色なき分岐-2
手ぶらで現れた二十代半ばとおぼしき外見の男は、どこか甘ったれた口調のせいもあって医者に見えない。侵入者──敵扱いしてしまったのも仕方がないだろう。
そう自分に言い聞かせてみるも、GRは居心地の悪い思いをするはめになっていた。それは、フェリスを真ん中に、三人揃ってひとつのソファーに座らされているという状況のせいかもしれないが。
向かいに腰を下ろした男、ハウヤに紅茶を差し出しながら、メイがおそるおそる口を開く。
「それで、あの、アッシュ様のお体の具合は……」
ハウヤは肩を落とした。
「命に別状はないけど、ひどいね。あの様子じゃ一週間は外出禁止だな。……とりあえず処置はいつも通りするよ。聖水を欠かさないようにしておいてね」
「はい」
「で……、GRだっけ。問題はきみなんだけど……」
顔を向けるなり眉をひそめた。
「きみはそもそも、いったい誰なのさ」
相変わらず見下しているとしか思えない態度である。だからといってここで怯んでは負けだ。GRはソファーの背にもたれ、胸を張る。
「リンディアの第一王子だ」
「あっそ。で? その王子様はなんでこの家にいるのかな~? 部外者のくせに」
腹が立った。
きわめて素直で単純明快な反応だろう。こらえもせず表に出す。
「うっせぇよっ。俺だって好きでここに来たんじゃねえっ! あいつが無理やり俺を下僕にするとかぬかしやがって……っ、ま、まぁ確かに俺の事情もあるけどよ。でも、仕方なく、いうこときいてやったんだ。っつーかよ。医者だか何だか知らねえが、てめぇにどうこう言われる筋合いだけはねーよっ」
鼻から息を吹いて睨む。
反論ならば受けて立つと態度で示すも、相手は見ていない。顔すら向けていない。彼は額に手を当ててため息をついていた。
「あ・の・お・ば・かっ」
独り言を吐いてこめかみを揉みほぐす。
「下僕? 無理やり? ……あぁもう、あれほど釘を刺したっていうのに、何考えてるんだか……。なんか、泣けてきた」
言葉とは裏腹に感情の乱れなどいっさい感じさせない表情でハウヤは、GRに半眼を向けてきた。
「わかった。僕が許可する。帰っていいよ。むしろ迷惑だから、さっさと出てって」
「なっ」
「やだっ!」
GRが怒鳴るより先にフェリスが飛び上がった。
「はぅや、なんでそんなことゆーのっ?」
「フェリスっ」
押しとどめるメイがフェリスの目を見て首を振る。
「ハウヤ様がお話なさってるでしょ? 静かにしていようね」
「でも、はぅやがっ」
「お願い」
「うぅぅ~」
けっして不満は消えていない。目には涙すら浮かんでいる。それでもフェリスは口をつぐんだ。そんな少年の努力にハウヤはほんの少し悲しそうに微笑んでから、また突き放した目をGRに向ける。
「あとのことは僕が全部してあげるからさ。国に帰りなよ。文句ないでしょ?」
ここで頷くことは簡単だ。しかし、GRは口端を吊り上げた。
「いーや、ありまくりだぜ?」
納得がいかない。なぜ急に出てきた人間に部外者だの迷惑だのと煙たがられなければならないのだ。GRからしてみれば、むしろハウヤのほうが部外者だ。
「俺なりの事情がある。さっきそう言ったばっかだろ。それにな、強引だろうがなんだろうが、一度頷いたことを途中で放り出せるほど尻軽にはできてねーんだ」
嘘偽りを見逃すまいと意識を尖らせる。
「きっちり説明してもらおうか。俺がここにいることを望んだのはあいつだ。なのになんでてめぇが追い出せる? 迷惑だなんて言える? どこにそんな権利があるってンだ」
眼力で与えるプレッシャー。しかしハウヤの余裕は消えない。
「主治医だからに決まってるじゃない。病人のたわごとに耳を貸すわけにはいかないね」
ひたとGRに視線を固定する。
「けど、きみは頑固そうだな。……わかった。お望みどおり説明してあげるから、その代わりカッカしないでよ。いくら魔法で眠らせてるとはいえ、刺激は刺激なんだからね」
頷こうとしたところで気づいた。動きかけた頭を止める。
「俺が怒ったら、あいつに刺激……? どういうこった」
ハウヤがそこで初めて、出された紅茶をすすった。じれるほどたっぷりと時間を使ってひとくちの茶を飲む。
「……きみ、アッシュの体のことはどれだけ知ってる?」
「どンだけって……。薬が効かねえってのと、無理して食っても吐く、だっけ? あとは……発作か? 息ができなくなるっての」
「…………。それだけ?」
「悪ぃかよ」
反論に、ハウヤが冷笑した。
「きみ、馬鹿? 落ち着けって僕は言ったはずだよ?」
「るせぇよ」
「……やれやれ。そんなじゃ、なおさらだなぁ」
独り言をぽつりと落とし、視線を紅茶へと下ろした。カップを揺らして波紋を作りながらしばし考える素振りを見せる。しかし思考に取られてぼやけていた視点が戻ってきたのはすぐだった。カップをソーサーに置き、GRに目を向けてくる。
「アッシュはね……他人の心が見えるんだ」
「………………は?」
導入ですでに理解不能だ。が、ハウヤには予想の範疇だったらしい。GRの反応に何の動揺も見せない。
「心ってひとくちに言っても、思考と感情があるでしょ。彼が見えるのは感情のほうで、言葉が伝わるわけじゃないからね。読めるというよりは見える。むしろ、見るより感じるに近いかな」
肩をすくめる。
「ただ問題なのは、意識しておこなわなくても自然に、呼吸をするのと同じように感じ取ってしまうってことなんだ。しかも受け止めた他人の感情はアッシュの精神に影響を及ぼす。さらに感情の種類によっては彼の肉体を蝕んでしまう」
「……な、なんだよ、それ……」
半分茫然自失の状態で呟いた言葉に困り顔で笑って、ハウヤが続ける。
「もともと彼が持ってる特殊な能力なんだけど、今、アッシュは力を完全には制御できない状態なんだよ。意識して周囲の感情を拒絶してても全部は防ぎきれない。強い感情であればあるほど壁の隙間をぬって染み込んできてしま────」
「ちょ、だからちょっと待てって!」
うっかり声を荒げて、しかし咎められる前に我に返り、GRは息を整えた。
「ちょっと待て。待ってくれ。……確かに俺は馬鹿だけど、それでも多少は勉強してるし、何よりいろんな奴に逢ってて、いろんな話を聞いて知ってるつもりだ。けど……」
うつむき、額に手を当て、くしゃり、と髪を握りしめる。
「感情が読めて、しかも影響を受ける? それも体にまで? なんだよそれ……そんな病気、一度も聞いたことねえよ」
ほんとに人間か?
──そのぼやきは、ほぼ衝動。そして半無意識。
しかし、びくと揺れたソファーの振動でGRは顔を上げていた。揺れを発生させたに違いないフェリスとメイに目を向ける。そして一様に浮かんでいる表情を見て、心が何かに気づきかける。
「はっきり言ったほうが、逆にわかりやすいかもしれないね」
続くハウヤの宣告。
軋む首を動かしたら、まっすぐな翠の瞳と目が合った。
「アッシュは、人間じゃない」
不治の病を告げる医者はこのような感じだろうか。
ハウヤは淡々と呟く。
「天使だよ」




