ぐ、と肩を引かれた。
「……っ!?」
体が傾く。
そのまま。
頭が、ノクスの肩へ触れた。
(……え)
思考が止まる。
「……ノ、ノクス様」
「静かにしていろ」
淡々とした声。
でも。
離す気はない。
肩に触れる感覚。
近すぎる体温。
心臓がうるさい。
なのに――
(……あ)
ふわりと、落ち着く匂いがした。
いつもの。
静かで、深くて。
安心する匂い。
さっきまで頭を満たしていた不快な感覚が、少しずつ薄れていく。
「……落ち着くか」
低い声が、すぐ近くで響く。
「……はい」
驚くくらい、呼吸が楽だった。
「……すごい」
思わず漏れる。
「何がだ」
「ノクス様の匂い……」
そこまで言って、はっとする。
(……何言ってるの私!?)
一気に顔が熱くなる。
でも。
「……それで?」
ノクスは普通だった。
むしろ続きを待っている。
「えっと……」
逃げられない。
観念して、小さく続ける。
「落ち着く、ので……」
声がどんどん小さくなる。
「安心、します」
言い切った瞬間、恥ずかしさで消えたくなる。
けれど。
しばらく沈黙したあと。
「……そうか」
ノクスがぽつりと言った。
その声は、少しだけ低い。
少しだけ、やわらかい。
そのとき。
ふ、と髪に触れられた。
「っ……」
指先が、ゆっくり撫でる。
まるで落ち着かせるみたいに。
「……俺もだ」
「え……?」
思わず顔を上げる。
距離が近い。
すぐそこに、ノクスの顔がある。
「お前の匂いは、安心する」
静かな声。
でも、逃げない。
まっすぐに言われる。
「そばにいると、余計なことを考えなくて済む」
「……眠くなるくらいには」
最後にそんなことまで付け加えられて、息が止まる。
(……それ)
それって。
ものすごく、特別なことなんじゃ。
胸が熱くなる。
言葉が出ない。
そのとき。
ノクスの指が、そっと頬に触れた。
「……だから」
低い声。
「もっとこっちに来い」
ぐ、と軽く引き寄せられる。
「っ……!」
今度は肩だけじゃない。
完全に体が寄りかかる形になる。
近い。
近すぎる。
でも。
(……嫌じゃない)
むしろ、落ち着く。
鼓動は速いのに。
不思議なくらい安心する。
「……リゼ」
名前を呼ばれる。
すぐ近くで。
「はい……」
「ここで寝てもいい」
「え」
「今日は帰さない」
さらりと言われた言葉に、思考が止まる。
でも。
ノクスの肩に頬を寄せたまま。
静かな匂いに包まれていると。
(……帰りたく、ないかも)
そんなことを思ってしまう自分がいて。
胸の奥が、どうしようもなく甘く疼いた。




