侵入者
城の空気が、わずかに張りつめていた。
いつもと同じはずの廊下。
行き交う人の数も変わらない。
それでも――
(……ざわついてる)
リゼは小さく息を整えた。
どこか落ち着かない。
匂いのせいだけじゃない。
空気そのものが、揺れているような感覚。
「……気づいたか」
隣から低い声が落ちる。
「え……?」
「人の動きが違う」
短い説明。
言われてみれば、確かに。
どこか慌ただしい。
「何か、あったんですか……?」
「さあな」
即答だった。
だが、その声音にはわずかな警戒が混じっている。
そのとき。
遠くから、誰かの声が聞こえた。
「――侵入者だ!」
空気が、一気に変わる。
「っ……!」
思わず息を呑む。
「ノクス様!」
兵士が駆け寄ってくる。
「北棟で不審者が――」
「わかった」
短く遮る。
そして。
「リゼ」
「は、はい……!」
「離れるな」
それだけ言って、ノクスは歩き出した。
速い。
迷いがない。
その背中を、必死で追う。
北棟へ向かう廊下は、人の気配が少ない。
その分、静けさが際立つ。
(……嫌な感じ)
匂いはない。
でも。
本能的な違和感がある。
そのとき。
「止まれ」
ノクスが手を上げた。
反射的に足を止める。
次の瞬間――
カン、と金属音が響いた。
壁の影から、何かが飛び出す。
黒い影。
短剣が、一直線に――
「っ……!」
理解するより早く、視界が揺れた。
ぐい、と強く引かれる。
体が後ろに引き寄せられる。
その直後、ノクスの腕が前に出た。
鋭い音。
刃と刃がぶつかる。
「下がっていろ、リゼ!」
初めて聞く声だった。
鋭くて、強くて。
はっきりと“感情”が乗っている。
(……ノクス様?)
いつもの静けさがない。
目の前の背中が、わずかに緊張している。
侵入者は一瞬で距離を取り、再び構える。
速い。
無駄がない。
只者じゃないとわかる。
空気が張りつめる。
そのとき。
ふ、と風が動いた。
侵入者が一歩踏み込む。
刃が、一直線にノクスへ――
「っ……!」
思わず声が出そうになる。
でも。
その瞬間。
ノクスの動きは、さらに速かった。
最小限の動きで刃をいなし、そのまま一歩踏み込む。
低く、鋭い一撃。
侵入者の体勢が崩れる。
次の瞬間には、短剣が弾き飛ばされていた。
カラン、と音を立てて床に転がる。
動きが止まる。
勝負は、一瞬だった。
けれど。
(……すごい)
息をするのも忘れるくらい、見入ってしまう。
そのとき。
「――っ!」
侵入者が、何かを投げた。
小さな袋。
床に落ちて、弾ける。
白い粉。
「触れるな!」
ノクスの声。
でも。
(……これ、毒……!)
匂いでわかる。
強い。
さっきまでとは比べものにならない。
「ノクス様……!」
思わず声を上げる。
距離が近い。
巻き込まれる。
その瞬間――
再び、腕を引かれた。
今度は、さっきよりも強く。
逃がさないように。
体が引き寄せられる。
「下がれ!」
強い声。
背中に、壁。
完全に庇われている。
ノクスの体が、前に出る。
粉を払い、侵入者との距離を詰める。
迷いがない。
ただ、守るための動き。
その数秒後、兵士たちが駆け込んできた。
「こちらです!」
侵入者は一瞬だけ抵抗したが、すぐに取り押さえられる。
静寂が戻る。
けれど。
リゼの心臓は、まだ激しく鳴っていた。
(……怖かった)
今さら実感が押し寄せる。
足が少し震える。
そのとき。
「……リゼ」
低い声が落ちてくる。
顔を上げる。
ノクスが、すぐ近くにいた。
いつもの無表情。
でも。
ほんのわずかに、息が荒い。
「怪我は」
「な、ないです……」
答える声が、少し震える。
それを聞いた瞬間。
ほんの一瞬だけ。
ノクスの肩の力が抜けた気がした。
(……今)
気づく。
さっきの声。
あの動き。
そして、今の表情。
(……心配、してた)
はっきりと。
そう感じた。
そのとき。
ノクスの手が、ふと伸びる。
リゼの腕を掴む。
確認するように。
「……本当に、無事だな」
低く、確かめるような声。
その響きは――
いつもより、少しだけ近くて。
少しだけ、やわらかかった。
「……はい」
小さく頷く。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
怖かったはずなのに。
それ以上に。
(……嬉しい)
そう思ってしまう自分に、もう戸惑わなかった。




