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盟約のトリスアギオン  作者: 神希
第5幕
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紅蓮の血涙-6

 棒を突き出した。足を狙う。しかし空振った。そこにアッシュローズはいない。後ろに飛びのいた彼をすぐ視界に入れると、GRは棒を軸にして体全部を投げ出す勢いで蹴りを放つ。

 GRの足とアッシュローズの上体、その間に入ってきた二の腕が膨れた。ガードされる。

 硬い。弾き飛ばせない。

 GRは瞬時に膝を曲げて力を流した。両足を地につけ、正対する。


(あっちぃっ)


 アッシュローズに当てた足を振って熱を冷ます。靴越し、しかも一瞬触れただけでこのダメージである。じかに触れたらどうなるか。おそらく火傷では済まないだろう。


「くそっ」


 毒づき、敵を見る。

 ローブもシャツも落としたアッシュローズの上半身は華奢な印象を裏切って戦士の体つきをしていた。適度な筋肉が骨格を覆っているさまは、普段なら彫刻のようだと見惚れていただろう。だが今の感想は無残のひとことに尽きる。常にいたるところの皮膚が内側からはじけ、ピンク色の肉をさらしている。しかしそれも傷ができた直後だけだ。己の発する熱に焼かれて溶け、無残な痕になっていく。傷と凝固した血で、彼の白かった肌はいまや深紅色だ。痛みも相当なものだろうに、それでもアッシュローズは仁王立ちを解かない。


「お前に用はないっ。どけ!」


 熱風に煽られて生き物のようにうねる長髪も激怒に染まった顔も、畏れ敬い、膝をつきたくなる気高さと神々しさを放っている。だがちっとも恐ろしくなどない。この程度に圧倒されてたまるか。


「うっせぇっ」


 GRは足を前後に開き、腰位置を下げた。棒を突き出すよう構える。


「お前になくても俺にはあンだよっ!」


 飛び出した。

 鋭く踏み込み、胸部へ一撃。だが当たる直前に剣の柄尻に阻まれた。

 刃が閃く。

 三日月に似た軌跡。

 描ききる前にGRは棒先を落とした。回転させる。


 ──ギィンッ!


 頭の横で受け止めた剣はGRの肩口を狙っていた。一瞬でも反応が遅れていたらえぐられていただろう。

 戦慄するも、GRは素早く息を吸って力をためた。

 アッシュローズの呼気も整う。

 踵を回して体ごと回転。棒を振り上げ蹴撃を放つ。

 手ごたえはゼロ。避けられた。

 再び空いた両者の距離。視線の先でアッシュローズが剣を構える。

 隙がない。


(やっぱ強ェ!)


