背中合わせの光 -前編-
GR。
お前に出逢ってから、一年が経とうとしている……。
馬鹿で単純で考えなしで落ち着きがなくて、突飛な行動には毎回驚かされるばかりだ。自分は狼だと言い張ってくれるが、どこをどう見ても遊びたい盛りの子犬にしか見えん。でかい図体と年齢を考えると、これはいささか問題ではなかろうか。
そんな呆れるところだらけのお前だが、その胸の内に強くて大きな愛情が満ちていることを、私は私のすべてで知っている。
どんな場所でも、どんなことがあっても、お前はさまざまな痛みや苦しみから私を護ろうとしてくれた。その温かな手に──心に、どれだけ助けられたか知れない。本当に、何度救われただろう。
GR──……ガルシア。太陽のごとき人よ。
惜しみなく愛情を与えてくれるお前に、私は何を返せているのだろうか。
返すことが、できているのだろうか……。
*
「さがれ、GRっ!」
「余計なお世話だっ!」
微熱程度で動きを鈍らせるほどやわではない。かばわれるなど、逆に腹が立つだけだ。
怒声に怒鳴り返すとGRは、杖を半剣化させて前線に飛び込んだアッシュローズの前に出た。
突き出される敵の剣を払い、その勢いを利用して殴り倒す。ワンステップで次の敵へ。左右の拳のコンビネーションをお見舞いする。
「足手まといだ! どいていろっ!」
白絹のローブが翻った。筋肉隆々とした男が吹き飛ぶ。
華奢な男が繰り出した一撃に怯んだ敵をGRがまとめて打ち負かす。
「だぁれが足手まといだ! 見くびンなっ!」
「事実だっ!」
悶絶寸前の敵に追い討ちをかけて昏倒させ、アッシュローズが距離をとった。
GRは彼に背中を見せる。攻め時と見て突っ込んでくる敵を弾き返す。
「風よ、荒ぶる者よっ」
アッシュローズの呪文が響く。
「猛々しき咆哮で、居並ぶ愚者を打ち据えよ!」
彼の横に退避した直後、発生した竜巻が屋内をかき乱した。複数人が飛ばされて壁に激突し、倒れる。
風がやむと即座にGRは駆け出した。同時に走り出したアッシュローズを一足飛びで追い抜く。
左斜め後ろで歯軋りが。
「フォローに回れと何度言ったらわかるのだ!」
敵に銀棒がめり込んだ。
「それはこっちの台詞だ!」
GRは目の前の敵に足払いをかけて倒し、垂直に拳を打つ。
「お前こそさがってろ!」
床の軋みとともに悶絶する男を見もせず次へ向かう。
「ふざけるな!」
銀が閃く。
「病人のくせに! 無理をしてどうする!」
怒号と悲鳴が重なった。
GRの苛立ちが容赦なく積みあがる。
「無理じゃねえっつってンだろーがっ。そっちこそ何回言ったらわかンだよっ!」
蹴撃から拳撃、また蹴撃。駒のように回転して威力を倍増させつつ敵を薙ぎ倒す。
敵の巣窟にいられる時間は長くない。害意しかない人間たちの中に長時間いたらアッシュローズの心がもたない。壊れてしまう。事実、ここに来てからまだ十分程度しか経っていないだろうに、もうアッシュローズに変調が見られる。GRへの苛立ちでうまく隠れているが、この目はごまかされない。
時間がない。一秒でも早く片付けてここを離れなければならない。それは自身がいちばんよくわかってるはずなのにさがれと言うのだからアッシュローズは馬鹿だ。本当に馬鹿だ。GRの微熱などに構っているべきではないのだ。
とそのとき、吹き抜けになっている二階廊下で何かが動いた。位置は──アッシュローズ側。その上方。
GRは奥歯を食いしばった。回し蹴りで向かいあう敵と距離をとって踵を返す。一気にスピードを上げるとうずくまる男の背と突進するGRの勢いに押されて硬直した人間の肩を踏み台に、
「っの、わからずやっ!」
跳んだ。
アッシュローズめがけて飛び降りる男がぎょっと目を見開く。その顔めがけてGRは上半身ごと拳を振った。指の関節に骨の割れる鈍い衝撃が伝わる。
敵の意識が途切れた。
直後、体がふわりと浮き上がる感覚が。落下を待つ意識と矛盾でわずかに焦る。冷静さを取り戻す前に体が落ちた。
──ぐき。
