紅蓮の血涙-6
棒を突き出した。足を狙う。しかし空振った。そこにアッシュローズはいない。後ろに飛びのいた彼をすぐ視界に入れると、GRは棒を軸にして体全部を投げ出す勢いで蹴りを放つ。
GRの足とアッシュローズの上体、その間に入ってきた二の腕が膨れた。ガードされる。
硬い。弾き飛ばせない。
GRは瞬時に膝を曲げて力を流した。両足を地につけ、正対する。
(あっちぃっ)
アッシュローズに当てた足を振って熱を冷ます。靴越し、しかも一瞬触れただけでこのダメージである。じかに触れたらどうなるか。おそらく火傷では済まないだろう。
「くそっ」
毒づき、敵を見る。
ローブもシャツも落としたアッシュローズの上半身は華奢な印象を裏切って戦士の体つきをしていた。適度な筋肉が骨格を覆っているさまは、普段なら彫刻のようだと見惚れていただろう。だが今の感想は無残のひとことに尽きる。常にいたるところの皮膚が内側からはじけ、ピンク色の肉をさらしている。しかしそれも傷ができた直後だけだ。己の発する熱に焼かれて溶け、無残な痕になっていく。傷と凝固した血で、彼の白かった肌はいまや深紅色だ。痛みも相当なものだろうに、それでもアッシュローズは仁王立ちを解かない。
「お前に用はないっ。どけ!」
熱風に煽られて生き物のようにうねる長髪も激怒に染まった顔も、畏れ敬い、膝をつきたくなる気高さと神々しさを放っている。だがちっとも恐ろしくなどない。この程度に圧倒されてたまるか。
「うっせぇっ」
GRは足を前後に開き、腰位置を下げた。棒を突き出すよう構える。
「お前になくても俺にはあンだよっ!」
飛び出した。
鋭く踏み込み、胸部へ一撃。だが当たる直前に剣の柄尻に阻まれた。
刃が閃く。
三日月に似た軌跡。
描ききる前にGRは棒先を落とした。回転させる。
──ギィンッ!
頭の横で受け止めた剣はGRの肩口を狙っていた。一瞬でも反応が遅れていたらえぐられていただろう。
戦慄するも、GRは素早く息を吸って力をためた。
アッシュローズの呼気も整う。
踵を回して体ごと回転。棒を振り上げ蹴撃を放つ。
手ごたえはゼロ。避けられた。
再び空いた両者の距離。視線の先でアッシュローズが剣を構える。
隙がない。
(やっぱ強ェ!)
腹の底が震えた。快感で。
何年ぶりだろうか、己と同等、もしくはそれ以上の実力者と戦うのは。
これが手合わせだったら良かった。純粋な腕の競い合いであれば良かった。それならば心の底から喜び、楽しめたのに。
悔しい。
腹が立つ。
どうしてこんなことになってしまったのか。
なぜ命のやりとりをしなければならないのだ。
「……こンの、馬鹿野郎……っ」
風切り音を立てて棒を振る。路面を蹴った。上から飛びかかる。
「こっから先には行かせねえっ!」
鋼鉄製の棒を、上段に構えたアッシュローズの剣めがけて打ち下ろす。
「くっ」
まともに受け止めた彼の表情が強張った。歯を食いしばり、片手剣に左手を添えてもまだこらえきれず腰を沈める。
やはり純粋な腕力はこちらが上か。しかも腕力のみならず全体重を乗せた攻撃だ。威力は倍以上になっているはず。
と、思考に気を取られた瞬間だった。
片刃の刀身が返る。
棒が滑った。体勢が傾き、力が逃げる。
たまらず地面に伸ばした足をアッシュローズは見逃さない。軸足めがけて蹴りを繰り出してくる。
的確な打撃。高温の熱。
GRはたまらず膝をついた。しかしここで止まったら終わりだ。棒を振る。アッシュローズの胴を横から打つ。
当たった。
だがせいぜい打撲程度のようだ。肋骨の一本二本折れてくれれば良かったが、そううまくはいかないらしい。
「ぐ、ぅ……」
うめき、アッシュローズが脇腹をかばって後退した。
「……邪魔を、っ」
しかしすぐさま踏み出してくる。
「私の邪魔をするな!」
鋭い突き。寸前でかわすも間に合わない。頬をかすった。痛みが走る。
アッシュローズの手首が返った。刀身が閃く。
手首に峰での打撃。
(──フェイントだ!)
気づいてのけぞる。
直後、反動で上がった切っ先が鼻先をかすり、とんぼ返りに左の二の腕を切り裂く。だが斬られただけでは済まなかった。炎をまとう刀身が傷口を焼き、二重の痛みを与えてくる。
「滅ぼしてやるっ」
一気に白が押し寄せる。
深い踏み込み。
(速いッ)
GRは棒を両手で持った。水平に構え、剣を弾き返す。しかしアッシュローズは動きを止めない。まるで意地になったかのように何度も打ち込んでくる。
「穢れた世界に、生きる価値などないっ! 世界を穢した奴は……奴だけはっ、絶対にこの手で地獄に叩き落としてくれるっ! そこをどけェッ!」
振り下ろされる炎の剣。
飛び散る火色の雫。
GRは歯を食いしばる。
棒を横に振り抜いた。刀身を弾く。
剣線がぶれた。
空いた懐。見逃さず左拳を鳩尾に叩き込む。
「かは……ッ」
わずかに折れた白い体。
触れた手の皮膚が熱に焼かれて嫌な臭いを上げる。しかし引かずにねじ込んだ。
「ぜってぇ、通さねえっ」
「ふ……」
白い髪がうねる。
口角を吊り上げたアッシュローズが、唇の形を裏切る激怒の表情をさらす。
「あくまで私に逆らうか!」
まだらの翼が空気を裂いて広がった。否、翼だけではない。むしろ広がったのは髪だ。GRの周囲で流線を描く。
絡みついてくるように、しかし逃げるように。
風が巻き、GRの髪を揺らし、
「──…………っ!」
気づいた。アッシュローズは背後だ。
直後、後頭部に痛みが。鈍器で殴られた。感触からして剣の柄尻だ。しかし根性で意識を保つとGRは、地面すれすれで足払いをかけた。しかし的はすでに空中だ。空振りに終わる。
軽やかに降り立ったアッシュローズは完全に背中を向けている。GRは眼中にない。リュンデンを殺す、その一点にしか意識はない。
大きく踏み出すアッシュローズ。
GRは地面を踏みしめる。
(行かせるかっ!)
