聞けなかった答え
——その日の夜
城は静まり返っていた。
侵入者の件で警備は強化され、人の気配はあるはずなのに、どこか張りつめた静けさが続いている。
(……眠れない)
リゼは小さく息を吐いた。
目を閉じても、浮かんでくるのは同じことばかり。
あの距離。
あの手。
そして——
(“お前は”の続き……)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
落ち着かない。
このままじゃ、余計に眠れない。
そう思った瞬間、足はもう動いていた。
気づけば、向かう先はひとつしかない。
——ノクスの執務室。
扉の前で止まる。
さすがにこんな時間に来るのは、どうなんだろう。
迷う。
でも。
(……会いたい)
その気持ちが、勝った。
そっと扉を叩く。
返事は、すぐには来なかった。
(いない……?)
そう思った、そのとき。
「……リゼか」
内側から声がした。
ドアが開く。
そこにいたのは、ノクス。
いつも通りのはずなのに、どこか気配が違う。
少しだけ、疲れているように見えた。
「どうした」
低い声。
でも、その奥にわずかな驚きがある。
「えっと……」
言葉に詰まる。
理由なんて、もうどうでもよかった。
「……眠れなくて」
結局、それしか言えなかった。
沈黙が落ちる。
ノクスはしばらく何も言わなかった。
ただ、じっとこちらを見ている。
その視線に耐えきれなくなりそうになったとき。
「入れ」
短く言われた。
中に入る。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
部屋の中は、いつも通り静かで。
でも、今はそれが少しだけ違って感じる。
距離が近い。
何もしていないのに、緊張する。
「……リゼ」
「っ、はい」
名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねる。
「こっちだ」
手招きされる。
机の近く。
自然と、昨日と同じ位置に立っていた。
近い距離。
でも、今日は逃げたくない。
そのとき。
「……先程の続きだ」
ぽつりと落ちた言葉に、息が止まる。
「え……?」
「言いかけて、やめた」
静かな声。
でも、その奥にははっきりとした意思がある。
(……“お前は”の続き)
心臓が、一気に速くなる。
逃げたいのに、逃げたくない。
その場から動けない。
ノクスが、一歩近づく。
距離が、なくなる。
もうほとんど触れそうなほど。
「リゼ」
低い声。
今までで一番、近い。
「お前は」
言葉が、今度は止まらない。
まっすぐに、続く。
「俺のそばにいろ」
息が止まる。
それは命令の形をしているのに。
でも、違う。
「……他のやつに、触れさせるな」
静かに、続けられる。
その声音には、はっきりとした感情が乗っている。
隠していない。
もう、隠す気もないみたいに。
「俺が――」
一瞬だけ、言葉を選ぶように間があって。
それでも。
「……離したくない」
はっきりと、言われた。
胸の奥が、強く震える。
息が、うまくできない。
頭が真っ白になる。
(……これって)
もう、わかっている。
でも。
自分の口から、言わないといけない気がした。
「……ノクス様」
小さく名前を呼ぶ。
視線が絡む。
逃げ場はない。
でも。
「私も……」
震える声。
それでも、止めない。
「ノクス様のそばが、いいです」
言った瞬間、顔が熱くなる。
でも、不思議と後悔はなかった。
そのとき。
ノクスの手が、そっと伸びる。
頬に触れる。
今度は、ためらいなく。
「……リゼ」
名前を呼ぶ声が、少しだけやわらかい。
親指が、頬をなぞる。
ゆっくりと。
確かめるみたいに。
そのまま、距離がさらに縮まる。
息がかかるほど近い。
視線が落ちる。
唇に、向けられる。
(……あ)
理解した瞬間、心臓が跳ねる。
でも。
目を閉じることは、できなかった。
ただ、じっと見つめ返す。
ほんの一瞬。
触れそうで、触れない距離で――
止まる。
「……今は、やめておく」
低く、ささやくように言われた。
「え……?」
「逃げられると困る」
淡々とした言葉。
でも、その意味は――
はっきりしていた。
(……逃げないのに)
そう思った瞬間、顔がさらに熱くなる。
ノクスの手が、ゆっくりと離れる。
でも。
距離は、離れない。
そのまま、すぐ近くで。
「リゼ」
もう一度、名前を呼ばれる。
「これからも、そばにいろ」
静かな声。
でも、それは――
命令じゃない。
「……はい」
小さく頷く。
それが答えだった。
もう、迷わない。
もう、隠さない。
この距離も。
この気持ちも。
全部――
確かなものになっていた。




