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視察という名の

城の外に出るのは、久しぶりだった。


 門を抜けた瞬間、風の匂いが変わる。


 人の気配も、音も、すべてが違う。


(……落ち着く)


 思わず、小さく息を吐いた。


 城の中よりも混ざった匂いのはずなのに、不思議と息がしやすい。


 その理由は、すぐ隣にある。


「離れるな」


「……はい」


 ノクスの声に頷く。


 歩幅は自然と揃っている。


 少し前なら緊張していたはずの距離も、今は当たり前みたいに感じる。


 手は繋いでいない。


 けれど。


(……すぐ、触れられる距離)


 それだけで、妙に安心する。


「今日は視察だ」


 ノクスが淡々と言う。


「市場周辺の確認と、人の動きの把握」


「視察……ですか?」


「ああ」


 短い返事。


 つまり、仕事。


 でも。


(……なんか、デートみたい)


 そんな考えが浮かんでしまって、慌てて振り払う。


 そのとき。


「……何を考えている」


「っ!?」


 びくっと肩が跳ねる。


「な、何でもないです!」


「顔に出ている」


 即答だった。


 恥ずかしさで、顔がさらに熱くなる。


 その様子を見て。


「……行くぞ」


 ほんのわずかに、声がやわらぐ。


 市場に入ると、一気に人の気配が増えた。


 話し声。呼び込み。食べ物の匂い。


 様々な刺激が一気に押し寄せる。


「っ……」


 思わず、息が詰まる。


 少しだけ、足が止まる。


 その瞬間。


 す、と視界が遮られた。


 ノクスが、自然に前へ出る。


 人の流れを遮るように。


「こっちだ」


 低い声。


 導くように、少しだけ手が触れる。


 背中。


 軽く押される。


「……あ、ありがとうございます」


 小さく礼を言う。


「気にするな」


 短い返事。


 でも。


(ちゃんと見てる……)


 さっきの一瞬で、気づいてくれた。


 それが、嬉しい。


 そのまま進むと、少し開けた場所に出た。


 人通りも少なく、空気が軽くなる。


「……大丈夫か」


「はい……今は」


 息を整えながら答える。


 さっきまでの圧迫感が、すっと消えていく。


「無理はするな」


 ぽつりと落ちる言葉。


 自然で、当たり前みたいに。


 そのとき。


 ふ、と甘い香りが漂った。


「……あ」


 視線を向けると、小さな屋台がある。


 焼き菓子のようなものが並んでいる。


「気になるか」


「えっ……」


 見ていただけなのに。


 すぐに気づかれて、戸惑う。


「い、いえ……」


「嘘だな」


 即答だった。


 逃げ場がない。


 どうしようもなくて黙る。


 すると。


 ノクスは何も言わず、屋台へ歩いていった。


「え、あの……!」


 止める間もなく、店主と短く言葉を交わす。


 そして。


 戻ってくる。


 手には、小さな包み。


「ほら」


 差し出される。


「え……?」


「食べろ」


「で、でも……」


「問題ない」


 短く言い切られる。


 そのまま、半ば強引に手に持たされる。


(……これ)


 受け取った包みが、ほんのり温かい。


 心臓が、少しだけ速くなる。


「……いただきます」


 小さく言って、ひとくち。


 やさしい甘さが広がる。


「……おいしいです」


 自然にこぼれる。


 その瞬間。


「そうか」


 ほんのわずかに、声がやわらいだ。


 それだけなのに。


 胸が、あたたかくなる。


 そのとき。


 ふと気づく。


 さっきからずっと。


 ノクスの視線が、こちらに向いていることに。


「……どうした」


 目が合う。


 すぐに逸らされると思ったのに。


 逸らされない。


 そのまま、見られている。


「い、いえ……」


 何も言えない。


 ただ、見つめ返してしまう。


 少しだけ、沈黙。


 その中で。


 ノクスが、ほんのわずかに距離を詰めた。


 そして。


「……口元」


「え……?」


 次の瞬間。


 指が、触れた。


 唇の端。


 軽く、ぬぐう。


「ついている」


 それだけ言って、すぐに手は離れる。


 でも。


(……今の)


 一瞬だったのに、やけに鮮明に残る。


 触れられた場所が、じんわりと熱い。


「行くぞ」


 何事もなかったかのように背を向ける。


 でも。


 歩き出したその手を、ふと見ると。


 少しだけ、こちらへ寄せられている。


(……これ)


 気づいてしまう。


 言葉にしないだけで。


 ちゃんと、そこにある。


 差し出されている距離。


 その意味に。


 そっと、自分の手を伸ばす。


 指先が触れる。


 少しだけ迷って。


 それでも。


 絡める。


「……」


 一瞬だけ、ノクスの動きが止まる。


 でも、何も言わない。


 そのまま、歩き出す。


 手は、繋がれたまま。


(……離さない)


 今度は、自分から。


 そう思った瞬間。


 胸の奥が、やわらかく満たされていった。

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