紅蓮の血涙-5
GRは建物の壁に激突した衝撃で意識が飛びかけた。が、こらえて目を開ける。そして様子のおかしかった白い天使を探すため周囲を見渡し──息を呑んだ。
街並みが一変していた。
燃える民家。焼かれて溶ける石畳。倒れる街路樹。炎の中で恐ろしい形に歪んで崩れる死体。逃げ惑う人々。まるで話に聞く地獄そのものだ。
目の前で炎に飲み込まれた死体が、這いつくばるGRを嘲笑うかのように踊り狂う。皮膚が赤く膨れ、ただれ、焼け落ち、炭化し、服も皮膚も髪も何もかもが黒くなり、そして地面に落ちた。もう、動かない。
死。
熱風とともにさらに悪臭の密度が上がる。肺の底にまで臭いが焼きつく。鼻がねじ曲がるという次元はとうに超えている。呼吸ができない。臭いが苦しい。熱が痛い。
GRは人目もはばからず嘔吐した。涙が出る。
(……なんだよ、これ……)
汚れた口端を腕でぬぐい、目を上げる。
無慈悲なまでにすべてを焼き尽くしていく火の海とその中心で息を荒げる天使を見据え、GRは音が出るほど強く拳を握った。
太陽の化身。星の導き手。自然の指導者。厳格なる審判者。魂の断罪者。──さまざまなふたつ名を持つ天使長、テラーディオ。彼の背にある最高位天使の証である三対の翼は、自身の血と肉片で汚れてもなお、これ以上ないほどの美しさを放っている。
「赦さんぞ」
一歩一歩、リュンデンを追いつめていく。
「罪と穢れは、この手で葬ってくれる」
長髪が熱風に煽られて生き物のようにうねる。激怒に染まりきった双眸から真紅の雫がこぼれ、白い頬を伝って落ちる。
「裏切り者め……っ、転生などさせるものかっ。地獄の底で永遠の炎に焼かれ、苦しみ続けるがいい!」
リュンデンが震え上がり、失禁した。
罪深い者を地獄に落として罰する役目を持つ天使の怒りを買った恐怖を思えば、当然の反応だろう。そして約束を違えたあげくに無抵抗の者を手にかけたリュンデンに対する地天使長の怒りも理解できる。だが────。
「……ざけンな」
熱いし痛いし臭いし、失血のせいで頭はふらふらだ。いつもの半分も力が入らない。それでも悠長に寝ている場合ではない。逃げるなど冗談ではない。見て見ぬふりなど言語道断だ。
「ふっざけンじゃねえッ」
怒気を吐いて気合いを入れ、横で転がっているハウヤを睨む。
「ハウヤっ、さっさと治せっ」
瞬時に瞠目したハウヤが飛び起きた。
「ばっ……僕ですらどうしようもないのに、きみに止められるわけがないでしょーっ?」
「るせぇっ!」
血でぬらつく手を彼の胸倉に伸ばした。服を掴み、ひねる。
「医者なら医者らしく、怪我人治してりゃあいいんだっ。説教してる暇があったら、さっさと魔法使えっ!」
「む、むちゃくちゃだよ、きみ。ちょっと落ち着きなって」
力の入らない拘束の手をあっさりと外され、逃げられた。たった一歩遠ざかっただけの距離が歯がゆい。
「っ、ハウヤっ!」
GRの怒声に場違いなほど大げさなため息をついて、ハウヤが頭を掻いた。
「ほんとに感情的なんだから……。そんなすぐに怒んないでよね。正直、テラーディオは一人で充分だってば」
どこか優しい苦笑が表情に浮かぶ。
「でもま、しょうがないか。緊急事態なのは確かだ」
呼吸をひとつ。
刹那、彼の表情が変わった。
「わかった。協力しよう」
不敵に笑い、その場で宙に跳んだ。身を翻す。
──バサァァッ!