着地と同時に左足首が嫌な感触を放った。捻挫したと悟ったのはすぐだ。それにアッシュローズが気づいたのも。
彼の苛立ちが上がった。増した怒りが敵にぶつけられる。
「だから無理をするなと言ったのだ! おとなしく引っ込んでいろ馬鹿犬っ!」
GRの脳裏で何かが切れた。
「しょっちゅう無理して俺を振り回してンのはどこのどいつだ! お前にだけは言われたくねえンだよこのタコっ!」
立ち上がり、──走った痛みに顔をしかめる。
アッシュローズが舌打ちした。
「馬鹿はどこまで行っても馬鹿かっ」
後退し、GRの腕を引っ掴む。そして何をする気かと問う前に、前髪で隠した顔を敵に向けた。
「同じ目に遭いたくなくば、もう一度よくよく考えておくのだな」
捨て台詞を吐き、魔法を行使する。違和感のあと目の前に広がっていたのは、荒れた室内ではなく深い森の中。
アッシュローズは撤退を選んだのだ。GRのために。
「おっまえ……っ」
むかむかむかむか。
GRは大きく息を吸い、わき上がる苛立ちを全力で吐き出した。
「ふざけンじゃねーよっ! 熱も捻挫も、これっくらい屁でもねえ! ハンデにもなりゃしねえよっ! どこまで俺様を見くびったら気が済むんだっ!」
アッシュローズの口端が引きつった。投げ捨てるようにGRの腕を放す。
「平衡感覚を失って着地に失敗して捻挫をする! こんな初歩的なミスを犯す奴が、よくも平然と言えたものだな!」
剣の形をしている銀棒を振って杖形態に戻し、先端をGRに突きつけてきた。
「万全の状態でないならば、それに応じた行動をとることが最善! それをわからず、己の体調を無視して無茶をして怪我を負うなど、足手まとい以外の何者でもないっ! こんな簡単なこともわからんのか!」
「な……っ、俺がいったい誰のために戦ってると……っ!」
「私のためだとでも言うつもりかっ?」
激しく杖を地面に打ちつける。
「お前こそ私を見くびるな! 不愉快だっ!」
激怒のあまり制御の利かなくなった自身の魔力で、長髪とローブが風になびくようにうねりだす。が、それも少しの間だけだった。悔しげに唇を噛み、顔を背けるのと一緒に怒りが沈静化する。もっとも、押し殺しただけで消えたわけではない。アッシュローズが胸元を押さえて荒い息をついた。精神状態が体調に影響を及ぼしはじめているのだ。
「大丈夫か?」
いつものように伸ばした手を払い落とされた。アッシュローズはこちらを向きもしない。そのまま背を見せ、GRを振り返りもしないまま、森の、さらに深くなっているほうへ歩き出す。
「おい、どこ行────」
「木苺を摘んでくる」
「ちょ、お……い?」
白い背中はあっという間に見えなくなった。正確には、消えた。転移魔法のせいだと気づいたのはすぐだ。
「……そこまでして離れてェかよ」
GRは舌打ちひとつ、手近な木に背中を預けた。そのまま力を抜き、むき出しの地面に腰を落とす。
じっとしていても仕方がない。すぐ敵地に戻るか今日はあきらめるのか知らないが、動けるようにはしておかなければ。GRはシャツを脱いで、包帯代わりに捻挫した左の足首に巻く。
何度も修行中に捻挫した経験があるし、格闘術だけでなく応急手当の仕方も師匠にみっちり叩き込まれている。作業に迷いはない。問題もない。おかげで思考はそのほとんどがアッシュローズのことへと向かう。
(ンだよ、あいつ……)
自分も確かに頑固だとは思うが、アッシュローズも大概である。自分にできることとできないことくらい、心配されなくとも把握している。だからこちらのことなど気にせず、おとなしく護られていればいいのだ。だというのに、どうして彼は言っても言ってもわかってくれないのだろう。
硬く縛って関節を固定する。と、ついうっかり力を込めすぎてしまい、痛みが走った。
小さいけれどミスはミスだ。冷静であれば絶対にしない失敗だ。動揺している自分に否応なく気づかされ、苛立つ。
「ほんっと、ふざけんな……」
GRは息を吐き捨て、目を閉じた。
──ドォォォンッ!
