言葉の裏側
本編から5年後です。
玄関前と庭を隔てる垣根も兼ねている花園は、小さいながらもとても美しい。年中何かしらの花が咲き、目を楽しませてくれる。
今は初夏。上着がなくとも心地良くなった外気のぬくもりに背中を押され、薔薇が一斉に開花したのは一週間前のことだ。ベルベットのような赤、白桃を思わせる淡いピンク、清楚な白──鮮やかな色は、花園を一年で最も華やいだ季節へと染めていた。
アッシュローズは石畳の上を歩きながら花をひとつひとつ丁寧に見て、盛りを過ぎたものと室内に飾るため用のを選んで鋏を入れる。散るばかりのものはすぐ籠に放り、飾る花は棘を落とす。そうしてしばし観賞し、美しさと香りを存分に楽しんでから左腕に掛けた手籠に入れていった。
そこへ。
「手入れしてンのか」
もちろん耳慣れた声に驚くことはない。振り返ると、GRが庭から歩いてくるところだった。格闘術の稽古でもしていたのだろう。肩にタオルをひっかけた彼からは汗の匂いがする。
アッシュローズは頷きひとつで返事をした。
「お前も毎日熱心なことだな」
「まぁな」
GRはアッシュローズの後ろを通って薔薇の近くにある東屋に向かった。東屋と言っても磨いた石を敷いただけの場所だ。GRは屋根の代わりに大きな樹が影を提供しているそこに入ると、テーブルに置いてある水差しを取った。桶には入れず、器用にも口をつけないで直接喉に水を流し込む。
GRが水差しを戻すのを視界の端に見ながら、アッシュローズは再び薔薇に視線を移した。作業を続ける。
「お前ってほんとに薔薇が好きだよな」
ベンチに腰を下ろしたGRがしみじみと呟いた。
アッシュローズはまた一本手折った花を、掲げるようにして眺める。
「薔薇ほど手間隙をかけて世話した結果が顕著に出る花はないからな。やりがいがある。それに、……」
そっと鼻に近づけ、豊かな香りを楽しむ。
「私に似ていると言われると、な。どうしても思い入れも強くなる」
「ふぅん。まぁ、似てるってのはわかンねえでもねえけど」
「そうか?」
「ん。でも、だからって『灰の薔薇』って名づけようなんて思うかぁ? わけわかんねえ。ほんと変わってンなー、お前の彼女」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「そーしてくれ」
嘆息まじりの声に小さく笑い、アッシュローズは薔薇を手籠に入れた。次を探す。
「私のことより、お前はどうなのだ」
「何が?」
「今年で二十八歳だろう。そろそろ周りがうるさくなりはじめているのではないのか?」
「あー……」
GRがアッシュローズから顔を逸らすのが見えた。
「見合いで選ぶなんざ趣味じゃねえもん。当分の間は適当に聞き流す」
横目で見やれば、GRの横顔はずいぶんと疲れたそれだ。
少し笑える。
「心中お察しするよ、次期国王殿」
GRが、ぐりん、と振り向いた。
「笑い事じゃねーっての。様子見に城に帰るたびに、ウチの娘はどうだ、ウチの孫はどうだって、次から次へとひっきりなしに話持ってくンだぜ? しかも、断りゃいーもんを宰相の奴、全部保留にしてやがる。俺にどうしろってンだか……」
がっしがっしと頭をかきむしった。本当に大変らしい。
出会った当時こそ手のつけられない馬鹿であったが、年を重ねるごとに精神的に成長した。口調こそ変わらないものの、今ではしっかりとした落ち着きを身につけている。顔立ちからも幼さが抜けて、すっかり精悍ないい男だ。その上、次期国王という身分に明るく優しい人柄である。人気があるのも当然だろう。いつまでも特定の相手を持たない彼の気を引こうとする者が多いのも頷ける。
笑いを噛み殺しつつ、アッシュローズは薔薇に鋏を伸ばした。
「いい女性を見つければ良かろう。そうすれば周囲の騒音もやむだろうさ」
「……ンな気分じゃねーよ。余裕もねえし」
GRはごろりと横になった。足を肘掛けの上に投げ出す。
「今は横にいる花を護るだけで精一杯さ」
いったい何の反動か、手折った薔薇が一枚花びらを散らせた。
アッシュローズは薔薇を手にしばし止まり──顔ごとGRを見やった。頭の後ろで腕を組み、こちらに笑顔を向ける彼を。
「GR」
「ん?」
「そういう台詞を気楽に言うな」
「心配しなくても、勘違いするような奴には言わねえよ」
「ならばよし」
大きく頷いて顔を戻し、薔薇を足元の籠に優しく放り入れる。そして切るべき花がないことを最後に確認してから、籠を拾って東屋に向かった。GRが足を下ろして空けてくれた場所に腰掛ける。
テーブルに手籠を置いて長い袖を肘までまくると、手桶に水を注ぎ入れ、花瓶の大きさを思い出しながら水中で薔薇をちょうどいい長さに切り揃えていく。そうして余分な葉を落とした最初の一輪を、アッシュローズはのんびりとこちらの手元を眺めているGRの腹の上に投げ渡した。ほんのわずかに目を剥いた彼に微笑む。
「部屋に花瓶があったろう。活けるといい」
すると、GRが口をねじ曲げ、天に目を向けて何か思案する素振りを見せてから半眼になった。
「お前こそぽいぽい薔薇なんか渡すなよ」
「心配しなくとも右に同じだ」
「ンなら、よし」
こちらも大きく頷くと破顔して、白薔薇を髪に挿した。立ち上がる。
「腹ァ減ったから、何かもらってくる。……あ、何にする?」
主語はないが、答えるべき事柄を間違えることはない。アッシュローズはわずかに考えてから好みを伝えた。
「ミントティーがいいな」
「了解」
「それとGR」
「ん?」
「メイに会う前に花を取れ。笑い死にさせる気か?」
「洒落になンねえ男にだけは言われたくねーよ」
からりと笑って屋敷に向かうGRの背中が室内に消えたところで、アッシュローズは手に持つ花に目を落とした。
「……そんなに似合うか……?」
赤い薔薇を耳にひっかけてみる。
近くから漂う甘い芳香は思いのほか心地良くて、悪くない。
アッシュローズは髪に飾った花はそのままに、また手籠から薔薇を取って枝を切る。
花を挿した自分を見たら、戻ってきたGRはどんな顔をするだろう。笑い転げるだろうか。それとも脱力するだろうか。どちらにしても面白い反応を見せることは間違いないはずだ。
「早く戻ってこないかな」
アッシュローズは頬を緩ませた。