ハウヤの背から溢れて広がったのは、至高の純白色で光り輝く翼。それも、二対の。
「おま……それ……」
ここに来て二度目の絶句で顎を落としたGRに対し、ハウヤは穏やかな輝きの金髪を揺らして首を傾げる。
「なんだ、気づいてなかったの? アッシュの友人だって言った時点で気づいたと思ってたのに。意外と鈍い?」
悪戯を企む子供のように笑って、ウインクをした。
「きみがどれだけ馬鹿でも、さすがに僕の名前は知ってるだろうにさ」
「だって……ハウヤ、だろ?」
「フェリスが僕の名前をうまく呼べてないの、気づかなかった? 面白いから採用したんだけどな」
「え」
言われてみれば確かに発音が微妙だった。『ハウヤ』ならば言うのに苦労しなさそうな音なのに。それはつまり、
(偽名だってことか?)
改めて考える。
アッシュローズの主治医で、友人で。
つまりは地天使長の友で。
天使で。
しかもあきらかに上級天使とわかる複数の翼を持っていて。
おそらくは、フェリスが言いにくい発音の名前で、『ハウヤ』と音が似ている者────
「…………あ」
気づく。思い至る。彼と共通項のありすぎる天使が一人いるではないか。
GRはわずかばかり血の気を下げる。
「まさか」
「あははっ、やぁっと気づいた?」
天使が胸に手を当て、優雅にお辞儀をしてみせた。
「はぁい、風天使長のファウラでーす。っと、こんなことして遊んでる場合じゃないや」
ハウヤ──ファウラが、GRの上空に向かって腕を振るう。火の粉が雪に似た粒に変わった。粒子が触れたところから傷が癒えていく。もちろん痛みも薄らいでいく。回復速度は劇的には速くないが、確実だ。
「すげぇ」
GRの感嘆にファウラが微笑む。
「熱気を中和して癒しの力に変える結界を張った。でもテラーディオの炎が相手じゃ、あるだけましって程度だから過信しないでね。……いける?」
GRが立ち上がると、ファウラは険しくした表情で周囲を見渡した。思考を働かせる。
「まずはテラーディオを止めるのが最優先、かな。となると……やっぱり呼んでくるしかないか。まともに対抗できるのはあいつだけだし」
結論が出るなり、再びGRを見た。
「今から天界に戻ってイグニス……火天使長を呼んでくる。だからきみはこれ以上被害が出ないように時間稼ぎしててよ」
やはりというべきか、『傍観者』の意見はGRのこめかみを引きつらせた。
「時間稼ぎだァ?」
GRはファウラから目を外し、リュンデンのもとに歩いていく天使を半眼で睨み据えた。ばきりと指を鳴らす。
「ンなもん知るか。あいつは俺様がブッ倒すっ。邪魔すンな!」
ファウラの反論はなかった。ただひとつため息を落とし、ぼそ、と呟く。
「お願いだから殺さないでよね」
天使の羽が広がり、一気に舞い上がった。
だが、そんなものはもう目に入らない。正直、援軍などどうでもいい。
「ガルシア様!」
上空からの呼び声。ビーシスだ。
見上げる。
翼が立てる風切り音とともに、一本の棒を持った鷹が急降下してくる。
高く上げた右手に狂いなく投げられたのは愛用の棒だ。GRが受け取ったのを見るとビーシスは、再び上昇気流に乗って空高く舞い上がり、城へと戻っていった。
彼に胸中で礼を言い、身長ほどもある棒を軽く振る。重さと遠心力を体に馴染ませ、一端を脇に挟んで無造作に歩き出した。
近づくほどに熱量が増す。その中心であろうあの天使に触れたらどうなるか。
考えて、浮かんだ嫌な想像を頭から払い、走り出す。気づいて振り向いた血まみれの姿めがけて突っ込む。
標的はただ一人。美麗な容姿を傷だらけにした天使。人間を憎悪する地天使長。街を火の海に沈めようとする者。──アッシュローズ。
拳を固める。
容赦などしてやるものか。
自分は今、いまだかつてないほどはらわたが煮えくり返っているのだ。