突き上げるような衝撃。空気がびりびりと震え、肌を刺す。
とっさに中腰になったGRは、拳を握りながら辺りを見渡した。木の陰にも潅木の隙間にも不審人物はいない。振動の影響で葉が音を立てているだけだ。
異変は傍で起きたものではない。そう判断して、それからついでのように気づく。
「これ、魔法の……?」
風が吹いている。速度も強さも通る道もすべてまったく同じ、自然のものではありえない風だ。やってくる方角はちょうど、アッシュローズが消える前に見ていた方向である。
そちらに向かって耳を澄ます。
かなり遠くだが、わずかに物音がする。何かを引きずるような音。重い物を動かす音。そして──声。
「…………まさか」
振動がここまで伝わってくるほどの大きな魔法。そして森の中に自分たち以外の誰かがいること。このふたつが導き出す答えはわずかしかない。そしてどれが正解であったとしてもアッシュローズの身に何かあったのは間違いないはずだ。
GRはすぐに走り出した。
わずかだった誰かの声が大きさを増していく。アッシュローズが放ったであろう魔法の残滓が濃くなっていく。間違いなくこの先にいる。
左に体重が乗るたびに足首が痛むが根性で無視して、ひたすらまっすぐに駆けた。
その先で、まるで進路を阻むように前方に太い樹が倒れていた。まっぷたつに斬られた断面を見ても、巻き込まれた周囲の潅木の様子を見ても、それは自然に折れたものではない。先ほどの轟音はきっとこれだったのだ。
太い幹を乗り越え、前を見て、
「ッ!」
GRは足を止めた。
樹が一本折れたことで上空の枝葉が割れ、ここだけ太陽の光が降り注いでいる。
濃厚な光に背を向けて走り去るのは複数の盗賊らしき男たちだ。新たに現れたGRを見て慌てて逃げ出す者もいる。
その中心に、こちらを見て顔を引きつらせる男がいた。無骨な剣を持つ男はひどく薄汚れた手で、ところどころ赤く染まった純白の光を踏みつけ、鷲掴みにしている。
その白が、傷つき倒れたアッシュローズの髪なのだと心が認めたのは、ほとんど奇跡。
(あぁ……)
GRは、自分が息を吐くのをまるで他人事のように感じた。
意識が遠のく。
理性が消えていく。
何も考えてはいなかった。
頭の中は完全に真っ白だった。
ただ心臓に突き動かされ、駆ける。
乳白色の髪。
立っていても地に届きそうなほど長く、まっすぐな髪。
陽光の下では純銀の滝のようなきらめきを、夜には月光の艶やかさを宿す髪。
柔らかく、すべらかで、花の香りを風に散らすあの髪を。
強く美しい人を。
哀しいほど儚い人を。
盟友を。
傷つけ穢す者を赦してやる理由など、この世に存在するものか!
GRは風を切り、固めた拳を振った。
ぐしゃと骨の潰れる音が腕に響く。
「ぅ、がぁぁあぁぁぁぁぁっ!!」
男がアッシュローズの髪を離し、鼻を押さえて絶叫する。その声さえ腹立たしい。
喉を片手で掴み、吊り上げた。前髪越しにねめつける。
「よくも……」
手に力を込め、頚動脈を圧迫する。
「よくもっ」
もがく男の顔が色を変えていく。
「殺してやるッ」
喉を握り潰そうとしたその瞬間、誰かが足首を掴んだ。
「……だめ……」
かすれた息まじりの声。
「駄目だ……GR」
かすれていてもなお強い声に、GRは息を呑んだ。我に返る。
激しすぎる衝動のあまり硬直した肩から力が抜ける。男を捨てるように離し、逃げる彼を振り返りもせずしゃがんだ。
「アッシュっ!」
うつぶせに倒れているアッシュローズを抱き起こす。ほとんど力を失っている体がぐにゃりと腕に落ちた。
髪をかき分けてみれば、頬にはほとんど血の気がなく、眉間に深いしわを刻んでいる。いつ気を失ってしまうかわからない状態だ。ただでさえ雲行きの怪しかった体調が盗賊に襲われたことで一気に悪化したのだろう。
とりあえず、いつまでもこんな場所に寝かせておくわけにもいかない。どこかいい場所はないかと辺りを見渡してGRは、先ほど乗り越えた樹、その近くにある切り株に目を止めた。おそらく魔法で斬ったのだろう断面はまっすぐで、湿ってもいないようだ。かなり広いから座った状態でなら横になることもできるだろう。
GRはアッシュローズの背中を支えている手を脇まで回し、もう片方の手を膝裏に入れた。一気に立ち上がる。
