「慣れろ」
最近、気づいたことがある。
(……近い)
ノクスとの距離が、明らかに近い。
前から近かった気はする。
でも今は、それがもっと自然になっていた。
廊下を歩けば隣にいる。
立ち止まれば、すぐそばに気配がある。
気づけば触れられている。
それがもう、当たり前みたいになっている。
「リゼ」
「っ、はい!」
不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。
ノクスは執務机の前に立ったまま、こちらを見ていた。
「書類」
「あ、はい」
慌てて近づく。
机の上に書類を置こうとして――
「っ……」
指先が触れた。
一瞬。
でも、しっかりと。
(……また)
胸が跳ねる。
最近こういうことが多い。
わざとなのか偶然なのか、わからないくらい自然に触れてくる。
しかも。
「……集中しろ」
本人は平然としている。
そのせいで余計に困る。
「ノクス様のせいです……」
思わず小さく漏らす。
聞こえないと思ったのに。
「聞こえている」
「っ……!」
即答だった。
顔が熱くなる。
逃げるように視線を逸らすと。
ふ、と低い笑い声が落ちた。
(……え)
思わず目を見開く。
今。
(……笑った?)
ほんのわずか。
でも確かに。
ノクスが、笑った。
「……どうした」
逆に問われる。
「い、今……」
「?」
「笑いました?」
聞いた瞬間、自分でも変な質問だと思った。
でも。
気になってしまった。
ノクスは少しだけ黙り、それから。
「……そうかもしれないな」
淡々と返す。
否定しない。
(……ほんとに?)
胸がざわつく。
なんだか急に、落ち着かなくなる。
そのとき。
コンコン、と扉が叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは若い文官だった。
書類を抱え、こちらへ近づいてくる。
けれど。
途中で動きが止まった。
「……え」
視線が、リゼとノクスの間を行き来する。
リゼは机のすぐ横。
ノクスとの距離は、かなり近い。
しかも。
気づけば、ノクスの手がリゼの腰の後ろに軽く触れていた。
(……あ)
逃がさないように支えるみたいに。
自然すぎて、今まで気づいていなかった。
「……あー……」
文官が何かを察した顔になる。
「後程持ってきたほうが?」
「必要ない」
ノクスが即答する。
淡々と。
まるで隠す気がない。
「そ、そうですか……」
文官は妙に気まずそうだった。
けれど、そのあと。
「……仲がよろしいんですね」
ぽつりと言った。
「っ……!」
一瞬で顔が熱くなる。
反射的にノクスを見る。
すると。
「悪いか」
ノクスが、平然と返した。
空気が止まる。
(……え)
今、何て。
文官も固まっている。
でも。
ノクスだけは普通だった。
何事もないみたいに。
「い、いえ!全然!」
文官は慌てて首を振る。
「では書類こちらに!」
半分逃げるように去っていった。
扉が閉まる。
静寂。
(……今の)
心臓がうるさい。
「ノクス様……!」
思わず声を上げる。
「なんだ」
「なんだ、じゃ……」
恥ずかしくて最後まで言えない。
でも。
「……嫌だったか」
不意に落ちた声は、少しだけ低かった。
「え……?」
視線を上げる。
ノクスがこちらを見ている。
静かな目。
でも、その奥にほんの少しだけ不安がある気がした。
(……あ)
気づく。
この人、確認してる。
自分だけが勝手に距離を縮めていないか。
嫌がられていないか。
それを。
「……嫌じゃ、ないです」
小さく答える。
すると。
ノクスの指が、そっと髪に触れた。
「なら問題ない」
静かな声。
でも。
その直後。
「……むしろ足りない」
ぽつりと続いた言葉に、思考が止まる。
「え」
「最近、お前が逃げる」
淡々とした指摘。
でも内容が全然淡々としていない。
「に、逃げてません……!」
「視線を逸らす」
「それは……!」
「距離も取る」
「だ、だって……!」
恥ずかしいんです、と言いかけて止まる。
言えるわけがない。
でも。
ノクスはじっとこちらを見ていた。
逃がさないみたいに。
その視線に耐えきれなくなったとき。
「……リゼ」
低い声で名前を呼ばれる。
「もっと慣れろ」
また、その言葉。
でも前とは違う。
今はそこに、はっきりと甘さがある。
「俺は、まだ足りない」
静かに言われた瞬間。
胸の奥が、一気に熱くなった。