 腹の底が震えた。快感で。

 何年ぶりだろうか、己と同等、もしくはそれ以上の実力者と戦うのは。

 これが手合わせだったら良かった。純粋な腕の競い合いであれば良かった。それならば心の底から喜び、楽しめたのに。

 悔しい。

 腹が立つ。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 なぜ命のやりとりをしなければならないのだ。


「……こンの、馬鹿野郎……っ」


 風切り音を立てて棒を振る。路面を蹴った。上から飛びかかる。


「こっから先には行かせねえっ!」


 鋼鉄製の棒を、上段に構えたアッシュローズの剣めがけて打ち下ろす。


「くっ」


 まともに受け止めた彼の表情が強張った。歯を食いしばり、片手剣に左手を添えてもまだこらえきれず腰を沈める。

 やはり純粋な腕力はこちらが上か。しかも腕力のみならず全体重を乗せた攻撃だ。威力は倍以上になっているはず。

 と、思考に気を取られた瞬間だった。

 片刃の刀身が返る。

 棒が滑った。体勢が傾き、力が逃げる。

 たまらず地面に伸ばした足をアッシュローズは見逃さない。軸足めがけて蹴りを繰り出してくる。

 的確な打撃。高温の熱。

 GRはたまらず膝をついた。しかしここで止まったら終わりだ。棒を振る。アッシュローズの胴を横から打つ。

 当たった。

 だがせいぜい打撲程度のようだ。肋骨の一本二本折れてくれれば良かったが、そううまくはいかないらしい。


「ぐ、ぅ……」


 うめき、アッシュローズが脇腹をかばって後退した。


「……邪魔を、っ」


 しかしすぐさま踏み出してくる。


「私の邪魔をするな!」


 鋭い突き。寸前でかわすも間に合わない。頬をかすった。痛みが走る。

 アッシュローズの手首が返った。刀身が閃く。

 手首に峰での打撃。


(──フェイントだ!)


 気づいてのけぞる。

 直後、反動で上がった切っ先が鼻先をかすり、とんぼ返りに左の二の腕を切り裂く。だが斬られただけでは済まなかった。炎をまとう刀身が傷口を焼き、二重の痛みを与えてくる。


「滅ぼしてやるっ」


 一気に白が押し寄せる。

 深い踏み込み。


(速いッ)


 GRは棒を両手で持った。水平に構え、剣を弾き返す。しかしアッシュローズは動きを止めない。まるで意地になったかのように何度も打ち込んでくる。


「穢れた世界に、生きる価値などないっ! 世界を穢した奴は……奴だけはっ、絶対にこの手で地獄に叩き落としてくれるっ! そこをどけェッ!」


 振り下ろされる炎の剣。

 飛び散る火色の雫。

 GRは歯を食いしばる。

 棒を横に振り抜いた。刀身を弾く。

 剣線がぶれた。

 空いた懐。見逃さず左拳を鳩尾に叩き込む。


「かは……ッ」


 わずかに折れた白い体。

 触れた手の皮膚が熱に焼かれて嫌な臭いを上げる。しかし引かずにねじ込んだ。


「ぜってぇ、通さねえっ」

「ふ……」


 白い髪がうねる。

 口角を吊り上げたアッシュローズが、唇の形を裏切る激怒の表情をさらす。


「あくまで私に逆らうか!」


 まだらの翼が空気を裂いて広がった。否、翼だけではない。むしろ広がったのは髪だ。GRの周囲で流線を描く。

 絡みついてくるように、しかし逃げるように。

 風が巻き、GRの髪を揺らし、


「──…………っ!」


 気づいた。アッシュローズは背後だ。

 直後、後頭部に痛みが。鈍器で殴られた。感触からして剣の柄尻だ。しかし根性で意識を保つとGRは、地面すれすれで足払いをかけた。しかし的はすでに空中だ。空振りに終わる。

 軽やかに降り立ったアッシュローズは完全に背中を向けている。GRは眼中にない。リュンデンを殺す、その一点にしか意識はない。

 大きく踏み出すアッシュローズ。

 GRは地面を踏みしめる。


(行かせるかっ!)


 手を伸ばす。

 長髪が指に触れた。絡め、掴み、引き倒す。


「っ!」


 アッシュローズがよろめいた。倒れない。わずか数歩で踏みとどまる。

 振り向きざまに突きつけられたのは血みどろの左手、その掌。彼の手とGRの顔の間で急速に光の玉が膨らんでいく。光球の正体を推測する時間はない。しかしそれが攻撃魔法だということは考えずともわかる。

 GRは左に上体を投げた。地面に背を向けて踏み切る。宙をわずか歩き、足を振った。天使の左腕を上空めがけて蹴る。魔法の光が飛び出したのは直後。


 ──ズガァァァァンッ!