腕の中でアッシュローズが身じろぎした。わずかに胸を押してくる。
「降ろせ。歩ける」
「うるさい」
ひとことで黙らせ、歩く。
華奢に見えてもさすがに男の、それも弛緩寸前の体は重い。けれど途中で抱え直すこともなく切り株にたどり着くと、体に負担をかけないようにそっとアッシュローズを降ろした。支えてやりながら顔を覗き込む。
「アッシュ……」
「……大丈夫だ。かすっただけだから」
言って、アッシュローズはGRの腕を離れて自力で座った。血のにじんだ頭部を押さえ、疲れの隠せていないため息をつく。
表情が大きな袖に隠され、見えなくなった。まるでGRに顔を見られまいとしているかのようで、少し、苛立ちがよみがえる。
「本当に大丈夫かよ」
「だから、そう言っている。……何度も言わせるな」
むか。
あっさりと気分が急降下してきた。
そんなGRの機嫌に気づいているのかいないのか、アッシュローズが衣擦れの音を立てながら手を下ろす。
「予想外も、いいところだ……」
目を閉じて眉をひそめて首を振る。
「馬鹿か、お前は。そんな足で、わざわざ助けに来るなど」
「な、おもいっきりやられてたくせにっ。ンだよその言い方はっ!」
「ふん。……これでは、何のために一人で相手をしたか、わからん……」
半分以上独り言だったのだろう。アッシュローズの声は息が混じっていて聞き取りにくい。しかしその言葉を聞き逃しはしなかった。聞き流せもしなかった。
(な……ん、だって……?)
かっかと熱くなりかけていた感情が急速に冷えていく。
GRは生唾を飲み、そして、問うた。頭のどこかで正解だと信じるそれを。見当違いだと信じたいそれを。
「お前まさか……木苺は嘘か? 始めっからあいつらが来てンのに気づいて……」
アッシュローズが息を呑んだ。失言だったと態度で示した。
「……嘘だったんだな」
ワントーン下がったGRの声に、アッシュローズが顔を上げる。
「GR、待っ────」
──ドッ!
GRの拳を受けた切り株の根が、楕円形にひび割れた。
顔を伏せ、目を閉じる。ぎりと歯を食いしばり、樹皮に傷つけられて血のにじんだ拳を腹に押しつける。
ずっと護るつもりでいた。同じ理想をかなえるために闘い続けていた彼を、何があろうと護り、支えるつもりでいた。そうすることでより早く、目指す未来がやってくると信じていた。自分にできる最大の仕事だと思っていた。アッシュローズもGRが手を貸すことを望んでくれていると思っていた。
実際、最初のうちは確かに望まれていた。GRという存在を、精神安定剤のように。しかし彼も成長する。倒れがちだったのが少しずつ強くなっていった。支障なく動けるようになっていった。その中で、常に彼の体調に気をつけて心配するGRを疎ましく思うようになっていたのだとしたら──。
「……そんなに邪魔か。俺は」
ただの自己満足だったのか。この一年間、自分勝手な思い込みでアッシュローズを煩わせていただけだったのか。
立ち上がり、下を向いたまま目を開ければ、白い前髪の隙間にアッシュローズの双眸が見える。
動揺の混じった瞳。今にも壊れそうな。なぜそんな表情をしているのだろう。泣きたいのは、自分のほうだ。
「俺を無視して突っ込んで。俺に黙って勝手に馬鹿どもの相手してっ。そんっなに俺が邪魔かよっ。メーワクかっ。だったらはっきり言やァいいんだっ。お前はいらない、もう必要ない、だから自分の前から消えろってよっ!」
アッシュローズの目が次第に見開かれる。
「散々思わせぶりな態度見せといて……調子に乗せて、使えるだけ使うつもりだったかよ。単純馬鹿は利用しやすいってか? あァ? ざけんなっ! 俺はてめぇの玩具じゃねーんだッ!」
ひどく傷ついた色に染まっていくそれから目を逸らす。
「これ以上付き合ってらンねーよっ」
吐き捨てて、
「もういい。勝手にしろ。……じゃーな」
踵を返す。
──不意に。
尻尾の先がざわついた。伝わってくるこそばゆさに背中が引きつる。
何かにひっかかったのだということはすぐにわかった。潅木の枝か何かにひっかかったのだろうことも。ならば尻尾を振ってほどけばいい。癖毛ではないからすぐに外れるはずだ。わざわざ手を伸ばすまでもない。
頭ではわかっていた。けれど体は理性を無視した。
とっさに後ろを振り返り、そして、GRは言葉をなくした。