手を伸ばす。
長髪が指に触れた。絡め、掴み、引き倒す。
「っ!」
アッシュローズがよろめいた。倒れない。わずか数歩で踏みとどまる。
振り向きざまに突きつけられたのは血みどろの左手、その掌。彼の手とGRの顔の間で急速に光の玉が膨らんでいく。光球の正体を推測する時間はない。しかしそれが攻撃魔法だということは考えずともわかる。
GRは左に上体を投げた。地面に背を向けて踏み切る。宙をわずか歩き、足を振った。天使の左腕を上空めがけて蹴る。魔法の光が飛び出したのは直後。
──ズガァァァァンッ!
GRの蹴りで軌道がずれた光球は、一軒の屋根を吹き飛ばして街路樹の枝をかすめ、空へと消えた。
背中から地面に落ちたGRはそのまま後転し、体勢を整える。と、地に足がついた直後、顔に蹴りが入った。たまらず地面を転がったがすぐ腹に力を入れて体を起こす。
上げたGRの目に入ってきたのは、光球にえぐられた家屋と触れた木が燃え上がるさまだった。それらに背を向けたアッシュローズが顎を上げ、こちらを見下してくる。
「おとなしくしていれば、苦しむことなく、悲しむ間もなく、一瞬で世界もろとも消し飛ばしてやったものを……」
狂気で目をぎらつかせて。
「いいだろう。叩き潰してくれるっ。この私の前に立ち塞がったことを後悔するがいいッ!」
その姿は、もはや傲慢な天使そのもの。いちばん認めたくないもの。
彼は違うのだと、信じていたかったのに。信じていたのに。
──裏切り者!
「ふっ」
GRの頭の中で、何かが切れた。
「ふ、ははっ、あはははははははっ!」
切り傷と火傷と打撲で全身が痛むがかばう気にもならない。
GRは立ち上がった。衝動的に出た笑いを引っ込める。蹴られた拍子に切れたか口内にたまった血を吐き捨て、眉をひそめているアッシュローズを見据えた。
「あーそうかよ。上等だ」
口端をぬぐい、棒の先端を突きつける。対峙する男に。
「俺の名はガルシア・リィズフェルト! リンディア次期国王の名にかけて、この先には死んでも行かせねえっ!」
「っ!」
アッシュローズの頬が引きつった。足もわずかながら後ろに動いた。
動揺している。
理由はわからないが見逃す手はない。
駆け出す。慌てた様子で構え直した剣に打ち込んだ。
甲高い金属音が上がる。しかしアッシュローズの剣筋に今までの勢いはない。否、受け止めるので精一杯なのだ。剣を振るう手にためらいが見える。
「なぜ、私の邪魔をするっ。どうしてそこまでして奴を護ろうとするのだっ。そんな価値がどこにある!」
アッシュローズが激怒の表情で、しかし声を震わせて疑問を吐く。
「なぜなのだ……なぜ奴をかばうっ。苦しめられてきたのだろうっ? 家族を傷つけられ奪われたのだろうっ? 赦せない相手ではないのかっ? 憎き仇敵ではないのかっ!」
「ごちゃごちゃうるせえよっ。リュンデンも、この際人間族だの、昔の戦争だの、奴隷だの、虐待だの、ンなもん知ったこっちゃねえっ!」
「ならばどけ!」
「やだねっ!」
回し蹴りから後ろ回し蹴りへのコンビネーション。
耳の横で風が鳴る。
「絶対に、これ以上行かせてたまるか!」
「なぜ……っ」
停止と同時に相手の懐深くに潜り込み、胸部へ放つ掌底。続く正拳突き。
「なんでだぁっ?」
たとえ様子がおかしくとも手は抜かない。抜いたら終わりだ。一気に畳みかける。
「お前が進んだたかが数歩で、どんだけの家が焼けたと思ってるっ。どんだけの樹や、石畳が崩れたと思ってるっ!」
棒で突き、殴り、拳を放ち、足を振るう。
ほとんど防がれてしまうが、間違いなくダメージは入っている。同時にこちらの火傷の数も増えていくが、痛がるのはあとでいい。今は攻めるとき。ここで立ち止まるくらいなら死んだほうがましだ。
苦痛で弱りそうになる心を叱咤し、動き続ける。
「リュンデンをかばうつもりなんかねえよっ。殺したけりゃ勝手に殺せっ。でもな、やりたけりゃ誰もいない、草一本生えてない荒地探してそこでやれっ!」
右肩への突き。
弾かれた。
即座に棒を返して左肩めがけて振り抜く。
「俺の家族を、巻き込むなぁぁぁーッ!!」
刹那、
アッシュローズが消えた。
的を見失って空回りする。
たたらを踏んでようやく止まったGRは、急いで辺りを見渡し、そして、
(……なに……?)
剣を落とし、左肩を押さえてうずくまる彼を見つけた。