 GRの蹴りで軌道がずれた光球は、一軒の屋根を吹き飛ばして街路樹の枝をかすめ、空へと消えた。

 背中から地面に落ちたGRはそのまま後転し、体勢を整える。と、地に足がついた直後、顔に蹴りが入った。たまらず地面を転がったがすぐ腹に力を入れて体を起こす。

 上げたGRの目に入ってきたのは、光球にえぐられた家屋と触れた木が燃え上がるさまだった。それらに背を向けたアッシュローズが顎を上げ、こちらを見下してくる。


「おとなしくしていれば、苦しむことなく、悲しむ間もなく、一瞬で世界もろとも消し飛ばしてやったものを……」


 狂気で目をぎらつかせて。


「いいだろう。叩き潰してくれるっ。この私の前に立ち塞がったことを後悔するがいいッ!」


 その姿は、もはや傲慢な天使そのもの。いちばん認めたくないもの。

 彼は違うのだと、信じていたかったのに。信じていたのに。


 ──裏切り者!


「ふっ」


 GRの頭の中で、何かが切れた。


「ふ、ははっ、あはははははははっ!」


 切り傷と火傷と打撲で全身が痛むがかばう気にもならない。

 GRは立ち上がった。衝動的に出た笑いを引っ込める。蹴られた拍子に切れたか口内にたまった血を吐き捨て、眉をひそめているアッシュローズを見据えた。


「あーそうかよ。上等だ」


 口端をぬぐい、棒の先端を突きつける。対峙する男に。


「俺の名はガルシア・リィズフェルト! リンディア次期国王の名にかけて、この先には死んでも行かせねえっ!」

「っ!」


 アッシュローズの頬が引きつった。足もわずかながら後ろに動いた。

 動揺している。

 理由はわからないが見逃す手はない。

 駆け出す。慌てた様子で構え直した剣に打ち込んだ。

 甲高い金属音が上がる。しかしアッシュローズの剣筋に今までの勢いはない。否、受け止めるので精一杯なのだ。剣を振るう手にためらいが見える。


「なぜ、私の邪魔をするっ。どうしてそこまでして奴を護ろうとするのだっ。そんな価値がどこにある!」


 アッシュローズが激怒の表情で、しかし声を震わせて疑問を吐く。


「なぜなのだ……なぜ奴をかばうっ。苦しめられてきたのだろうっ? 家族を傷つけられ奪われたのだろうっ? 赦せない相手ではないのかっ? 憎き仇敵ではないのかっ!」

「ごちゃごちゃうるせえよっ。リュンデンも、この際人間族だの、昔の戦争だの、奴隷だの、虐待だの、ンなもん知ったこっちゃねえっ!」

「ならばどけ!」

「やだねっ!」


 回し蹴りから後ろ回し蹴りへのコンビネーション。

 耳の横で風が鳴る。


「絶対に、これ以上行かせてたまるか!」

「なぜ……っ」


 停止と同時に相手の懐深くに潜り込み、胸部へ放つ掌底。続く正拳突き。


「なんでだぁっ?」


 たとえ様子がおかしくとも手は抜かない。抜いたら終わりだ。一気に畳みかける。


「お前が進んだたかが数歩で、どんだけの家が焼けたと思ってるっ。どんだけの樹や、石畳が崩れたと思ってるっ!」


 棒で突き、殴り、拳を放ち、足を振るう。

 ほとんど防がれてしまうが、間違いなくダメージは入っている。同時にこちらの火傷の数も増えていくが、痛がるのはあとでいい。今は攻めるとき。ここで立ち止まるくらいなら死んだほうがましだ。

 苦痛で弱りそうになる心を叱咤し、動き続ける。


「リュンデンをかばうつもりなんかねえよっ。殺したけりゃ勝手に殺せっ。でもな、やりたけりゃ誰もいない、草一本生えてない荒地探してそこでやれっ!」


 右肩への突き。

 弾かれた。

 即座に棒を返して左肩めがけて振り抜く。


()()()()を、巻き込むなぁぁぁーッ!!」


 刹那、

 アッシュローズが消えた。

 的を見失って空回りする。

 たたらを踏んでようやく止まったGRは、急いで辺りを見渡し、そして、


(……なに……?)


 剣を落とし、左肩を押さえてうずくまる彼を見つけた。

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